異世界転生してちやほやされる、大人の女性のスローライフ ―思い出のペンダント―

五平

第1話:不思議体質の目覚めと謎の声、そして始まるちやほや生活

どこまでも続くような深い暗闇と、ひんやりとした硬質な感触の中で、リリィはゆっくりと意識を取り戻した。目を開こうとするが、まぶたの裏でさえ光を感じない。自分がどこにいるのか、なぜこんな場所にいるのか、何も思い出せない。ただ、自分の体が以前と全く違うことに、漠然とした戸惑いと、底冷えするような恐怖を感じていた。まるで、自分が自分ではないような、奇妙な感覚だった。指先一本動かせない。全身が、何かに押し込められているかのようにぴくりとも動かなかった。呼吸もままならず、胸が苦しくなる。このまま窒息してしまうのではないかと、得体の知れない不安がリリィを包み込んだ。全身の毛穴が開き、冷たい汗が背中を伝う。心臓がドクドクと不規則に脈打ち、その音だけがこの暗闇で唯一の現実のように響いた。


その時、リリィの頭の中に、静かで、しかし有無を言わせぬような声が響いた。それは、まるで遠い記憶の底から湧き上がるささやきのようでもあり、あるいは、ずっと前からそこにいたかのような、馴染んだ響きでもあった。その声は、リリィが今直面している状況を、冷静に、淡々と語り始めた。


「貴女は今、『特異点複合体』という、この世ならざる不思議な体質となりました」


声は告げた。リリィは、その言葉の意味を理解しようと、暗闇の中で意識を巡らせる。特異点複合体?そんな言葉、聞いたこともない。SF小説のような響きに、現実感がない。しかし、体の異変は紛れもない現実だ。硬質な感触、光を感じない暗闇、そして、自分の意思とは関係なく響く謎の声。どれもこれも、これまでの人生には存在しなかったものだ。声はさらに続けた。


「貴女の内部には、『無限宝物庫』と呼ばれる広大な空間が広がっています。そして、特定の条件を満たした『魅力的な男性』を、貴女の心で“取り込む”ことで、その者の持つ力を一時的に共有し、自身の能力とすることが可能です」


男性を“取り込む”?なぜそんな体質になったのか、なぜ男性限定なのか、疑問と困惑がリリィの心を埋め尽くす。まるで、今まで生きてきた世界の常識が、根底から覆されたような衝撃だった。脳の奥がズキリと痛み、思考が一時停止する。しかし、その声には抗えない、不思議な引力があった。まるで、幼い頃に見た夢に出てくる、絶対的な存在のようだった。リリィは、ただその言葉に従うしかなかった。胸の苦しさが和らぎ、全身に微かな震えが走った。まるで、新しい回路が繋がったかのように、体が命令を待っているのを感じた。


声の導きに従い、リリィの体が不思議な感覚に包まれた。ひんやりと硬質だった感触は、まるで温かい水に溶けるように、しなやかで柔らかなものへと変わっていく。全身に鳥肌が立ち、肌が空気と触れ合う感触に、新鮮な驚きを覚えた。ふわっと、何かが外れたような開放感があった。ゆっくりと目を開く。そこには、薄暗いが、確かに光のある空間が広がっていた。石造りの壁、湿った土の匂い。足元には冷たい石の床。遠くから、不気味な魔物のうなり声が響いてくる。異世界のダンジョンだということが、すぐに理解できた。


手足を動かす。指を握る。手のひらを広げる。そこには、確かに人間の肌の温もりと、柔らかさがあった。髪を触ると、以前より少し長く、艶やかな感触だ。見慣れない服だが、体にぴったりとフィットしている。自分の姿が人間の少女に戻ったことに、心の底から安堵と、かすかな誇りを感じた。それは、まるで長い悪夢から覚め、新しい自分に出会ったような感覚だった。鏡があれば、今の自分の顔を見てみたい。そんな乙女心すら湧いてくる。大人の女性へと成長していくリリィの、最初の変化が、今、始まったのだと、リリィは漠然と感じていた。自分の変化を理解しようと、体を様々な角度から見つめ、触れてみる。指先の感覚、足の裏が地面に触れる感触、全てが新鮮だった。


