夏の終わりを知らずに
@l0_30e1
夏の終わりを知らずに
夏の盛り.
午前九時を過ぎたばかりだというのに,空から注ぐ光はすでに肌を刺し,立ち上がる熱気が革靴をじんわりと包む.果樹路の隙間から,セミの声が鳴っていた.
黒いリクルートスーツの背中に汗がにじむ.歩道脇の自動販売機の前に立ち,リュックの側面のポケットから小銭入れを取り出す.マジックテープの「ビリビリ」という音が,夏の喧騒の中で妙に生々しい.百円玉を投入口に滑らせると機械の一部ボタンが点灯した.迷わず,「天然水」のボタンを押す.
カラン,取り出し口に冷たいペットボトルが転がりでた.
キャップをひねり,一口.冷えた水が舌に触れ,喉を抜けていく.
体の奥にたまっていた熱が,ほんの少しだけ引いていった.
それと同時に,胸の内の緊張も,わずかにほどけていくのを感じる.
翌朝.
空は,昨日よりも澄んでいていて,セミの鳴き声はさらに勢いを増している.同じ道,同じ時間,同じ足取り,ただ,スーツの内側に汗がにじむのが,昨日より少しだけ早い.また,自動販売機の前で立ち止まる.昨日と同じように小銭を投入し,同じ「天然水」のボタンを押す.
カラン,昨日と同じ音.
ボトルを手に取り,キャップを開け,一口.
昨日と同じ冷たさなのに,のどごしはどこか優しい.
夏は,まだしばらく続いていく.
夏の終わりを知らずに @l0_30e1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます