希少な女エルフをダンジョンで戦わせるのか!? ~絶対に目立ってはいけない最強の弓遣い~
氷見錦りいち
マイナス第500話
(そろそろ戻らなきゃ……かな)
キャナディがそんな風に曖昧な決断をしたのは、
正確には、サイクロプスの眼球を射抜こうと弓を引いた時に感じた違和感がそう決断させたのであって、キャナディ本人に絶命の危機感だとか、痛みへの恐怖なんてものは一切無い。
この時点で既に百体以上のサイクロプスを射殺してきた
(予備の弦はもう無かったはずだし……潮時だよね……)
頭の中でバッグの中身をまさぐりながら、弓弦に余計な負担がかからないギリギリまで絞る。
今のキャナディにとって、眼前に迫るサイクロプスよりも弦の方がずっと死活問題だった。
「ギャアアアアア――ッ!」
矢が眼窩に深く沈み、巨体が崩れ落ちた。
勝利の余韻に浸る間もなく、キャナディは使い慣れた長弓の弦を確かめる。指から伝わるわずかな緩みが弦の損耗を教えてくる。
(これ以上は危ないし……戻っても村長は怒らないよね……いや、怒るか……。でも命は惜しいし……)
心の中でだらだらと言い訳を並べながら、巨人の眼から二本の矢を引き抜く。返り血を軽く振り払い、矢筒に収めると、精霊の風を頼りに洞窟の出口へ歩き出した。
キャナディの暮らすエルフの集落から少し離れた崖下に、ひっそりと隠れるようにこの洞窟はあった――先日の地震で隠れていた入り口が顔を出したと言うのが正しいか。
集落の警護役を務める彼女にとって、ここは本来無縁の場所なのだが、村長直々の調査依頼ということで、意気揚々と調査に乗り出した。
彼女は娯楽に飢えていた。
退屈な日常に飽いていた。
そんな中でこの話は渡りに船だった。
キャナディにとって予想外――そしておそらく村長にとって想定外の誤算――だったのは洞窟の特徴だ。
地下迷宮とでも言うのか、どこまで歩いても終わりが見えない。
それでいて、光源が無いにもかかわらず常に昼間のように明るく、一定の距離ごとに綺麗な水源が用意され、食用植物や外から紛れ込んだのかイノシシ等も住みついている。おかげで飢えることはなかったが、昼夜の区別がつかず、最初の数日は眠ることにも苦労した(服で顔を覆えば済む話だと気付いた時には、己の馬鹿さ加減に気を失うように眠った)。
昼も夜も分からないことを除けば、キャナディには住み心地の良い環境だった。
知らないことや分からないことに溢れていて、いくら調べても誰にも咎められない。また、あちこちに点在する人工的な間仕切りや階段の存在が、彼女の好奇心や探求心をどこまでも刺激した。
どこからともなく湧いて出るモンスターさえも、彼女の前では「集落を守るため」の口実となった。
おかげで彼女は五年間、一度も洞窟から出ることがなかったのだが、こればかりは長命種特有の時間感覚のせいだろう。
風の精霊を頼りに出口へと向かう。
彼女が長く深く洞窟に篭っていられたのは精霊のおかげだ。精霊がいれば風の流れを掴め、掴めれば出入り口がどこか分かる。あれほど大きな入り口だ。たとえ崩れても出られなくなることはない。その余裕が無ければさすがのキャナディでもここまで長く調査は出来なかった。
長い緑髪が精霊の風に揺らされる。
一本に束ねていた紐がいつの間にか切れていたらしい。そんなことにも気付かない程、キャナディの心は洞窟に執心していた。文字通り後ろ髪を引かれる思いだ。
(戻ったら村長に報告して……その前に一旦水浴びしよ。そんな格好で来るな! なんて怒鳴られてしまう……)
調査中、身体を洗うことは一度もしなかった。洗っても着替えは無いし、そうでなくとも身嗜みには元から不精気味だった。
容姿端麗なエルフの中でも特に肌は綺麗で、同性が見惚れるほどの美貌を持っているのだが、その性格が災いし、方々から叱られることは日常茶飯事。世話を焼かれることはしょっちゅうで、彼女が非番の日は着せ替え人形にされる事も珍しくない。
それを受け入れていたのはキャナディの器の大きさではなく、文句を言ってトラブルになるのが面倒なだけである。
興味の無いことにはとことん不精、それがキャナディというエルフだった。
久しぶりに見た外の光に混じり、パラパラと石を打つ雨音が聞こえる。出口はもうすぐだ。
名残惜しそうにキャナディは今来た道を振り返った。
(……遠くないうちにまた来れたらいいな)
未だ消えることの無い探求心を胸に秘め、洞窟を出ると、音の通り小雨が降っていた。この程度なら雨宿りなんてせずとも帰れる。もっと降ってくれれば身体も洗えたのに。
なんて、詮の無いことを考えながら森を抜け、集落へ戻って――
「……あれ?」
戻れなかった。
道を間違えたとか、そんなことはない。
一度しか通ってない道とは言え、村の場所までを間違えたりはしない。不精なだけで記憶力は悪くない。
ただ。
何も無い、真っ新な更地になっていただけで。
「……あれ?」
首を傾げ、それから警護を務めていた頃の様に集落の外を見て回る。
更地の外側の光景は、確かに見覚えのある景色だった。
「おーい!」
か細い声を張り上げ、かつての仲間を呼んでみるが当然返事は無い。
呼応するように、雨足だけが強まった。
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