星に捧げる懺悔

@nana07_nattwu

第1話

永遠の都と称される都市・ローマ。その名の通り二千年近い歴史を持つがゆえ、荘厳な佇まいをした礼拝堂が幾つも並ぶ。本来無神論者のあるべき場所ではないこの地に、ファウストはチーチを呼び出した。場所はローマ郊外の寂れた教会。チーチの足取りは決して軽くはない。理由は明白、彼の知るファウストは宗教とは無縁の存在であるからだ。それでも呼ばれたら向かってしまう辺り、チーチは己の甘さに思わず笑いを漏らす。

「この教会で合ってる…よな」

ファウストから送られた情報を頼りに目的の教会へと足を運ぶ。事前にチャットで言われた場所は教会の告解室。チーチは指定された場所が場所なだけに不気味だ、とうっすら考える。ファウストは科学者。無論神など信じるはずもない。それでもチーチは歩みを止めない。それは弟子、あるいは唯一の家族を思うがゆえなのか、チーチ本人にも分からなかった。そんなことを考えながら告解室の前に辿り着き、扉を叩く。

「…ハイン、いるか?」

軽くファウストに向けて声を掛けると、いつもの冷めた調子で返答が返ってくる。

「ええ。どうぞ」

その声は定期検診で会った時に聞いたものと変わらなかった。ただ少し明るくなっただろうか、微かに昔の面影を感じるものであった。

「こんな所に呼び付けて何の用だ?お前が教会の告解室なんて、ガラじゃねえだろ」

「あまり人に聞かれたくない話なだけですよ。ここが一番話しやすいんです」

冷たい口調で語るファウストの口調は相変わらずだ。どこか人を見下したような声のトーン。だがチーチにとっては慣れたものだ。

「…ですがまあ、久しぶりですね。ご無沙汰しております。チーチさんは相変わらずのようですね」

定期検診で会った時と同じ敬語。本来のファウストはこの話し方はしないが、バスでの癖が抜けないのだろう。だがチーチには違和感しか感じられず、この口調の訂正を求める。

「ああ、久しぶりだな。…けどよ、その喋り方どうにかなんねえのか?らしくもねえ話し方すんなよ」

チーチからの要求にファウストは顔をしかめる。

「…はあ、一々注文が多いな。口調くらい放っておいてくんねえわけ?」

「慣れねえんだよ。ガキが改まった口聞くんじゃねえ」

「うざ。いつまでもガキ扱いすんな、こっちはもう三十過ぎてんだよ」

「何歳になろうとお前はガキだよ」

バスを降りてから数年、ファウストも三十歳を過ぎた頃だ。だがチーチにはいつまでも幼い子供に見える。それは彼がファウストの生まれたその日から見ているからだろう。

「ほんと腹立つ。これじゃいつまで経っても本題に入れねえじゃん」

ファウストがあからさまに不機嫌な態度を取ると、チーチもそれに呼応するように反応する。

「何だよ、呼び付けたのはそっちだろ?…で、要件は何だ?ハイン」

「そうだな、流石に本題に入るか。…と言ってもそんな大した内容じゃないんだが」

『本題』について触れると、ファウストは神妙な面持ちになる。彼の癖とでも言うべきか、真面目な話をする時はそれらしい雰囲気を纏う。どうやらチーチもそれを察したらしく、内容の開示を迫る。

「大した用でもないのに呼んだってか?人をここまで呼び出しておいてそりゃねえだろ」

「…少し話聞いてほしいだけだ。俺なりの独白みてえなもん。聞く気にならなきゃ聞かなくていい。交通費と宿代は俺が出すから帰れ。どうするよ」

「何のために来たと思ってんだよ、聞くに決まってんだろ。言いにくい話ってんなら尚更だ。話してみろ」

ファウストはチーチからの言葉にどこか安心したような表情を見せると、会話を続ける。

「そうかよ。…それなら話しても良いか。これは俺の罪の話。言えなかった想い。伝えられなかった記憶。だから告解室を選んだ」

口の端を弧を描くように笑い、ファウストは科学者としての顔を見せる。今まであまりチーチには見せなかった表情だ。それは偶然でしかない。チーチの前では科学者であろうとしなかったからだ。ファウストは徐に立ち上がると、チーチに背を向ける。

「長くなるが聞いてくれ。俺の存在証明を」

ファウストの罪は全てグレートヒェンに起因する。彼女を殺した罪こそファウストが永劫背負うもの。その罪をファウストが包み隠せず語ることのできる相手は神ではない。自らの師たるチーチのみだ。