生きるか死ぬかの状況に、再び恐怖が湧き上がる。しかし、同時に、この新しい体で、この異世界で、一体何ができるのだろうという、抗いがたい好奇心も芽生えていた。


その時、視界の隅に、魔物に襲われそうになっている冒険者の姿が飛び込んできた。彼は、錆びついたような剣を構え、必死に魔物と対峙している。しかし、その動きはぎこちなく、今にも魔物の餌食になりそうだった。リリィは、その冒険者の姿に、なぜか目を奪われた。彼は、泥だらけで傷だらけだが、瞳だけはまっすぐで、諦めていない光を宿していた。その真剣な眼差しに、リリィの心は強く惹きつけられた。


冒険者は、リリィの存在に気づき、一瞬警戒の表情を見せた。だが、リリィの純粋な瞳と、彼が直面している危険な状況に、迷いなく手を伸ばし、助けようとしてくれた。


「大丈夫か!? 早く逃げろ!」


アレンと名乗るその冒険者が、リリィに手を伸ばし、その肌に触れた、その瞬間だった。


リリィの意識は、まばゆい光の中に引き込まれた。視界が歪み、時間すらも意味をなさないような感覚。一瞬の浮遊感。そして、アレンの温かい感情が、まるで穏やかな波のように、リリィの心に流れ込んでくるような感覚。それは、決して不快なものではなく、むしろ、心地よい一体感だった。アレンの記憶の断片が、まるで古いフィルムのように脳裏を駆け巡る。剣を振るう彼の姿、仲間を励ます声、かすかな焦燥。それらの感情と記憶が、リリィの意識と混じり合っていく。


意識が戻ると、アレンはなぜか記憶の一部を失い、恐怖に顔を引きつらせて逃げ去っていく。リリィは混乱の中、身体の奥底から、確かにアレンの剣術スキルがほんの少しだけ自分に宿ったことを感じ取った。まるで、長年使っていた自分の手足のように、剣の感覚がする。戸惑いながらも、この「体質」が、この異世界で生き残るための、大切な力になるのかもしれないと直感した。この力が、自分を新しい世界へと導くのだと、漠然とした予感を抱いた。


力の獲得後、リリィの意識が集中する度に、彼女の心象風景とリンクした「不思議な内部空間」が、視界に開けるようになった。そこは、まるで星が瞬くような天井を持つ、広大な邸宅のような空間だった。豪華な調度品が並び、きらびやかな装飾が施されている。壁には、見たこともない種類の宝石や、眩い輝きを放つ財宝が、まるで飾り付けのように散りばめられている。足元には、ふかふかの絨毯が敷かれ、どこからか甘い花の香りが漂ってくる。


その空間の奥には、アレンの姿を模した分身、「残滓」が具現化していた。アレンの残滓は、リリィ(人間姿)に対し、常に好意的な態度をとり、まるでアイドルかお姫様のように、ちやほやし始めた。


「お嬢様、ご無事でしたか! ああ、そのお姿、なんてお美しい! この世のどんな宝石よりも輝いていらっしゃいます!」

「何かお困りですか? 喉は渇いていませんか? お腹は空いていませんか? このアレンめが、何なりとお申し付けください! お嬢様のご命令とあらば、この身を捧げましょう!」


リリィは戸惑いつつも、この空間が自分のために作られた「おもてなし空間」のようなものだと認識した。残滓たちは、リリィのわずかな表情の変化も見逃さず、すぐに褒め言葉を口にする。喉が渇いたと少しでも思えば、たちまち冷たい果実水が差し出される。足が疲れたと感じれば、ふかふかの椅子が用意される。まるで、自分の思考を読み取っているかのような、完璧なサービスだった。


この不思議な転生ライフが悪くないどころか、ひょっとしたら最高に幸せなのでは?リリィはそう感じ始めた。そして、謎の声が、リリィの心にそっと語りかけた。その声は、もはや恐怖を煽るものではなく、まるで、新しい物語の始まりを祝福するかのようだった。


「新しい世界に触れる準備ができました。貴女の物語が、ここから始まります」


その言葉は、リリィの新しい人生の幕開けを、詩的に、そして優しく告げていた。

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