第30話 夢と現実

 翌日、また真奈美がお見舞いに来てくれた。大変だから気にしなくていいと伝えたけれど、敗退して暇だから大丈夫と言われた。嬉しいような悲しいような。


 今は二人で病院を散策している。歩行器を使えば、介助無しでゆっくり歩けるようになった。誰もいない自販機の前で何を買うか迷いながら、私はずっと気になっていたことを尋ねることにした。


「真奈美、変なこと聞いていい?」

「いいよ。何でも聞いて」


真奈美が頼もしい顔で拳を前に出して言った。私は意を決した。


「あの、一年生って八人入った?」

「入った、けど」


 言われた真奈美の表情が変わる。私は慌てて両手を振った。


「大丈夫、記憶喪失とかそういうのじゃないから。ただ、夢を見て」

「夢?」


「うん。二年生の初めからの毎日。それで、どこまでが現実にあったことの回想で、どこからが夢が作り出した幻なのか分からなくなっちゃって」


 早口で説明していたら、急に涙が一粒転がった。それに一番驚いたのは私だった。泣きたかったわけじゃない。それなのに、何故。


 真奈美が私を抱きしめる。


「大丈夫。一つ一つ整理しよう。不安なこといっぱいあると思うけど、咲菜は一人じゃないよ」


 私は、目覚めて初めて現実を実感した。


 そうだよね。私は一人じゃないんだ。真奈美も、お母さんもお父さんも、部活の仲間も。沢山の仲間がいる。ここで負けてなんかいられない。


 横のベンチに座り、私は覚えている限りのことを真奈美に説明した。二年生になったこと、一年生が入ってきたこと、コンクールの練習をしたこと。一つだけ言わなかったことがある。自由曲のソロに選ばれたことだ。こればかりは夢の出来事だと分かるから。


 その結果、予想通り私は信号無視の車に轢かれたと言われた。真奈美が止めてくれた時のことだ。実際は立ち止まることができず、横断歩道に足を踏み入れてしまっていたのだ。


 それまでの夢は、ソロのこと以外回想だったのかもしれない。毎日部活で楽しくて、夢の中でも部活をして、意識不明という大変な状況なのに私自身はずいぶん呑気だった。そこでふと、あることに気が付く。


「じゃあ、真奈美は私の事故直接目撃したってことだよね。ごめん……怖いところを見せちゃって……」


 目の前で友だちが車に轢かれるなんて、一生忘れないくらいのトラウマものだ。悪いのは車だけど、真奈美にひどいことをしてしまった。


「いやいやいや、全然気にしないでいいから。というか、咲菜の方が酷い目に遭ってるんだよ。とにかく、私は大丈夫だから」


 両手を強く握られて力説された。そっか、その時の記憶が無いから他人事になっていたけど、私って結構酷い目に遭ってるよね。それこそトラウマ級の。覚えていなくてよかった。


「そういえばね、信号無視の車、轢き逃げしたけどちゃんと捕まったから安心して」


「うわぁ、信号無視な上轢き逃げしたんだ。最悪だね」


「そう、最悪な人なの。咲菜のこと傷つけたんだから、ちゃんと罪を償ってもらわないと」


 真奈美が何度も頷く。こんなに大事になっていたのか。でも、ちゃんと捕まったって言っているし、私がこれ以上何かすることはないかな。あとの諸々はきっと親が頼んだ弁護士さんあたりが何かしてくれるでしょう。特に恨みも無いし。


「傷も付いちゃったんだよ」

「え、どこ」

「頭。数針縫ったって。そこだけ髪の毛も剃ったみたい」


 言われて頭を撫でてみると、違和感のある場所を見つけた。


「ええ……あ、ここだけ短い。でも、少しだから全然分からないね。見えないところならいいよ」

「心広いねぇ。私なら地の果てまで追いかける」


 真奈美が両腕を動かして走る真似をする。私はそれがおかしくておかしくて、声を上げて笑った。ああ、ちゃんと笑えるじゃん。


 大丈夫だ。前を向いている。


「退院の日決まったんだってね。おめでとう」

「ありがとう。でも、まだ筋力弱いから、家でも筋トレ頑張らないと」

「いっそムキムキになったら?」

「無理だって」


 いつだって真奈美は私を元気づけるのが上手い。


「あ、じゃあ田尻君いるんだ。元気?」

「いるいる。相変わらずだよ、ケンカ手前みたいなのしょっちゅう。相手が女子の先輩だから余計なのかね」

「あら~」


 田尻君の話になって、笑顔で終わることができた。ごめん、笑っちゃって。でも、相変わらずか。

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