スペルマジックオンライン。現実と仮想世界の軌跡

北條院 雫玖

第一章 グルーデルの街

第1話 VRMMOを始めます。

 東京都立南風みなみかぜ中学校の全教室に聞こえるよう、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。同時にその響きは、全校生徒にとって始まりの合図でもあり、終わりを告げる合図でもあった。

 そう、明日から夏休みが始まる。

 担任の先生からは地獄の宿題を課せられて、生徒はいかにそれを早く終わらせて遊ぶかが重要で、自分自身のスケジュール管理が問われる期間でもある。各教室で、生徒たちの歓喜と悲痛の叫びが飛び交う中、一年二組の女子生徒、倉田くらた紗代さよは満面の笑みを浮かべながら呟いている。

「よし。明日からスペマジやり放題。マジで楽しみ。キャラレベ上げて、メインクエ進めて、金策して。何からやろうっかな」

 机の上に無造作に置かれていたノートと筆記用具を手に取ると、鼻歌交じりで通学カバンに放り込む。

 その様子を、真後ろの席から見聞きしていた佐伯さえき恵美えみは自然と笑顔になり声をかけた。

「紗代ちゃんって、本当にゲーム好きだよね。授業の時とは全然違うもん」

 紗代は立ち上がり、通学カバンを肩にかけると後ろを振り向いて、ぐいっと恵美の顔を上から覗き込んだ。

「そだよー。めっちゃ好き。目指せプロゲーマーだからね。てか、恵美もスペマジ一緒にやろうよ。絶対、面白いからさ」

「うーん。話しを聞く限り、面白そうなんだけど、さ」

 ムスッとした表情をしながら、紗代は両手を腰に当てた。

「だったら、やってみようーよ。ずっと誘ってるのに冷たいなー」

 冷ややかな視線を向けられた恵美は身体をビクッとさせ、咄嗟に腕を小さく上げて両手を左右に振った。

「ご、ごめんって。ゲームが嫌いって訳じゃないの。ただ、前にVR酔いしちゃって、それ以来ちょっと抵抗があるのね。それに、お金かかるんでしょ? そのゲーム」

 紗代は一瞬、表情を曇らせる。

「……うん、月二千円。だけど! 今なら新規登録したら三ヶ月、無料で遊べるのだ! それと、前にも言ったけど、VR酔いなら平気だよ。確かに乗り物もあるけど、マップ移動に使うだけだから車に乗ってる感覚かな。無料期間中だけでもいいからー。一緒にやろうーよー」

「でも、敵とも戦わないとダメなんでしょ? それもちょっと怖いかなって」

 紗代は首を左右に動かし、人差し指を立てて小刻みに揺らしながら力説した。

「恵美ちゃん! 無理にモンスターと戦わなくてもいいんだよ。例えば、材料揃えてアイテム作ったり、自分のお店を持つこともできる。まぁ、俗にいう生産系の分類だね。むしろ、そっちをメインでやってる人もいるぐらいだし」

 恵美は彼女の話を聞きながら、机上の限られた面積に、予め決められていたかのように置かれている複数のノートと筆記用具を1つずつ手に取ると、仕分けながら通学カバンに入れていく。ファスナーを閉めると椅子から立ち上がり、紗代に向かって一言告げる。

「え? お店、だせるの? 敵と戦わなくてもいいの?」

 紗代は一瞬、目を丸くして何度も瞬きをすると、机の上に両手をバンっとついて、恵美の顔に拳一個分まで近寄った。

「も、もちろん。お店、出せるよ! 生産系だと、色んなアイテムを作れるみたいで、バリエーションがマジで豊富みたいなの。私のフレ友達は農場をやっていて、かなりお世話になってるんよ」

「そう、なんだ。自分のお店、作れるんだ」

「気になるなら、やってみない? お店」

「じゃあ、ちょっとだけ、やってみよう、かな」

 その言葉を聞いた紗代は、胸の前で拳を力強く握りガッツポーズをして、大きな声で叫んだ。

「誘い始めて、約一週間。ようやく、私の熱意が通じたか! ようこそ、スペルマジックオンラインの世界へ! って、何でもっと早く言ってくれなかったのさ?」

 眉間にしわを寄せながら、恵美は答える。

「だって、お店が出せるのさっき初めて聞いたし、せいさんけい? ってのも初めて聞いたから。紗代ちゃんはずっと魔法がーとか、スキルがーってばかり言うもんだから、私はてっきり、敵と戦うゲームなんだとばかり……そう言うのは私、苦手だし」

 紗代は顔を真っ青にして、がっくし肩を落とし、両腕を床にぶら下げて左右に揺らす。肩にかけていた通学カバンも若干ずれて落ちそうになる。

「あ、ホント、ごめん。私、戦闘メインでプレイしてるから、ついそっちの話ばかり言っちゃってた。誘い方が間違ってた……ごめん」

 恵美は紗代の肩をポンポンと2,3回軽く叩いたあと、穏やかな口調で話しかけた。

「気にしないで。紗代ちゃんがどれだけそのゲームを好きなのか、ちゃんと伝わってるから。本当に好きなんだな、って思ってるよ」

 その言葉を聞いた紗代は、急に姿勢を正して直立状態になり、肩から半分ずり落ちた通学カバンを掛けなおして、腰に手を当てた。

「そう! そうなのよ! スペマジはそんだけ面白いの! ダンジョン攻略は楽しいし、料理も作れるの! 現実をモチーフにしてるからレシピもリンクしてるし、その再現性がハンパないの! あ、ちなみに私、料理人ね。んで、」

 意気揚々とゲームの話をする紗代の言葉に耳を傾けていた恵美だった。が、誰かからの視線を感じたのか、ふと、その方向を見てみるとクラスメート全員が紗代と恵美を凝視していた。恵美は一気に赤面して耳まで真っ赤になり、紗代の両肩をがっしり掴むと前後に揺らしながら今の状況を教えた。

「さ、紗代ちゃん。待って、待って、一旦帰ろう? ね? みんな見てるからー」

「え?」

 我に返った紗代は、教室全体を見渡した。すると、クラスメート全員から注目を浴びていた。聞き耳を立てると、「ホント、倉田さんってゲーム好きだよね」や「紗代って、ゲームの話題になるとテンション高くなるよね」とか「へぇ。佐伯さんがゲームをやるなんて、ちょっと意外だな」などの声が聞こえてきた。

「あ……」と声を漏らした紗代は、口元に握り拳を当ててコホンと小さく咳をして、くるっと回ってクラスメートに背中を向けると大声で、「みんな。よい夏休みライフを! 新学期でまた会おうね!」とクラスメートに伝えた。

 すると背中越しから、「宿題、ちゃんとやれよー」とか、「またねー紗代。ゲームばかりじゃなくて、私たちとも遊んでよね!」とか「おう、新学期でな! 思いっきり楽しめよ!」とかが聞こえて来た。その後、隣にいた恵美の腕を思いっきり掴むと強引に引っ張って、逃げるように教室から飛び出した。

 廊下を突っ走り、その途中にある階段を降りて一階に行き、職員室を通り過ぎた先にある正面玄関の靴箱にたどり着くと、紗代は掴んでいた腕から手を放す。彼女は恵美に身体を向けると、手のひらをパンっと叩いて音を鳴らし、手のひらを合わせた状態で両目を閉じた。

「ごめんね、恵美。急に大きな声出しちゃって。つい、嬉しくなっちゃってさ」

「い、いいよ。へ、へいき、わたしは。だから、気に、しないで」

 歯切れの悪い返答に、紗代は両目を開けて様子を見てみると、恵美が膝に手をついた姿勢で何度も息を吸ったり吐いたりしていて、顔が俯いていた。

「って、大丈夫? めっちゃ息切れしてるけど」

「うん。だって、さよちゃん。走るの、はやい、だもん」

「こう見えて、一応、陸上部なので。それよりも、さっきの話の続きしよー」

「うん。続き聞かせて。あと、無料期間中だけ、だからね?」

「全然おっけー。むしろ、やってみたいって言ってくれただけで、ありがとうだから!」

 

 恵美と紗代は、上履きから外靴に履き替えて校舎を出ると、雲1つない晴天から降り注ぐ太陽の日差しを浴びる。どこからともなく、セミの鳴き声が聞こえてくる校庭を通過して、所々がさびだらけになった正門を抜けたら片側一車線の道路の歩道を並んで歩く。

 アスファルトから伝わってくる熱気は道路をもやもやさせて、じめっとした暑さで衣服が肌に張り付く。シャツをバタバタさせながら、同時に呟いた。

「それにしても、あっついね。もう、夏って感じ」

「ホントだねー。教室にいた方がまだ涼しかったよ」

 額や腕、首元から汗がにじみ出てくるたびに、常備している汗拭きシートで肌を拭く。

 紗代は使い終わった汗拭きシートを、通学カバンの外側にあるポケットへ詰め込んだ。

「夏には、さらさらシートは欠かせないねー。ひんやりしてさっぱりするし」

「そうだよねー。ところで、紗代ちゃん。さっきの話の続きだけど、お店って、本当になんでもできるの?」

「うん。経営者ってサブ職業があるんだけど、それになればどんなお店も開けるみたい」

「経営者か。確かに経営者って、何でもできるイメージあるもんね。それなら、喫茶店もできるのかな?」

 紗代は周りにある建物を見た後で、恵美の顔を横目でチラッと見た。

「喫茶店って、駅前とかにある、あの喫茶店?」

「うん。実はね、将来、喫茶店を開くのが私の夢なの。だから、お店ができるって聞いた時、やってみたいって気持ちになれたの」

 紗代は小走りで恵美の前まで行くと立ち止まり、両腕を背中に回すと大きな声で叫ぶ。

「私、めっちゃ応援する! ゲームでもこっちでも! すごいよ、喫茶店やりたいなんてさ! お店できたら絶対行く!」

「ありがとう」

「いえいえ。それにしても、喫茶店かー。あったかな。ちょっと待ってね」

 紗代は両腕を組み、目を閉じて下を向く。しばらく経つと目を開けて、通学カバンからスマートフォンを取り出すと、スペルマジックオンライン、喫茶店。とフリック入力し、攻略サイトも検索する。が、スマートフォンを握りしめたまま、操作するのをやめた。

「ごめん、恵美。私たちが想像している喫茶店をやってるプレイヤーはいないかも。料理屋とか色んな食材、武器とかを売ってるお店はたくさんあったけど」

「そっか。ないのかぁ。んー、それなら、作っちゃおう」

 紗代は、その言葉に唖然とした。けれど、彼女の表情をよく見るとやる気に満ち溢れ、なお且つ、小さい両手をぎゅっと握りしめていた。

「恵美って、たまに突拍子もない事言うよね。ビックリした」

「ん? そうかな? 今はまだ無理だけど、例えゲームだとしても予行練習になるかもしれないから、丁度いいかな、と」

「マジか。でも、いいね。そういうの、私、好きだよ。なりたい夢に近づいてるって気がする」

「ありがとう。もう、喫茶店の話してたら、急にやりたくなってきちゃった」

 恵美の頬が緩み、その場で小さく飛び跳ねる。

「ふふふ。そうでしょう。ちなみになんだけど、アカウント登録のやり方とか、インストールのやり方とかって分かる?」

「うん、それなら平気。前に何回かやったことあるし。家に帰ったら早速やってみるね」

「ありがと! ゲーム開始するとチュートリアルがあるから、それが終わったら私のスマホに連絡頂戴」

「わかった。じゃあ、ゲームの世界でね」

 紗代は親指を立てると。

「おっけー! またね!」

 と、恵美に伝えて、それぞれの自宅に戻る。


 自宅に着いた恵美は、通学カバンからキーケースを取り出して、その中から家の鍵を選び、玄関ドアのシリンダーに差し込み開錠した。

「ただいまー。って、まだこの時間はお母さん、いないか」

 内側から施錠すると、手に持っていたキーケースをラックにかけて靴を脱ぎ、下駄箱に入れた。スリッパに履き替えてリビングに向かうと冷蔵庫を開ける。麦茶が入ったピッチャーを取り出して、食器棚から大きめのコップを手に取ると、飲み口付近まで注いで一気に飲み干した。

 一口、また一口と軽快なリズムで喉を潤す。

「んー、いきかえるー。もう一杯」

 ピッチャーを冷蔵庫にしまうと、使ったコップをスポンジで洗い、水切りラックに置いた。階段を上って二階に行き、自室のドアを開けると中から生ぬるい空気が漏れ出す。

「うわ。なにこのジメジメ感。早く換気しなきゃ。それと、クーラーも」

 通学カバンを机の上に置くと、ファスナーを開けてスマートフォンを取り出し、通学カバンの横に置く。その隣にある冷暖房機のリモコンを掴むと電源ボタンを押して、温度を二十四度に設定する。クローゼットを開けて部屋着に着替えると、壁掛けのハンガーラックに制服をかけた後、部屋の窓を全開まで開ける。

「さて、新規アカウント作ろっと」

 恵美はスマートフォンを手に取って、机の椅子に座るとスペルマジックオンラインの公式サイトにアクセスした。新規アカウント登録の項目をタップして、必要な個人情報入力していき、IDとパスワードの入力を終える。その数分後、運営会社の株式会社クラフトから登録完了を知らせるメールを受信した。

「これでよし。あとは……」

 今度は椅子から立ち上がり、部屋の隅っこに毛布を被せて置いてあるゲーミングチェアの前に立つと、ボソっと呟く。

「小学生ぶり、かな。最後、この子に座ったの。……でも、今は」

 被せてあった毛布を取っ払うと、四隅をきっちり合わせて折りたたみ、クローゼットの一番下にしまい、開きっぱなしにしていた窓を閉める。部屋の中央までゲーミングチェアを移動させると、そのまま座り、頭にVRデバイスを被った。

「久しぶりだなー、この座り心地。……どうか、VR酔いしませんように」

 恵美は目を閉じて身体をリラックスさせると、ゲーミングチェアが身体の脱力を感知して、自動的に背もたれが倒れていき、その人にとって最適な姿勢になるように微調整していく。

 調整が終わると、女性の機械音声で案内が開始された。

『仮想IDを検索。佐伯恵美を認識。転送先仮想空間、不明。転送不可』

 恵美は音声入力を実行し、VRデバイスに指示を出す。

「スペルマジックオンラインのインストールを開始。終わったらそのまま転送をお願い」

『音声入力を承認。インストールを開始します。――インストールが完了しました。スペルマジックオンラインを選択。アカウントの登録情報を確認。十秒後に仮想空間へフルダイブを開始します。そのまま、目を閉じて下さい。カウントを開始。十、九、八、七――――ゼロ。それでは、仮想空間をお楽しみください』

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