ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース
源治
01話:セル37にようこそ!
惑星プラタマの空は、今日もラビリンス領域から飛んでくるエネルギー波の影響を受けて、淡い翠色と青色が混じり合った不思議なグラデーションを描いていた。
「翠の揺りかご 青い夢 星の子ひとりで どこへ行く♪」
どこか終末的な雰囲気すら漂う、その美しい空の下。
子守唄のような歌を口ずさみながら歩く、一人の少女。
日差しよけの白い
「
ふいに、海からびゅうと吹き抜けた風が、少女のもとへ朝獲れの魚の匂いと、潮風に混じるプラーナ結晶の微かなエネルギー臭を運んできた。
少女は足を止め、風が吹いた方を見る。その視線の先には、光り輝く大海原が広がっていた。
しばらくその美しい景色に心を躍らせていると、視界の端に大きな看板が目に入る。
【第7セクター・セル37──汐凪(しおなぎ)島にようこそ!】
海風で錆の浮いた板。その上には、大きく書かれた歓迎の文字。
──第7セクター。
表面の九割以上を海が占めるこの星で、人類が暮らすことを許された七つの
その中でも最も小さく、極東の果てに浮かぶ場所。
そして、セル37。
それは、
航路図のインクの染みのように忘れ去られた、最果ての島を指していた。
少女は、目指してきた場所の名前を改めて心に刻むと、再び歩き始めた。
「銀の船こいで 涙を拭いたら
彼女が口ずさむ歌に合わせるかのように、その足取りは軽やかなリズムを刻む。
まるで心の弾みがそのままステップになったかのようで、楽しみで仕方ないという気持ちが全身から溢れ出ていた。
やがて島の港からほど近い民家の前で、少女は足を止めた。
「……ここですわね」
表札には『カミシロ』と書かれている。
何度かそれを確認した後、少女は意を決したように息を吸い込み、声を張り上げた。
「ごめんくださいましー! ごめんくださいましー!」
まるで友達を遊びに誘うかのように、大きな声で何度も呼びかける少女。
その声色からは、彼女を知らない人間が聞いても、喜びがあふれているのが感じられた。
「ごめんくださいましー!」
「なんだいやかましい!! うちの子がまだ寝てるんだから静かにしな!!」
しばらくして、威勢のいい声とともに、玄関の扉をスパーンと開いてあらわれたのは、ガタイのよい体でパーマをかけた中年の女性。
日焼けした顔には、人生の荒波を乗り越えてきた者が持つ、特有の深みが滲んでいて、目の力がやたらと強い。
「……おや、随分と可愛いお嬢さんだねぇ。うちになんか用かい?」
「あ、おさわがせして申し訳ございません。わたくし、スィラ・マクマハウゼンと申します。ジン・カミシロ様にお会いしに参りました。奥様は、ジン様のお母様でいらっしゃいますか?」
そんな相手にも、物怖じせずにハッキリ告げる、スィラと名乗った少女。
中年の女性はそんなスィラの様子に、ほう……と少し面白そうな表情を浮かべる。
「いかにもアタシがジンの母親のフミさ。しかし、あの子にお嬢ちゃんみたいな知り合いがいたとはねぇ。どういうご関係だい? まさかとは思うけど、ジンが手を出したとかじゃないだろうね?」
スィラは顔を上げ、フミの目をまっすぐに見つめ返す。
その瞳には一点の曇りもない。
「ジン様とは直接お会いしたことも、お話しさせていただいたこともございません。ですが、レース関係のお話があって参りました」
レース関係。
その言葉を聞いた瞬間、フミの顔が一瞬でぱぁっと明るくなる。
「なんだい、お嬢ちゃんあの子のファンかい! 見る目があるねぇ! ジーン! あんたにお客さんだよ! いい加減、キノコでも生えてきそうな部屋から出てきな!」
近くで聞けば鼓膜が破れそうなくらいデカイ声で、家の中に呼びかけるフミ。
実際そのすぐそばにいたスィラは、とっさに耳をふさいでいた。
しばらくして、無精ひげを生やした長身痩躯の男が、寝癖のついた黒髪を掻きながら、気だるそうに顔を出した。
その目はどこか虚ろで覇気がない。
どれくらい虚ろで覇気がない目つきかというと、二日酔いしたチベットスナギツネくらいだ。
しかしその病人のような表情とは対照的に、半袖とハーフパンツの隙間から覗く体つきは、鍛え上げられたアスリートのように引き締まっていた。
「んだよ母さん、朝っぱらから騒々しい……って、誰だ?」
スィラは男の視線を受けて、一瞬なにか感情があふれ出そうな表情を浮かべる。
だが、それをグッと飲み込むように一呼吸置いた後、嬉しそうに口を開いた。
「はじめまして、わたくしスィラ・マクマハウゼンと申します! 年齢は十四歳で、身長百四十二センチ体重は四十キロ。好みのタイプは
「ああ、うん……うん? まぁ、はい、ご丁寧にどうも。おれはジン・カミシロで年齢はたぶん三十二……いや、名前とかじゃなくてだな」
ジンと名乗った男は、寝起きの頭に次々と情報を詰め込まれ、戸惑っていた。
何から聞き返せばいいのか言葉にできずにいると、母のフミが嬉しそうに口を挟む。
「アンタのファンだってさ、丁度いいからスシでもご馳走してやりな!」
「スシ……ですか?」
「ああ、ここに来る途中に“かもめ”って書いてある看板見なかったかい? そこのスシが絶品なのさ」
「その看板なら見ました! いいですね……ジン様、スシ食べに行きましょう!」
名案、名案です!!
