第2話 夜、一人の時間
その夜、アパートの自室。1K、家賃4万5千円の小さな城。
美久はベッドに寝転がり、スマホで猫の写真を眺めていた。『猫写真フォルダ』と名付けられたアルバムには、3,000枚を超える写真が保存されている。全て遠くから撮った、ぼやけた写真ばかり。最短撮影距離は3メートル。それより近づけたことは、一度もない。
部屋を見渡せば、そこは猫の王国だった。
東側の壁:猫のポスター12枚。子猫、成猫、老猫。あらゆる種類、あらゆるポーズ。
西側の壁:猫カレンダーのコレクション。2015年から現在まで、すべて保管。
南側の窓:猫のステッカーでデコレーション。日光で少し色褪せているが、それも味わい。
北側の本棚:猫関連書籍がぎっしり。
『猫の気持ちが分かる本』(読破回数:23回)
『猫と仲良くなる100の方法』(付箋だらけ)
『猫語辞典』(暗記済み)
『猫の社会学』(卒論の参考文献)
『野良猫の生態』(フィールドワーク用)
本棚の最上段には、特別なコーナーがあった。祖母の遺品。古い写真立てに収められた、セピア色の写真。若い頃の祖母が、白い猫を抱いている。その猫——タマは、祖母には懐いていたのに、幼い美久が近づくと必ず逃げた。
(どうして私だけ...)
暗い部屋で、その考えが蛇のように頭をもたげる。
友達の家で、みんなが猫と戯れている時の疎外感。 SNSに溢れる、猫との幸せそうな写真。 ペットショップの前を通る時の、ガラス越しの憧憬。 猫カフェの看板を見る度に感じる、入れない悔しさ。
自分だけが、その輪に入れない。まるで透明な壁に囲まれているような、見えない檻に閉じ込められているような感覚。
美久は、ぎゅっと目を閉じた。瞼の裏に、今日出会った三毛猫の怯えた表情が浮かぶ。
(ダメダメ。悲しんでる暇があったら、もっと猫のことを知ろう)
そう自分に言い聞かせて、イヤホンを装着。YouTubeで猫の生態についての動画を見始める。
『猫の社会性について〜最新研究より〜』(45分)
『猫が人間を認識する方法』(32分)
『猫のボディランゲージ完全ガイド』(1時間28分)
猫の仕草、鳴き声、習性。 尻尾の角度が表す感情。 耳の動きが示す心理状態。 瞳孔の開き具合と興奮度の関係。
知れば知るほど、愛おしさが増していく。理解すればするほど、触れられない距離が苦しくなる。
(いつか必ず、この想いは届くから)
その「いつか」を信じることが、美久の生きる力だった。
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