[ThreadStory] 誰もいないオフィスの13階

風光

Thread 01|13階なんて、ないはずなんだけど

「このビル、13階は無いんだよ」

入社時のレクリエーションで、誰かがそんな話をしていた。


エレベーターの階数表示を見ても「12」の次は「14」になっていて、“13”の数字だけ、きれいに飛ばされている。

理由は誰も知らない。

縁起が悪いから?

12階が吹き抜けになっているという訳でもなさそうだった。

まぁ、海外でもビルのフロア数を飛ばすのはよくあるという話も聞くし、特に気にするほどのことでもなかった。


入社して少しすると、社内の噂話が耳に入り始めた。

「時々、エレベーターの13階のボタンが点灯する」

そして――「13階で降りた人間は、少しずつ周りから忘れられていく」

くだらない、って笑った記憶がある。


でも今、俺は――

その“くだらない噂”を、ふと思い出していた。


* * *


「……はぁ、よりによって、こんな日に客先対応かよ」

梅雨の湿気が、じっとりと肌にまとわりつく。

蒸し暑さにうんざりしながら、俺はネクタイをゆるめた。


健康志向の波に乗って、業績を伸ばしているユナウェル飲料株式会社。

その本社は、都心の高層ビル群に溶け込んだ、ガラス張りのきれいなオフィスビルにある。

営業二課に配属された俺、須藤 紘一は、人手不足のあおりを受けて、今日もまた一人で外回り。

先輩の同行なんて最初の2回だけ。

新人らしい指導もないまま、ただひたすら、”こなす”だけの日々。


シャツが背中にぴたりと張りつくのを不快に思いながら、エレベーターへと駆け込む。

中は誰もいない。

ポケットからハンカチを取り出し、汗ばんだ額をぬぐった。


自分が押したのは、確かに「8」だった。

それなのに。

――ピッ。

ふと、見たことのないボタンが光っていることに気づいた。

「13」

……あれ?

一瞬、目を疑う。

押した覚えはない。

そもそも、こんなボタンあったか?

戸惑っているうちに、エレベーターが停止した。

ドアが、ゆっくりと開く。


目の前には、薄暗く静まり返ったフロア。

誰もいない。

照明の色が少し黄ばんでいて、空気もよどんでいる気がした。

まるで、何年も使われていない建物の一角みたいだった。

けれど、見覚えがある。いや、「似ているだけ」なのか?

角のあたりに、古びたデスクが並んでいる。

コピー機が一台、薄いホコリをかぶって眠っていた。

「……すみません」

誰かいないかと声をかけた瞬間――

「そこ、入ったらダメだよ」

背後から、低い声がした。

びくりとして振り返ると、警備員の制服を着た男が立っていた。

初老の細身。どこか無表情で、目だけがこちらを射るように見ている。

「この階は、使われてないんだ。すぐ戻んな」

「……すみません。間違えて……」

小さく会釈して、慌ててドアの前に立つ。

再び閉まるエレベーターの中、足がわずかに震えていた。

思い出していたのは――くだらない都市伝説。

13階に降りた人間は、少しずつ周りから――

いや、まさかな。

けれど、この日を境に。

俺の“存在”は、確かに少しずつ変わっていったのだった。

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