第4章:愛なんて、もう信じないと思ってた

静まり返ったリビング。

夜景の向こうで、東京の街が光を瞬かせていた。


沙耶はソファに座り、スマホの通知を無音のまま眺めていた。

記者会見から三日。

仕事関係者や昔の友人たちから、賛否が入り混じるメッセージが殺到していた。


「よくやったよ」「勇気に感動した」「でも少しやりすぎじゃない?」


けれど、もう動揺はしなかった。

すべては想定内。

3年前、あのドレスをしまった日から、沙耶はひとりで覚悟してきた。


そんな彼女の元に、一通のメッセージが届く。


「沙耶さん、お久しぶりです。よかったら一度お会いできませんか?」


差出人は――結城圭吾(ゆうき けいご)

かつて、沙耶がまだ駆け出しの広告マンだった頃、部署違いで同じビルに勤めていた男性。

温厚で誠実、地味だが芯の強い男だった。


数年前、海外勤務になり、そのまま連絡が途絶えていた。


沙耶は、しばらく画面を見つめたあと、ふと呟いた。


「……何で今さら」


けれどその指は、静かに「はい」と返信していた。



翌週・表参道のカフェ


「……変わってないな。沙耶さん、いや……綾瀬さん、か」


「どっちでもいいですよ。どっちの名前も、私の人生の一部だから」


そう言って微笑む沙耶の顔には、かつての少女のようなあどけなさはなかった。

代わりに、戦い抜いた者だけが持つ静かな強さがあった。


圭吾は、そんな沙耶の手にそっとコーヒーを差し出した。


「記事、読んだよ。……怖くなかった?」


「怖かった。でもね、もっと怖かったのは、“何も言わないまま生きていくこと”だった」


圭吾は、ゆっくりと頷いた。


「沙耶さんは、いつも静かだけど……本当に強い」


「強くなったのよ。“強くなるしかなかった”って言ったほうが正しいかな」


その言葉に、圭吾の目が少しだけ切なげに揺れた。


「……俺、ずっと言えなかったけど……昔、好きだったんだ。

あのとき、誰よりも努力してて、誰よりも優しくて、だけど……自分を後回しにしてる、そんな沙耶さんを見てて」


沙耶は目を伏せ、カップに視線を落とす。


「今さら……そんなこと……」


「うん、わかってる。もう遅いってこと。でも……俺は、今の沙耶さんのほうが、ずっと好きだと思った」


心の中に、氷のように閉じ込めていたものが――少しだけ溶けた気がした。



東條剛志・最後の抵抗


一方、東條剛志は社長職を退き、現在は海外へ逃亡中と報道されていた。


だが実際は、都内某所のマンションで密かに動いていた。


「綾瀬沙耶……お前だけは許さない。俺をこんな目に合わせて……!」


剛志は顧問弁護士を通じて、沙耶への“名誉毀損訴訟”を起こす準備を進めていた。

その裏で、真帆にまで“口止め料”を持ちかけていたのだ。


だが真帆は――それを断った。


「私、ようやく“自分”でいられるようになったの。あんたに戻る気なんて、1ミリもない」


剛志の顔が歪む。


「……女ってのは、ほんと面倒だな」


それが、彼の“限界”だった。


もう、誰も彼の味方ではなかった。



沙耶の独白


「恋を信じることが怖かった。

愛に騙されることが怖かった。

でも……“誰かと共に在ること”の温度を、私はまだ知っていたいと思った」


それは圭吾に対してなのか、

かつての自分への赦しなのか――


沙耶はまだ、答えを探していた。


けれど少なくとも、あの頃のように誰かに“選ばれる”のではない。

今は、自分で選ぶ人生を歩いている。


そして、その一歩を踏み出せるなら――愛しても、いいかもしれない。

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