「忘れもしない、あの日のことは。毎日のように思い出す。俺がグレートヒェンさんを忘れることは無いと思うし、ましてこの想いを失うことも無い。これは誰にも共有することは無いし、したいと思うことも無いはずだった。俺の心の内を…あまりにさらけ出してしまうから」

一息置くとファウストはチーチに向き直り、その伏し目がちな金の瞳に真っ直ぐ視線を向ける。

「それでもチーチになら話しても良いと思った。受け入れてほしいとは思ってないし、認めてほしいとも思ってない。ただ聞いてほしいだけ」

椅子に座り直し、今度はどこか諦めたような視線を投げ掛ける。その瞳に光が宿っているのか、チーチには分からなかった。

「グレートヒェンさんを殺したことについては、あの日からずっと後悔してる。それが俺の罪だ。未来永劫背負うもの。でも、あの人を殺していないと…あいつらには出会えなかった。こんなこと言いたくねえけど、心底良かったと思ってる。あいつらと出会えたことは、間違い無く俺にとって奇跡にも等しい。けど…これで良いのかな」

チーチに答えを求めるように視線を向ける。本当の意味で綺麗な解答など求めていないのだろうが、それでもファウストはチーチに縋ってしまう。

「…なんだよ、らしくもねえな。お前が人に答え聞くのか?ハイン」

「そんなつもりはねえよ。ただどうすんのが正解か分からねえだけ」

ファウストは諦めたようにチーチから視線を外すと、それを窓の外に移す。窓は非常に簡素な作りになっていて、四角くくり抜かれた空洞に格子を嵌めただけのものだ。そこからは星明かりが差し込む。ローマとはいえ中心部からは外れた郊外、ノスタルジックな雰囲気を纏うファウストの故郷では数多の星が瞬く。

「チーチさ、最初どうして告解室なんか選んだって聞いたろ?まあ…理由はちゃんとあるよ。もっとちゃんとした理由」

ファウストは窓から除く夜空を眺めながら問いかける。彼の視線は何かを懐かしむようで、大切な誰かに対する愛おしさすら孕んでいるようにも見える。少なくとも、チーチにはそう感じられた。

「俺はきっと…謝りたかったんだと思う。でもそれ以上に愛してるって、言いたかった。ずっとしまい込んでしまっていたから」

「どうしてだよ?お前なら言えただろ」

「無理だよ。俺にはそんな資格なんか無い」

ファウストの瞳が曇る。彼は確かにあのバスで過去と決着を付けた。それからはや数年、チーチはもうしっかり前を向けているものだと認識していた。だがそれは誤算だった。あれだけのことがあったとはいえ、簡単にけじめなど付けられない。それはチーチにも痛いほど分かることだ。

「なあハイン、まだ気にしてるか?…ジュゼのこと」

先に静寂を破ったのはチーチの方だった。こんな直球に聞くことではないが、聞かずにはいられなかった。ファウストの…ハインリヒの、父に対する思いを。

「親父…か。…まあ気にしてないと言ったら嘘になるよ。俺が殺したようなもんだし。ただ託されたもんがある。それを守ってかなくちゃ示しがつかねえよ。…おい、何笑ってんだ」

チーチはファウストの指摘でハッと我に返る。無意識のうちに口角が上がっていたらしい。チーチは隠すように口元を抑える。片やファウストは不満げな表情を隠しもせず、平均より少し長めの脚を組み直した。

「良いだろ別に、そんなニヤニヤしなくて」

「うるせえな、こっちは家族の成長を感じてんだ。嬉しくもなるだろ」

「そういうもん?」

「おう、そういうもん」

真面目な話に時折入るとりとめのない会話。それが2人をこの世の者たらしめるものだ。特色フィクサーなどと持ち上げられていても、互いにとっては唯一の家族なのだから。

「皮肉だよな、神を信じない俺がこんな場所にいるなんて」

突如自虐を込めた趣旨の言葉をファウストが紡ぐ。

「どうした?急に」

「いやあ、何となく。俺って科学者だし…変だよなって」

チーチの問いに曖昧な答えで返すファウストの瞳には、先程より光が宿っていた。少なくともチーチはそう認識した。ファウストの澄んだ青い瞳に星の光が反射してそう見えただけ、ということもあるだろうが。それでもチーチは信じたかった。ファウストがほんの少しでも前進していることを。

