16 会合
三日後、カエデとアズマ、それからロウの三人は表の世に来ていた。
場所は長野県諏訪市――諏訪湖の畔にある旅館だ。
表と裏の会合でよく使われている旅館で、夏には花火大会に合わせて会合が開かれたりもする。
時刻は夜の十八時。
日が落ちた空には星が瞬き、月の形がくっきりと諏訪湖に映っている。
「へぇ、いいところ使ってんなぁ」
「ご飯も美味しいんですよ、ここ」
「そうそう。特に茶碗蒸しが最高」
「ほほーう!」
カエデとアズマの言葉にロウが目を輝かせる。
会合が始まる前は、いつも食事の時間が設けられているので、人数に含められているロウにもお膳が用意されてはずだ。
(お腹がいっぱいの方が、喧嘩になりにくいですからね)
落ち着いて話をするために、会合が開かれるようになった時に誰かがそう提案したらしい。
ちなみに食事の後に話し合いという順番なので、当然ながらお酒は出されない。
飲みたい者がいれば、会合が終わった後に居酒屋に寄るくらいだ。
それを話した時にロウは「酒が飲めねぇのか……」とがっかりしていたが、同時に「思ったよりも真面目な集まりなんだな」とも言っていた。どんな会合だと思っていたのだろうか。
そう思いながらカエデは頭の髪飾りに触れる。アズマから贈られた藤の花の髪飾りだ。
花弁が、しゃら、と揺れるのがカエデは好きだ。
受け取った日から、カエデは髪飾りを身につけるようになった。
自分が嬉しかったのはもちろんだが、つけているとアズマも嬉しそうだからだ。それから、つけたまま問題なく護衛などの仕事をするために慣れておきたいというのもあって、今日もこうしてつけている。
服装はいつもの白色のスーツ姿だけれども。
(着物で戦うのは私にはハードルが高い)
髪飾りに合わせた服装にした方が良いかもしれないが、カエデの戦い方だと着物がだめになってしまう。だから仕事では普段通りの衣装だった。
そんなことを思い出しながら、旅館の中へ入る。
顔馴染みとなった受付の人に挨拶をし、会合の部屋へ向かう。
『白花の間』という、諏訪湖が一望出来る大広間である。
中へ入ると、すでに何人か到着していて、それぞれに話をしていた。
「お、篠塚の坊主じぇねぇか。早かったな!」
真っ先に声を掛けてくれたのは、笹森家当主のイヌマキだ。着物姿の精悍な顔立ちの男性で、歳は五十二。篠塚家とは昔から付き合いがあり、アズマやカエデのこともかわいがってくれている。
「イヌマキのおじさん、こんにちは」
「おじさんこそ早いですね」
「がっはっはっ。そりゃそうだ、これで奥さんに結婚してもらえたからな!」
イヌマキは豪快に笑う。
「どういうこと?」
会話の内容が分からないロウが、カエデにこそこそと訊いてくる。
「若い頃は時間にルーズだったらしいんですが、奥さんにひとめ惚れして告白したら、時間を守る人が好きだと言われて頑張って治したんだそうです」
「へぇー、そりゃまた」
ロウが感心したように口笛を吹いた。
するとイヌマキがこちらへ顔を向けて、
「おう、お前さんが例の鬼だな。いやぁー大変だったなぁー」
ロウに近付いて背中を手でばんばん叩く。
その遠慮のなさと勢いに、ロウが前につんのめりかけていた。
「馬鹿力過ぎる」
「誉め言葉だな。これがなきゃ、治安維持なんてやってられんよ」
イヌマキが袖を捲って力こぶを作って見せてくれた。相変わらずすごい筋肉である。
カエデがぱちぱちと拍手をすると、イヌマキは気を良くしてか、もう片方の腕も捲って同様に力こぶを作ってくれた。
こんな風に陽気な人だが、いざ仕事となったら鬼神と呼ばれるくらい壮絶な戦いを見せてくれるのだから、人は見かけによらないものである。
(もっとも、そこまでの事態になるのはあまりないけれど)
カエデがその姿を見たのは二回だけ。最初に見た時は、色んな意味で震えたものだ。
懐かしいなぁなんて思いながら見ていると、他の会合の参加者たちも続々と白花の間へとやって来た。
その中に八森カサイの姿もあった。今日は護衛のモノノ怪を連れていないようだ。
何となく見ていたら目が合って、にこりと微笑まれたので、カエデは軽く頭を下げておく。
(おや?)
