第10話 弓の真骨頂
「合言葉を決めておきましょう」
就寝前、涼女は思い出したように言った。
九帖間に布団を並べて寝るのはいつものことだが、相手が違うのは初めてだ。
「な――なんの?」
「スタングレネードを使うタイミングですよ」
「使うタイミング……?」
「ええ。出来れば使いたくはありませんが、今後――いえ、もしかすれば明日使うことになるかもしれません。そのための合言葉です」
「別にいらないだろ……――ああいや、分かれば何でもいいって意味だぞ? 急に使われたら絶対にビックリするから……」
「ビックリで済んだらいいですけど、動けなくなる可能性の方が高いですよ。明日は遮蔽物なんてほぼありませんから」
「…………」
「どうしました?」
「……スズメってさ」
「はい」
「自分の身を大切にしないよな……」
「こんな仕事に就いてますからね。惜しんでたら助かるものも助かりませんよ」
「そ――そういう生き急ぐような生き方、私はあんまり感心しないな……。いや、否定するつもりはないんだけど、やっぱり自分の身は大切にしてほしいって言うか……寝る前に、何でこんな話してるんだろうな……」
「合言葉の話だったんですけどね」
「そうだったな……。簡単で分かりやすい言葉があれば……あ、一個あったぞ。たぶんピッタリだ……と思う」
「なんです?」
「ままよって言葉」
涼女の声に――キャナディは握っていた矢を慌てて離し、目を瞑って耳を塞いだ。
一拍遅れてまばゆい閃光。
部屋全体を揺るがす轟音。
強烈な一撃だった。
目を瞑って、サングラス越しでもなお分かる光量。
精霊魔法で音はある程度分散させられたが、それでもスタングレネードの暴力性は嫌と言うほど理解させられた。
世界に静寂が訪れ――時間にして三十秒にも満たない時間だったが、体感ではもっと長い――キャナディはようやく目を開け、
「――んん!?」
車一台丸呑みしてしまえそうな巨大なワームが目に飛び込んだ。
身体は蛇のように長く、全体的に土色で、上下は無いのか口は丸い。その内側全てに白く鈍い歯が螺旋状に並んでいる。
ひと言で表すなら茶色いヤツメウナギ。
時折ぴくぴくと身体を痙攣させるのでまだ生きている――のだろう。
グロテスクな口の中が弱点だと涼女は言っていたが、果たしてこの口のどこが弱点なのか。
検分している暇もないので――涼女が呑み込まれていないとも限らない――矢筒から三本さっと拾うと、そのまま口の奥――歯の終点めがけて撃ち込んだ。
ビクン、と身体を大きく震わせると、それ以降動かなくなった。どうやらこれで討伐できたらしい。姿から察するにこれがダンジョンワームなのだろう。
「スズメー!」
キャナディは出せる限りの大声を張り上げた。ここ一ヶ月、それなりに声を出してきたキャナディの声量は着実にレベルアップしていたけれど、スタングレネードの後ではどうにも心許ない。
ダンジョンワームの死体を迂回すると――涼女が倒れていた。
「す――スズメ!」
涼女は仰向けになって、身体を投げうつように倒れていた。左脚が変な方向に曲がり、愛用のサングラスも近くに落ちている。
キャナディは慌てて駆け寄ると、涼女の身体を揺すった。
気を失ってる人間の接し方は研修中に習っていたけれど、そんなことにまで気が回るほどキャナディの精神は老成していなかった。
「大丈夫か! スズメ!?」
「――き て すよ」
涼女は目を開け、口をパクパクと動かした。
どうやら反応できる程度には意識を取り戻したようだ。声が上手く出せないのはスタングレネードの音をモロに食らったせいだろう。
「いてててて……」
「大丈夫か……?」
「ええ、なんとか……」
言いながら、涼女はキャナディの手を借りて、ゆっくりと身体を起こした。それからサングラスが無いことにようやく気付き、手探りで探す。
キャナディは手の届かない位置にあったサングラスを拾うと、涼女に渡した。
「そ、そんなに大事か……」
「無かったらまだ起きれてませんからね」
涼女は笑顔で嘯く。
無理をしてるのが分かる硬い笑顔だったが、キャナディは何も言わない。無理をしなければきっと、笑えることも無かったのだろうから。
ともあれ、これで図らずもダンジョンをクリアしてしまった。ここにはもうモンスターはいない。戦斧を弓矢で弾き飛ばした時点でミノタウロスも倒してある。一度車に戻って休憩すべきだろう。
キャナディがそう提案すると、
「ダメです」
涼女は反対した。
拒絶と言ってもいいくらいにハッキリとした物言いだった。
「だ、駄目って……別に急ぐ仕事でもないだろ……?」
「そうじゃないです」
涼女は険しい顔をして言う。
「明らかにおかしいんですよ」
「ま、まあ、それはわかるぞ……。二日連続でこんなことになれば、明らかに異常だよな……」
「そうなんです。極めつけはアレです」
涼女はそれを指差した。
今も機械的に足音を鳴らし続けるラジカセを。
「……あ、えーっと……?」