「でも…場所がどこであれ言語化するのは悪くないな。気持ちを整理できてる気がする」

ファウストは視線をチーチに向け直し、いつもと変わらない仏頂面を向ける。

「…ったく、お前はなんにも変わらねえなあ」

チーチはファウストの仏頂面を呆れたように、だが愛おしげに見つめ、その頭をくしゃりと撫でる。柔らかな髪がチーチの骨ばった指を通る。

「なんだよ、ガキ扱いしやがって」

「さっきも言ったろ、俺からしちゃお前はいつまで経ってもガキのまんまだよ」

チーチの慈愛に満ちた瞳がファウストを映す。愛されることに知っているが慣れないファウストは、照れくさそうにチーチから視線を外した。

「うるせえな…。いい歳こいて何なんだよ」

「大概だよ、俺もお前も」

再び静寂が訪れる。次の沈黙は破られるのに時間がかかった。教会の荘厳な空気の中、ふっと冷たい風が通り過ぎる。風は二人の頬を掠め、夜空へ消えた。

「…今日は空が綺麗だな、チーチ」

次に静寂を破ったのはファウストの方だった。ファウストは先程と同じように窓の外に目を向けると、星空を見つめた。

「新月も悪くはないよな。…いや、むしろ好きだ。星が綺麗に見えるから」

夜の静寂を切り裂くように、ファウストがぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。ファウストの透き通る凛とした声が石造りの空間に響き、わずかに反響する。

「親父も天文やってたしさ、こうやって空を眺めてたのかと思うとこう…感慨深いよな。ありきたりな表現しかできねえけど」

ジュゼべに思いを馳せるファウストの瞳は、白にも見える金の髪に隠れてよく見えなかった。だがチーチには分かる。ファウストがジュゼべに抱く感情は怒りでも憎しみでもなく、尊敬とただ純粋な愛であることが。

「なあ、ハイン」

「ん?何だよ」

「…生まれてきて、良かったか?」

チーチからの問いにファウストは表情を崩した。だが不敵な笑みを浮かべ答える。

「当たり前だろ」

自信満々なファウストの返答に、チーチは思わず笑いが込み上げる。それはあまりにもチーチのよく知るファウスト本来の姿だったから。

「…やっぱ生意気だな、お前」

「うっざ。お前が聞いたんだろ」

いつもの調子で悪態をつくファウストをチーチは愛おしそうに見つめる。チーチには目の前にまだ幼い頃のファウストがいるような気さえしていた。

「おかえり、ハイン」

酷く優しい声色をしたチーチがファウストに投げ掛けた言葉は、また優しいものだった。ファウストは目を見開き、チーチを見つめる。それは予想だにしない返答だった。天才のファウストにも読めないことはある。それはまさしく、チーチから向けられる言葉だろう。

「急に何だよ、かしこまって」

「いいや、別に?ただ帰ってきたなってだけだよ」

チーチの言葉は正しくもある。二人にとって、この街は故郷だ。チーチとファウストがここで過ごした日々は、確かに本物だから。

「まあ…そうだな。ただいま、チーチ」

ファウストは照れくさそうに、だが家族に向ける優しい顔でチーチに返答を与えた。チーチはファウストの答えに満足気に笑った。

告解室での対話は思いのほか呆気なく終わった。ファウストが切り上げたからだ。二人は帰路につく。教会からの帰り道、ファウストはふと空を見上げた。ファウストの瞳は夜空に見惚れているようで、チーチは一瞬このまま吸い込まれてしまうと思った。ファウストは儚くて、刹那の瞬きのうちに過ぎて消えてしまうような人だから。だがファウストが簡単に死んだりしないことも知っている。

「…ハインリヒ、死ぬなよ」

それでも確認はしてしまう。ファウストは自分のたった一人の家族だ。失いたくないことも自然だろう。

「は?何言ってんだ。…死んでたまるかよ」

ファウストの声と表情は自信に満ち溢れていた。その様子にチーチは安心したのか、少し肩をすくめる。二人はそのまま真っ直ぐ歩く。ファウストに進むべき道があることはチーチもよく知っている。チーチはその背中を押すのだ。全てを包み込むような夜空は、二人を闇へ誘い、光へ導く。いつか並んで歩けるように。チーチの背中に追いつけるように。グレートヒェンとの約束を果たすために。ファウストは進み続ける。そう星明かりに誓った。背負うべき十字架の誓約を。

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