と言わんばかりに、パンと手を一回叩くと、自然な流れでジンの手を取るスィラ。
「は? って、つよ、この子ちからつよィッ!?」
ジンはとっさにサンダルを履きはしたものの、着の身着のままで外に連れ出されそうになり、思ったより強いスィラの力もあって、驚きの声を上げてしまう。
反射的に体重をかけて抵抗を試みるも、その小さな手はジンの腕を掴んで離さない。
はたから見るとそれはまるで、散歩したくない犬が飼い主に引きずられるようであり、ジンは少女に手を引かれるまま、家を後にするしかなかった。
汐凪島の港へと続く道は、古びた民家と、潮風に晒された露店が軒を連ねる、どこか懐かしい風景が広がっている。
ほどほどに舗装された道に、カモメの鳴き声と遠くの船のエンジン音が静かに重なっていた。
スィラは、そんな道のりを、まるでピクニックのような軽い足取りで進んでいく。
ジンの手をしっかりと握り、時折振り返っては屈託のない笑顔を見せる。
その小さな背中からは、不思議なほどのエネルギーが溢れ出ていた。
「おい、嬢ちゃん。そのだな、なんというか……」
引きずられるように歩きながら、ジンは言葉にできない不満を吐き出そうとする。
しかし、スィラの力は強く、振りほどこうにも振りほどけない。
いや、振りほどけるかもしれないのだが、子供相手に本気を出すのは、さすがに気が引けたのだ。
「説明はのちほど、もうすぐ着きますわ。ジン様のお好きなものを、いくらでもご馳走いたしますので、もう少しだけご辛抱ください」
スィラは悪戯っぽく笑い、ジンの手をさらに強く引いた。
やがて二人がたどり着いたのは、港の片隅にひっそりと佇む小さな食堂だった。
年季の入った木の看板には「かもめ食堂」と書かれている。
店内はカウンター席とテーブル席が数席あるだけのこぢんまりとした造りだが、清潔に保たれており、どこか温かい雰囲気が漂っていた。
「いらっしゃい! ……おや、ジンじゃないか。珍しいね、こんな若いお嬢さんと一緒なんて」
カウンターの奥から顔を出したのは、店の主人である気のよさそうな顔つきの老人。
ジンとは顔なじみらしい。
「まぁな、ちょっと野暮用で……」ジンは曖昧に答える。
スィラは慣れた手つきでカウンター席に腰を下ろすと、隣の椅子を軽くポンポンと叩き、ジンも座るよう促した。
その様子を見て、ジンは悩む。
なぜか、ここで座るか座らないかで、自分の人生が分岐しそうな気がしたからだ。
というかこの少女は何なんだ?
自分のファンと母親は言っていたが、果たして本当にそうか?
おとなしく隣に座って、大丈夫なのだろうか?
そんな疑問が次々と浮かぶ。
が、ここで座らなかったとしても、なぜかもう一度同じ状況に持ち込まれそうな気がする。
そんな妙な圧力が、目の前の少女から感じられるのも確か。
結果、ジンはしぶしぶとスィラの隣に座ることにした。
「ジン様、なににいたしますか? あっ、わたくしはこのジャンボカイセンドンというのをお願いします!」
「あいよ!」
「朝からか? けっこうボリュームあるぞそれ……」
「はい。美味しいものは、いつ食べても美味しいのです」
「いや、そうじゃなくてそもそもの量がだな……」
「へいお待ち!」
「ありがとうございます!」
「作るの早くない!?」
ジンの驚きをよそに、スィラの目の前にドンと置かれた大きな器、盛られた色とりどりの海の幸。
内海で獲れた新鮮なネタは、どれも微かな輝きを帯びているかのように艶やかで、口に入れるととろけるように甘い。
実際スィラは、一口食べたあとに電気が流れたように一瞬固まり、そのあと小さな口で黙々と頬張りはじめる。
ジンはそんな様子を見て、目の前の少女が一体何者なのかという疑問を、ますます深める。
なぜ自分をここに連れてきたのか。
そして、自分に何を望んでいるのか。
美味しそうに食べる少女を止めるのは、少し気が引けたが、ジンは聞かねばなるまいと口を開く。
「で……いい加減教えてくれ。お嬢ちゃん誰だよ」
「もぐもぐもぐ……じゅこしょうかいしゅましたよね?」
「もの食いながらしゃべるな……いやまあ、スィラだったか。言い直す、俺になんの用だ?」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」
「もの食いながらしゃべるなとは言ったが……よく食うな」
「ゴクン……すみません、このカイセンドンという料理がおいしすぎて……。これがスシというものなのですね」
「いや、スシはそのカイセンドンに乗ってる魚の切り身に、コメを……あー、いま嬢ちゃんが食べてる白い粒粒な。それを固めてブロックにしたやつの上に、魚の切り身を乗せた料理だ」
「なるほど……サイズで名前が変わるなんて不思議ですね。こちらはこの島の郷土料理なのですか?」
