第41話:囚われの身_1


 石棺の守り手が崩れ落ちた後、古城の空気は更に重く淀んでいた。壁や床のあちこちに血と黒い体液が飛び散り、異形との死闘の余韻が、まるで呪いのように空間にまとわりついている。あれだけの大きな異形を倒したのだ、少しくらい良い方向に空気が変わってもいいだろうのに、この古城はそれを許してはくれなかった。


 しかし、涼は立ち止まっていられなかった。――だって、また、あの声が――


「……涼……たすけて……」


 圭介の声だ。間違いない。しかも先ほどよりも明瞭で、確実に近くから聞こえた。


「この先だ……きっと圭介が囚われてる部屋がある!」

「落ち着くんだ、涼君」


 すぐにでも駆け出しそうな涼の肩を一条が押さえる。


「声が聞こえるということは、まだ意識がある証拠だ。だが、安易に飛び込めば先にこちらが死ぬぞ」

「でも、時間が……圭介だって、榊原さんみたいに……!」

「その可能性があるからこそ、冷静でいるべきだ。圭介君を助けるなら、まず状況を把握するんだ」

「……」


 涼の声は震えていた。冷静でいられるわけがない。圭介は助け出した時点で、既に瀕死の状態だったのだから。しかし、涼をジッと見つめる一条の目には、光が宿っていた。『圭介君は絶対に大丈夫』とでも言いたげな、明るい光が。

 涼は唇を噛み、不安を飲み込んで力強く頷いた。


「わかった……一条さん、頼む」


 一条は小さく頷き、懐から古びた羊皮紙のようなものを取り出した。それは、彼がまだ涼たちと合流する前、神伏村の廃屋で見つけたものだった。涼たちが幾つか紙や本を見つけていたのと同じように、彼もまた断片的にちりばめられたこの村の秘密を、その手にしていた。


「この古文書は、胎主を安置する古城の地下構造を記したものだ。正確ではないが、主要な通路と隔離室の配置が記されている」


 一条は小さな懐中電灯の光に地図をかざした。


「見てくれ、この南棟の奥。ここに【供物の間】と記されている」


 一条が指差した。


「供物の間……?」


 美咲が小さく呟く。


「初めは穴の中に入れていた供物だったが、この城ができてからはここへ囚われていたらしい。……研究で使うようになったのは、比較的早くだと思う。胎主に捧げる生贄や、研究中に異形化する前の実験体が収容されていた部屋だ。榊原が【糧】にされたのも、元々こういう部屋が起点になっている。何か所かあるんだろう。初めに儀式に使われた供物の間と、実験で使われた供物の間が」


 一条は真剣な声で続ける。


「圭介君は、この村の人間じゃない。であれば、北条さんが言っていた『胎主は母を求めている』の【母】には当てはまらないだろう。とすれば……可能性があるのは贄のほうだ。千賀さんも行っていたが、この村以外の人間も、最終的には贄にしていたというのなら、今この状態で同じことをしていてもおかしくない。……ここへやってきた、他のメンバーの姿も併せてね」


 二人は、一条の話を苦い顔をして聞いていた。言いたいことはよくわかる。それに、これから言わんとする言葉も。――村で会った調査員たちも、この城で会った北条たちも、みんな生きていた。――最初、は。だが、すぐに取り込まれるか変異して死んでしまった。一部に至っては、この手でその命に終わりを与えてしまった。


 ――つまりは――


「生きている状態でしか、取り込んでもエネルギーを得られないだとか、そういう理由もあるかもしれない。とにかく、圭介君もそこにいる」

「じゃあ、早くそこへ向かわないと……!」


 焦った美咲が前に出ようとしたが、一条が腕を伸ばして制した。不安を浮かべる彼女の目を見つめて、大きく首を横に振る。


「いいから待ちなさい。供物の間は必ず何らかの【守り】がある。榊原さんが捉えられた部屋もそうだったろう? さっきの守り手が崩壊したことで、城全体の防御や呪いがが弱まっているかもしれないが、代わりに暴走した異形が徘徊している可能性も高い。それに、もっと強い異形が守り手として存在しているかもしれない」

「……じゃあ、どうすればいいんですか?」


 涼が問う。一条はその言葉に深く考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「こっちの、北条さんからもらったノートを見てみよう」


 使えるものは全て使う。使えそうにないものもだ。そうでもしなければ、次の瞬間自分の首と身体が離れていても、壁の中に溶けて消え去ってもおかしくない。


「各研究者が、実験体と異形に対して研究記録と日誌をしっかりつけていたみたいだ。流石に、こんな薄さじゃあそれは期待できないが。……ただ、彼は研究所の中でもかなり立場が高い位置にいたようだね。さしずめ、全ての研究の総責任者……といったところだろうか。後に自分に降りかかるとでも思ったのかもしれない。ホラ、ここを読んでみてくれ」


 一条に促されて、二人は彼のさす部分の分を読んだ。


 ――どの異形も、まるで赤子のように、強い光と大きな音に敏感だ。暴れるものが大半だが、中には嫌がってうずくまるものもいる。息を殺して静かに近づけば、こちらを襲うような仕草は見せない。……が、勿論全ての異形に当てはまるわけではない。それに、今後の研究の結果では、予期せぬ行動をとる異形も出てくるだろう。だが、有益な情報であることに変わりはない。今後もこれは、確認の観点として残しておく――

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