ニートとカモ
武
ニートとカモ
ビィィィィィ
既に外に出たことを後悔していた自分にとどめを刺すようにけたたましいクラクションの音が鳴り響く。ただでさえサンサンと降り注ぐ太陽光にうんざりしているというのに、これ以上外の世界に不快を付け加えないで欲しい。
目に入る煩わしい汗を肩で拭いながら、音源と真逆へ歩を進める。運転手がイラついている対象次第では、いよいよ家に帰ることすら諦めてしまいそうだったから。
ガァガァ
普段聞くことのない音を聞いて、思わず騒音の鳴るほうへ目を向けてしまった。近くに大した水場も無いこの場所に、2羽のカモがいた。親が子を連れている感じではなく、ある程度大きな個体が2羽歩いていた。
1羽が道路を渡り切り、2羽目も道路を渡りきる直前で、待ちかねたように車が発進した。どうにか走って衝突事故を回避したカモは、3歩ほどよろめいた後、先ほどの恐怖など忘れたかのように、ガァと鳴きながら歩き始めた。
どこか自分と似たところを感じて、少し彼らの後を追ってみることにした。
2羽のカモは、その瞬間その瞬間自分たちが最も快適な状態を探り続けながら、何かに導かれるように前だけを見て進み続けた。日陰を求めてまた道路を渡り、そこで見つけた水路に身を委ね、何を思い立ったかバサバサと体をぶつけ合いながら陸に上がる。
その様子は滑稽でもあったが、正直自分よりはよく生きているなと感じてしまった。カモに限らず、鳥類ってできるかできないかを考えて生きていないんじゃないか。やると決めたらもう行動に移してる感じがする。ショート動画でペリカンがキリン食べようとしてる動画とか見たことあるし。
そんなことを考えていると、人間でも驚くような突風が彼らを襲った。陸用にはできていない足では踏ん張ることもできず、そこらの枯草のようにころころと転がる2羽。羽は土ぼこりにまみれ、1羽の頭にはトサカのような枯草が乗っていた。
それを気にするそぶりも無くふてぶてしく歩き始めた2羽を見て、微笑みと共に涙が滲んできた。
自分は、事故で両腕を失った。まるで目の前のカモのように、二本の足で歩くことしかできなくなった。いや、この現状から逃げ出すために歩いているのだから、まだ彼らの陸用ではない足のほうがちゃんと地面を捉えているのかもしれない。
敵は、エゴと焦燥感だった。妻含め、自分を支えてくれる人たちは、何とかなる、大丈夫、支えるからと言ってくれた。幸運なことに、世界はこんな自分を受け入れてくれていた。
けれど、自分だけは自分を受け入れられなかった。両腕があった頃の理想がプライドを砕き、長い年月をかけなければ社会復帰できなさそうな予感が焦りを生んだ。両腕が無いなりのスキルを身に着けてからでなければ、自分が自分を認められなかった。自分に恥を晒したくなかった。
この2羽は、自分に恥を晒すことを恐れたりはしないのだろう。皆は水に浮かんでいるのに、君達はなぜ陸を歩いているの?何か目指している夢でもあるの?と聞かれても、胸がざわついたりはしないのだろう。
両腕を失ってもなお生き続けることは、きっと大きな意味があると言われたことがある。確かに、その通りだなと思う。両腕を失っても努力して、両腕を失っても社会で活躍して、両腕を失っても……。意味を考えると、死んで楽になりたくなる。
この2羽は、生きる意味なんて考えたことも無いのだろう。お腹が満たされれば当然のように堕落し、ふと身の危険を感じれば頑張ったり頑張らなかったりする。気ままに鳴いてみて敵に見つかり、気ままにごみを突いて怪我したりするのだろう。嘘みたいに無様に、死んでしまったりするのだろう。
それができることを羨ましく思っていると、2羽はこれまでの歩みの意味なんて無かったのだとでも言うように大きく羽ばたいた。ガアガアと鳴きながら、自分の身の程知らずな嫉妬ごと、空の彼方へと飛んでいった。そして、縋る理想を失った自分だけが残った。
「あ!」
もう何もいなくなった空をぼーっと眺めていると、聞きなれた声が聞こえた。なるだけこちらに罪悪感を抱かせないようにと、息を整え落ち着いた足取りを取り戻そうとしているのが音だけでも伝わってくる。
その人は自分の横に立つと、自分と同じように空を見始めた。その景色を空気ごと味わうように目一杯息を吸い込むと、これまでの気遣いなど無かったかのように直球で言葉を投げかけてきた。
「これ、面白い?」
「……カモを追いかけるよりかは退屈。」
「あはは!おかしな人。」
「……あなたは、こんなおかしな人といて周りの目とか気にならない?」
「う~ん、よく分かんないや!自分で選んだことだし、それに、あなたといると人生楽しもうって思えるから全部OK!」
「それはまた……。」
とんでもないブラックジョークとも捉えられかねない発言にたじろぐ。この人は、昔からこういうところがある。この先の人間関係とか考えずに、今この瞬間自分が感じたことを言う、する。
だから、自分がちゃんとしないとと思ってた。カモを見るように、自然な愛で見下していた。
けれど、そんな人が自分のことを気遣い、優しく愛で続けてくれた。きっと自分がそうしていたように、自然な気持ちで弱い者を守っていた。
その現実が、気持ちを落ち着かせてくれた。これまで、自分の自信の無さとは裏腹に積みあがり続けた輝く現実が、ストンと等身大の自分と肩を並べてくれた感じがした。
「ガァガァ。」
「なに?急にどうしたの?」
「なんか、そんな気分。」
「あはは!いいね!ガアガア!」
「ガァ、ガァ。」
「ガアァ!ガアァ!」
「ガア。」
ニートとカモ 武 @idakisime
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