キャナディはラジカセを見たことがなかった。
それでもエンドレスで音を流していることだけは分かる。
「……つまり?」
「足音を流し続けるラジカセなんて、人為的でもなければあり得ません。つまり、予想通りの罠なんです」
「――知ってて入ってくるなんて、頭おかしいんと違う?」
ひゅんぴゅんびゅんしゅんじゅん――と。
絶妙に音の違う、不快な風切り音と共に――罠を仕掛けた首謀者が現れた。
小柄な背丈に、学校の制服と思しきブレザーにプリーツスカート。
トレードマークのアクセサリーは無い。
代わりに、先が八本に枝分かれした鞭を二本――両手で自在に振り回して不快な音を鳴らす。
「鳩待峠……っ!」
「そんな座った状態でドス利かせても怖くないって」
余裕たっぷりの態度で、鳩待峠は笑う。
「いやはや、宮仕えってのも大変やね。昨日の今日でこんなところに来るなんて、上の人間は頭おかしいんと違う? まー同情するわ。にしても、さっきのスタングレネード、ほんとビビったわ。まだ頭がキンキンするって」
「そのおかしな鞭のせいじゃないんですか?」
どうやら涼女も不快だと感じていたらしい。
キャナディは意識して
「一体、どんな手を使ったのか教えてもらえませんか?」
キャナディの肩を借りて涼女はようやく立ち上がると、六尺昆を杖代わりにして気丈に振舞う。
「何を教えてもらいたい? スリーサイズから連絡先まで、冥途の土産に教えたるよ」
「そんな言葉、今時古臭いですよ」
「『ままよ』に比べたら全然新しいやん?」
「ふ、古いのか……」
人知れず傷つくキャナディ。
「それに一度でいいから言ってみたかったんよ。冥途の土産って言葉。そういうコンカフェで働けば言えるんやろうけど、そういうまっとうな仕事にゃ就けんからな」
「……どうやってモンスターを操ったんですか?」
「ん? そっちから行くん? どうしてこんなことを――とか、聞きたいことあるやろ」
「はん。誰に頼まれたのかなんて、そんな予想ができることしませんよ。ところで、冥途の土産って言うのならその鞭、下しちゃくれませんかね。さっきから目障りなんですよ」
「断るわ。止めた瞬間に射抜かれちゃたまらんからな」
「まるで、振ってる限りは効かないみたいな言い草ですね」
言って、キャナディに顔を向ける。
キャナディは「え――え?」と困惑したが、会話の流れからどうやら敵対関係にあることを察し、肚を決めて弓を絞ると、膝下を狙って放ち――
ぱちーん
そんな小気味いい音と共に、矢はあっさり叩き落とされた。
初の体験だった。
全力でこそなかったものの、それでも叩き落とされるような威力ではなかったはずだ。簡単な鎧なら貫通するだけの威力はあったと確信している。
キャナディはもう一度――今度は弓が真円になるほど強く引き絞り、腕を狙って放った。サイクロプスを射た時よりも遥かに速い矢はしかし、
ぱちーん
小気味よく叩き落とされた。
キャナディの矢は完璧に対策されていた。
「音速超える十六本の鞭に、そんな長い矢が敵うわけないやろ」
鳩待峠は勝ち誇ったように嘲る。
「サイクロプスを屠った時はさすがにビビって漏らすかと思ったけど、所詮は音速の半分も出ない弓矢、敵じゃないわ」
「…………っ!」
「スズメ……あいつ、強いぞ……!」
言葉を失う涼女に対し、キャナディは大してへこたれていなかった。
自慢の弓矢を完全に無力化されたというのに、気にする様子もない。かといって、戦闘狂のように強敵に打ち震えるわけでもない。
ただ、ありのままに事実を受け入れている。
自分を『そこそこ強い』と認識してるからこその平常心だった。
上には上がいて当然。
弓を愛してやまないが、完全無欠な武器だと思ったことはない。
完璧な武器なんて存在しない。
そんなキャナディだからこそ、対策法はすぐに見つかった。
キャナディはもう一度、奇を衒うことも工夫を凝らすこともせず、ごく自然に矢を掛け弓を引き分ける。
鳩待峠はそれを見て、鞭を一層早く振り回した。
十六本の鞭による、最速にして絶対の防御。
それに対し。
キャナディは弓を引いたまま、放つことなくじっ――と溜める。
どちらの体力が先に尽きるかの我慢比べ。
エルフの前では人の時間は刹那に等しい。
ゆっくりと呼吸をし、静かに待つ。
溜めて。
溜めて。
溜めて。
溜めてタイミングを窺い。
牽制をかけて体力を奪い。
集中して呼吸を整え――
射つ!
「――っ!」
キャナディの放った矢は、一直線に右手に持っていた鞭のグリップを射抜き――そのまま吹き飛ばした。
鳩待峠の表情が驚愕と痛みに歪む。
キャナディは隙を突いて二発目を射ち、左手の鞭も射ち落とすと、弓を水平に構えつつ一気に距離を詰め――
「奥義――『
無防備な鳩尾へ、その先端を突き刺した。
___________
けん制+集中+射つ=影矢
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