「ちがう。この星に移民してくる前。おれらのご先祖様が住んでたはるか遠い星、そのどっかのコロニーの料理らしい。この島にはその系統の血筋がいまも残っててな、うちのオヤジも……って、いや、だから……」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」
「……よく食うな」
「ゴクン……すみません……」
「……わかったよ、説明はあとでいい。別に急がんし、喉詰まるからゆっくり食べろ」
「はい、ありがとうございます。ジン様もお好きなものをどうぞ頼んでくださいまし。先ほど申し上げましたように、ここはわたくしが、ご馳走させていただきますわ」
「食ったあとに、断りづらい要求するつもりじゃないだろうな?」
「……もぐもぐもぐ」
「……おやっさん、カルフォルニアロール頼む。一番安いの」
「あいよ! お待ち!」
「だから早いって!?」
「おいしそうですね、それもスシですか?」
「……スシだ」
恐らく、多分。
「おいしかったです、また食べたいです」
食事を終え、熱いお茶をすすりながら、スィラはようやく口を開いた。
「ほんとによく食ったな。おやっさんもビビってたわ」
「いまさらなのですが、お知合いですか?」
「“人間”は百人もいない小さな島だからな、大体知り合いだよ。まあオヤジがここに魚卸してる関係もあるが……それよりもだ、嬢ちゃん。そろそろ本題に入ってもらおうか。俺を連れ出した理由はなんだ?」
スィラは湯呑を静かに置くと、真剣な眼差しでジンを見据えた。
「はい。ジン様をお連れしたのは、他でもありません。わたくしのレースチームに、
「……は? レースチーム?」
ジンは思わず聞き返した、自分の聞き間違いかと思ったのだ。
「はい。わたくし、スィラ・マクマハウゼンがチーム代表を務めます『エメラルド・アイ』です」
「聞いたことねぇな、そんなチーム」
「それは当然ですわ。なにしろ、先日立ち上げたばかりなのですから。メンバーは、いまのところわたくしとジン様の二人だけです」
スィラは悪びれる様子もなく、にっこりと微笑んだ。
その笑顔は、どこまでも無邪気で、しかし同時になにか底知れないものを感じさせる。
具体的には、すでにジンが当然のようにメンバーに組み込まれてるあたり。
ジンはため息をついた。
そもそもの話、十四歳の少女がレースチームを立ち上げたという時点で、なかなかに異常だ。
仮に、どこかのご令嬢の道楽だというなら、まったくあり得ない話ではない。
だがそうだとしても、付き人の一人もいないというのは、あまりに不自然だ。
かといって、こちらを騙そうという気配はみじんも感じられない。
「おいおい、冗談だろ? 俺はこのまえチームをクビになったばかりの、うだつの上がらねぇブレーダーだ。そんな俺をスカウトして、どうしようってんだ?」
よくわからなくなってきたジンは、とりあえず断りの理由を挙げることにした。
自嘲気味にそう告げたジンの言葉を聞き、スィラは首を横に振る。
「ジン様は、ご自身を過小評価していらっしゃいます。わたくしは、レースでジン様の走りを見て、確信いたしました。あなた様こそ、
その言葉に、ジンはやれやれと言ったように溜息をこぼす。
「この星で最高のブレーダー、ね。いくら何でもそりゃ盛りすぎだ。第1セクターにいたなら、『ホワイト・ジャベリン』のアーサー・ペテルギウスの名前くらいは聞いたことあるだろ。ああいうのがこの星最高のブレーダーってやつだ。俺はそんな大層なもんじゃないよ」
ジンは目を伏せ、湯呑に残ったお茶を眺める。
その水面には、彼がいままで味わってきた、栄光と挫折が揺らめいているように見えた。
スィラは、そんなジンの心の揺らぎを見透かすように、静かに言葉を続ける。
「いいえ。ジン様は、間違いなく最高のブレーダーです。ただ、いまはその翼を封印していらっしゃるだけ。そして、羽ばたくときを待っていらっしゃる」
その言葉は、まるでジンの心の奥底に直接語りかけてくるようだった。
ジンは思わず顔を上げ、スィラのグリーンの瞳を見つめ返す。
その瞳は、一種の確信の光を宿しているように見えた。
スィラはおもむろに、その小さな両手でジンの大きな手を包み込む。
「ジン様。わたくし、あなたに一目惚れしたのです」
「……は?」
一目惚れ? この少女が、自分に? あ、いや……ブレーダー的な意味か?
スィラは、ジンの困惑を意に介さず、力強く言葉を紡ぐ。
「あなた様の走りを見た瞬間、わたくしは確信しました。この方となら、きっと辿り着ける。あの、誰もが夢見る場所“ティールタ”へ……!」
スィラの瞳が、熱を帯びて輝きを増す。
「ジン様! わたくしと共に、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます