胃の中から

坂の下はカカシ

第1話 ここがいい

この夏のキチガイになるような暑さにはもう飽きた。

外で常温で置いてある食べ物は腐る。しかし、俺たちは消化されるまでに何時間も、温度は40度近い衛生環境も決してよくないであろう胃の中で発酵された食べ物が吸収される過程は想像するだけで飯が入らなくなる。


俺はこの夏、病気にかかって入院した。食中毒らしい。それも幻覚を見るタイプの。


そして俺はその幻覚の中で、ムワッとした空気の場所についた。俺の周りはピンク色の自分の何倍もある、水分でテカテカした土管のような通路に一人ただ突っ立ているだけであった。

臭いは、本当に耐え難いもので吐瀉物みたいな酸の混じったかのような。

少し歩いて進んでみると、学校の体育館くらいの巨大スペースがあった。そこには無数の裸の人々が、この悪臭の根源であろう、ぐちょぐちょの何かを貪り食っていた。

俺はその時点で吐き気を催していたが、一刻も早くこの環境から脱出したかったのもあり、その体育館のようなスペースに向かった。


道がわからないことにはここから出れないので、お食事の最中に申し訳ないがとりあえず話しかけてみることにした。

「あのーすみません。道に迷ってしまったんですけど、どうやったらここから出れますかね」

俺は裸の五十代くらいの、裸のおっさんに話を聞いた。体は中年太りしていて、毛も未処理であった。


「出るって、なんで出る必要があるのさ」

言っている意味がわからなかった。普通の人間であればすぐにでもここから出たいはずだ。


「いやこんな環境から出たくないんですか?」

「こんな環境って、食事が保障されていて仲間もいるんだ。なんで出る必要があるんだ?大体、ここを出て行くあてはあるのか?」

行くあても何も、俺にはちゃんとした家があるんだ。ちゃんとした家とは言っても、広さは1Kで、食べたゴミはゴザの上に放置しているが住めば都だ。少

なくともここよりは臭いは酷くない。


「行くあてって僕には家があるんですよ」

「へーそう」

そう言ってそのおっさんは、ぐちょぐちょの何かをまた食い始めた。

(こいつじゃ話にならないな、もっと若い常識のある奴はいないのか?)

そうして俺はまた歩き始めて、三メートルくらい離れたところで若い女性を見つけてまた話しかけてみることにした。


「あのすみません」

「はい?」

さっきのおっさんよりも話の通じそうな、黒髪の目の大きい綺麗な人であった。

裸であったが悪臭のせいで性欲なんてものは一切湧かない。


「ここからどうやって出ればいいんですかね」

「出るってどこに出るんですか?」

こいつもか。


「だからこのバカみたいに臭い空間から出るんですよ!」

「臭いって何が臭いんですか?」

冗談じゃない、鼻が曲がっているのか?

「あーもう何でもないです」

そう言うと女はおっさんと同様、またぐちょぐちょの何かを食べ始めた。

俺はもう二人聞いた時点でこの場にいる全員同じ考えなんだろうと思った。


(いいさ、俺はもう一人でここから脱出する)

そう思って俺は出てきた道から反対方向に、また道があるのを発見してそっちの方へ向かった。

そうしてそのもう一つの道の中に入った。来た道と中は一緒で中はピンクで濡れていて、ぐちょぐちょしていた。


「くっそ、これどかせないのか?」

少し進んだ先には、巨大な球体が壁から突き出していて、前には進めなかった。

俺はその後、何時間もその物体が動くのを待って、ピンク色の壁に寄りかかって座っていた。

無限に時間が過ぎていく、しかもここには太陽や月なんてものはないから時間感覚が皆無であった。


そうして待ってていても一向にこの物体は動かない。ここで俺はもう、自力で出ることを諦めて、助けを待つことにした。

しかし、そうして何時間も何日も待つうちに俺は飢餓状態に陥った。


空腹で死にそうだ。何か食べるものはないかと考えていると真っ先に思い浮かんだのは、あのぐちょぐちょの何かであった。

もうこの際なりふり構ってられない。

俺はそう思いがら朦朧とした意識で、あの空間に戻った。しかし、全てのぐちょぐちょに先客がいた。


来た時に、話しかけたおっさんがいた。相変わらず気持ちわりいナリをしていた。

「あの先日はすみませんでした」

「あー君ね。どうかしたのかい?」

「実はあれから何も食べてなくて、今腹が減って死にそうなんです」

「おーそれは大変ですね!よかったら一緒にこれ食べませんか?」

「え!いいんですか!」

俺がそう言うと、おっさんは笑顔で快諾してくれた。最初あんな目で見てしまって本当に申し訳ない。


そうして俺は、数日間の空腹に頭が支配されて、そのぐちょぐちょに顔を埋め込んで貪り食った。

しかし妙だな、どこかで食べたことがある。いいやそんなこと思っている暇はない。そうして俺は自分の腹を満たした後、おっさんと少し喋っていた。

「ここがこんなにいいところなんて知りませんでした!本当にありがとうございました!」

「いえいえ。困ってる時はお互い様ですよ!」

俺は、もう一人謝らないといけない人がいる。それはあの女性であった。

そうしておっさんに別れを告げ、俺はその女性の元へ向かった。


「あの先日話しかけたものなんですが、ここがこんなにいいところだとは知らなくて、本当にすみませんでした」

「いえいえ。わかっていただけたなら嬉しいばかりです!それに臭いもしないでしょう」

言われてみれば、あの悪臭はもう消えていた。

「はい!」

そうして俺とその女性が話していると、突然地面が大きく揺れ始めた。

「うおっ何だこれ!」

「あ!これはいけない。私に掴まって!」

そう言われた時にはもう遅かった。みんなは地面にしがみついていたが、俺はその女性の手をつかめずに、あの球体があった場所に向かってぐちょぐちょと一緒に流れ始めた。


「た、助けてえええ!」

そう叫んだ後、急に目の前が真っ暗になった。

「あれここどこだ」


俺が目を開けると、そこには無機質な白い天井が広がっていた。そこで俺は食中毒で入院していたことを思い出した。

あのぐちょぐちょの正体はここで食べた病院飯であった。

俺が起きて数分した後に、看護師と医者が俺の部屋に入ってきた。


「食中毒で入院ということだったんだけど、精密検査の結果、胃の下の幽門というところに癌が見つかりました」

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