半妖従者と拗らせ主人の契約結婚と初恋事情

石動なつめ

カエデとアズマの契約結婚

1 唐突なプロポーズ


 地面に、カラン、とナタが落ちる。

 それの持ち主だったモノノ怪は、血塗れの体で石畳に倒れ込み、そのままサラサラと砂のように崩れて消えた。

 暴走して周囲に被害を及ぼしたモノノ怪でも、最期は呆気ないものである。


 それを確認してから、カエデはふうと息を吐いた。

 白い色のショートヘアにも、頭には生えた白色の犬耳にも、尻尾にも、そして着ている白スーツにも、モノノ怪の返り血がついている。

 ところどころ赤色に染まるそれを見て、カエデは眉根を寄せた。


「うーん、これ、色はちゃんと落ちるかな……」


 制服として主人から指定された白スーツは、格好良くて気に入っているが、こういう荒事にはあまり向いていない。

 そんなことを思いながら、まぁ何とかなるか、と服の袖で顔の血を拭っていると、


「ねぇカエデさん。君、僕と結婚しません?」


 自分の主である篠塚アズマからそう訊かれ、カエデは目を丸くした。

 まるで世間話の延長のような雰囲気だ。

 犬耳がピンと立つ。一体何を言っているのだろうか、この人は。

 明らかにそう言う状況じゃないなと思いながら、カエデは首を傾げる。


「何ですか急に? アズマさん、何かおかしなものを食べました? あっ私、薬草丸やくそうがん常備していますよ。いります?」

「君の中で僕はどういう扱いなんですか。あと薬草丸に対するその信頼感は何なの? 確かにあれはよく効きますがね」


 するとアズマは呆れ顔でため息を吐いた。

 それからサングラスの向こう側にある少々目つきの悪い三白眼を、さらに細めて「実はね」と続ける。


「おばあ様から、そろそろ結婚しなさいって言われてしまいましてね」

「あー、なるほど。そう言えばアズマさんも、もう二十四ですもんね。確かにそろそろ考えるお歳なんですかね。篠塚家のご当主様ですし。っていうか、立候補者ならそれなりにいるでしょう」

「いやそれがね、困ったことにそういう相手は全然いないんですよ」


 アズマはうんざりした様子で軽く両手を開く。

 相手がいないと言ったがそうだろうか、とカエデは腕を組んで考える。


 アズマは結構モテる方だ。黒髪のオールバックにサングラスの三白眼、そして着物という、何かを彷彿とさせる見た目だが家柄は抜群だ。

 何せ彼は『怪域』という日本の中央――その裏側に存在する、モノノ怪たちが住まう領域の治安維持を任された篠塚家の、若き当主なのである。


 篠塚家は長きに渡り、人とモノノ怪の橋渡しをしてきた。

 だからその当主であるアズマも、人やモノノ怪からモテている。その姿を従者として常に傍にいるカエデは、それをずっと見てきたのだ。


 そんなアズマが「結婚したい」と望めば、我先にと候補者が集うはずである。

 それなのに相手がいないなんてぼやくとは、一体どういうことなのか。

 カエデはしばし考えて、自分の主の唯一で強烈な欠点を思い付き、ポンと手を叩いた。


「あ、なるほど! ついに口の悪さがあちこちに露呈しましたか!」

「おい」

「ああ、も~。だから常日頃から、言動には気を付けてくださいねって言っていたのに~」


 呆れ半分、同情半分の眼差しをアズマへ向ける。


「いや~、そうなんですよ。ついうっかり零してしまいまして……って違いますからね! そんなヘマなんてしませんよ!」

「そうなんですか?」

「あのねぇ……カエデさんには僕がそんなに間抜けに見えているのですか?」

「間抜けには見えませんが、しそうなんですよ。したでしょ、実際に」

「………………しましたけど」


 アズマはたっぷり時間をかけて小さく呟くと目を逸らした。


「ま、まぁ、それはいいんですよ。それでですね、結婚しないと当主から下ろすって言われて……」

「あら、結構な大ごと。次の当主は誰になるんですか?」

「待って? 普通に当主を下ろされる前提で話さないでくれます? まだ決まったわけじゃないですよ?」

「相手がいないんでしょ?」

「いないからカエデさんに頼んでいるんじゃないですか」


 じとり、とアズマはカエデを睨む。

 唐突なプロポーズの理由にようやく合点がいって、カエデはなるほど、と呟く。

 アズマは当主の座を守るための苦肉の策として、カエデを選んだようだ。


(それにしても結婚かぁ。人と犬のモノノ怪の血を引く半妖の私が結婚を申し込まれるとは……)


 理由はともかく、生涯独身だろうなぁとぼんやり思っていたものだから、棚から牡丹餅のような話である。

 ふさり、と自慢の尻尾が揺れた。


「もちろんフリで構いませんし、何か特別なことをしろなんて言いません。まぁ、そうですね……いわゆる契約結婚、みたいなものです。僕を助けると思って頼まれてくませんか?」


 顔の前で両手を合わせて頼むアズマを見て、そんなに困っているのかと思い、


「分かりました」


 と、カエデは頷いた。


「えっ、いいんですか⁉」

「ご自分で頼んでおいてそんなに吃驚します?」

「いや、その……まぁ、ダメ元だったので……。繰り返しますが、本当にいいの?」

「いいですよ。困った時はお互い様ですからね」

「それは使い方が違う気がしますが、いやぁ、助かります!」


 アズマがパッと笑顔になる。

 普段、人相が悪いだの目つきが悪いだの言われるアズマだが、笑顔はとても晴れやかで、この表情がカエデは好きだ。


(アズマさんにはいつもこんな風に笑っていてほしいものです)


 カエデがしみじみとそう思っていると、


「あーはっはっはっ! これで当主の座は安泰だ! だぁーれが他の奴に渡すか!」


 当の本人が高笑いを始めて、カエデは苦笑交じりに肩をすくめる。

 まぁ、主が満足しているならばそれでいいか。アズマが幸せになるのを見届けるのが、自分のやりたいことだから。


 カエデはそんなことを考えながら、アズマの高笑いをしばらく眺めていたのだった。

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