見ていたら、カエデはふと違和感を覚えた。
(八森のご当主が来ていない)
見落としたかと、部屋の中をぐるりと見回してみたが、やはり姿がない。
その時に時計が目に入ったが、まもなく予定時間だ。八森家の当主は真面目で、時間に遅れたことは一度もないので意外だった。
「カエデさん、どうしました?」
「八森家のご当主様がいないなと思いまして」
「ご当主? ……確かにいませんね」
アズマも同じように周りを見回して怪訝な顔になる。
「ああ、それがな……ちょっと入院しているんだよ」
するとイヌマキが神妙な顔でそう教えてくれた。
「入院?」
「今日の議題の関係で、色んなところに頭を下げて回っている内に、疲労と心労がたたって倒れちまった。まぁ、命に別状はないし、数日で退院出来るらしいぞ」
「ああ……」
会合の際も、いつも胃を押えている彼だ。今回の騒動は相当堪えたのだろう。
(それでカサイさんが代わりにと……)
妥当な人選だろう。
聞いた話だけの情報だが、今回の騒動の原因である妹のナデシコと、彼女を溺愛しているらしい母親では、当主の代わりは務まらない。
心の中で八森家の当主に同情している内に、会合の参加者たちが全員揃い、それぞれがいつもの席についたのだった。
* * *
信州牛の鉄板焼きに、刺身。里芋などの煮物に、お吸い物。海老や山菜の天ぷらに、イクラの乗った茶碗蒸し等々……そして最後のバニラと抹茶のアイスクリーム。
そんな美味しい会席料理を堪能した後、ようやく会議が始まった。
内容は従属の術を使ったことを知り、モノノ怪たちが反発したことで起きた騒動についてだ。
ただの一般人が行使してもまずい代物を、よりによって治安維持を任されている家の人間が行った。
それが表の世のモノノ怪たちの間で、だいぶ重く受け止められているらしい。
八森家の当主が各方面に事情を説明し、頭を下げたことで何とか落ち着いたものの、今後の対策などについて色々と話し合わなければならない。
そういう意味で今回の会合は開かれた。
話の最中にロウも事情を訊かれたが、理路整然に答えていてカエデは意外に思った。アズマもそうだったようで、二人揃って目を見張っていると、話し終えたロウがそれに気付いて「俺を何だと思ってやがる」と呆れた顔を向けられてしまったが。
ちなみにアズマやカエデも、怪域で起こったことについて訊かれている。
ナデシコを少々乱暴に止めたことに関しては「カエデらしいなぁ」と苦笑されたが、果たして自分は周りからどう思われているのだろうか。
「皆様にご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
諸々の話の後、最後にカサイがそう謝罪の言葉を述べて、会合は終了となった。
すでに幾つかの対処が済んでいたおかげで、話し合いが順調に進んだのである。
時計を見ても、まだ二十一時前だ。
内容からしてもう少し遅くなるかと思っていたので、意外と早く終わって良かったとカエデは小さく息を吐く。
「会議ってのは疲れるもんだな~。肩が凝って仕方ねぇわ」
「大体そんなもんですよ。……少し早いので、一杯飲んでから帰りますか?」
「マジで⁉ いいの⁉」
「今日、お付き合いいただきましたし。カエデさん、いつものところへ行きましょうか。あそこの女将さんに僕たちの結婚報告もしておきたいですし」
「そうですね」
いつものところというのは、諏訪市街にある『いすゞ』という名前の居酒屋だ。
ユキメの友人の店で、カエデたちは会合の終わりによくお邪魔している。
「ん? 何だ、お前ら結婚したのか?」
すると会話が聞こえたらしいイヌマキが、目を丸くした。
それを見て、そう言えばこちらでもまだ話をしてなかったとカエデは思い出す。
「ええ、つい先日」
「はぁー、そうかそうか、ようやくか。坊主がちっとも告白しねぇから、こっちはやきもきしていたんだよ」
「ちっとも?」
「あー! あー! ちょっと! 余計なことは言わないでくださいよ!」
カエデが詳しく聞こうとすると、アズマが大慌てで間に割って入って怒る。
しかしイヌマキは気を悪くした風でもなく、相変わらず豪快に笑うと、
「おーい! お前ら、アズマがカエデと結婚したってよー!」
と、会合の参加者たちに向けて言った。
とたんにあちこちから「おー、おめでとー!」「ようやくか」「長い片思いだったわねぇ」なんて声が聞こえて来る。
(片思い?)
カエデが首を傾げながらアズマを見ると、彼は顔を真っ赤にしたままぶるぶる震えて「ばらされた……」と呟いている。
ばらされた――つまり、片思いをされていた、ということだろうか?
(アズマさんが私に?)
カエデは目を見開いて、そしてそのことを数秒かけて理解したら、みるみる顔が紅潮する。
アズマはカエデにとって恩人で、大事な主だ。
だから好きだし、嫌われたかもしれないと思った時は泣いてしまうくらいには悲しかった。
けれどもその好きはあくまで親愛や敬愛の類だ。
――その類だったはずなのだ。
それなのに最近は、アズマから夫婦を意識した言葉や、行動をされると妙に胸がそわそわする。
初めて感じるそれが何なのか、カエデには分からなかったが、イヌマキの今の言葉を聞いてその「そわそわ」したものが何なのか、何となく分かった気がする。
(もしやこれは)
そういう、ものなのだろうか。
そう思ったらカエデの犬耳はピンと立ち、尻尾が忙しなく揺れ始める。
「……か、カエデさん?」
「っ、ちょ、ちょっと、あのこちらを見ないでいただけますか」
「え? えっと」
「すみません、ちょっと……その、ちょっと、あの…………想定外で、ええ、色々」
右手で口を覆って顔を逸らす。しゃらり、と髪飾りが揺れた。
アズマが不思議そうにカエデの顔を覗き込んで、それから林檎のようになったカエデを見て、同じ様に顔を赤くする。
「…………」
「…………」
そして二人揃って黙ってしまい、視線を床に落し照れていると、周りから微笑ましげな眼差しが向けられる。
「若いなぁ」
「いやぁ、本当に」
年配の参加者たちの楽しげな話し声を聞きながら、カエデはしばらくそうしていた。
「…………」
だから見えなかったし、気付かなかった。
唯一、八森カサイだけが、違う意味で面白がるような笑みを浮かべていたのを。
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