【BL】幾夏夜行路

竹見あんず

第1話 仏滅町の週刊誌

護川修一もりかわしゅういちは夏が嫌いだ。理由、暑くてメシがまずいから。仏滅町ぶつめつちょうの新名物であるカレーライスも、今日は胃の中で熱を持ち不快なばかりだ。


洒落た喫茶店の扉を開けて勢いよく外に出ると、危うく人にぶつかりそうになる。180センチを超える大男の登場に、通行人が驚いたような視線をよこした。


時刻は14時とサラリーマンにしては遅い昼食も、総合週刊誌・週刊ファーストの編集部員である護川にとっては普通のこと。


むせかえる湿気の中、護川は会社──英論堂えいろんどう出版社のぼろビルにようやく辿り着いた。戦前に建てられたこのビルは断熱性が悪く、外の熱気の影響をそのまま受ける。つまり、入ったとしてもたいして涼しくない。


階段の踊り場の鏡で、自分の姿を見ると案の定のありさまだった。しっかりとした体軀を覆う象牙色の麻のシャツには、無惨にもそこらじゅうに汗染みができている。無造作に髪をかき上げると、やはり汗まみれの額があらわになった。


こう暑いと、昼食に出るのも地獄で困る。だが、週刊誌の仕事はスタミナが命。メシ抜きで過ごすという選択肢はない。


週刊ファースト編集部のデスクに戻ると、いきなり編集長の岩見龍三いわみりゅうぞうに怒鳴りつけられた。


「今日が入稿日だってのに、オメエはどこほっつき歩いてんだ!」


岩見は半袖シャツを肩口までまくり上げ、タバコ片手に護川をギョロリとにらむ。罵声を浴びせながらも、部員たちの書き上げた原稿に恐ろしいスピードで赤入れをしている。相変わらずの神ワザだ。


岩見はいかにも週刊誌の編集長といったいかつい風貌で、その情け容赦のない指導ぶりから、鬼三おにぞうと陰で称されていた。


もっとも、知らぬ人が見たら震え上がるであろうその姿も護川は慣れっこなのだが。

それに、週刊誌の入稿日なんて週に一度はくるのだから、いちいち大騒ぎしていたら身がもたない。護川は、くわばらくわばらと思いながらもあっさりと答えた。


「カレー食いに行ってました」


岩見がチッと舌打ちをする。


「このクソ暑いのに、そんなもん食うんじゃねえ!聞くだけで暑苦しいわ!」


(ごもっとも)


おおかた記事でも飛んだ八つ当たりだろうが、カレーごときでよくこんなに怒れるものだ。すみませんと口先で答えて、護川は岩見の横の席に腰を下ろす。


悲しいかな、どこの編集部でも若手編集部員したっぱのデスクはたいていの場合、編集長の隣だ。


「ってことは、オヤジは昼メシを食ってないんですか? なんにも食わないんじゃあ、夏バテまっしぐらですよ」


護川を挟むような形で、副編集長の竹原廉太郎たけはられんたろうが岩見に声をかける。竹原は、聞いていると思わず気が抜けるような独特の話し方をする。


「俺ぁ、もう年なんだ。こう暑くちゃ食欲なんざわかんわ!」


護川と竹原は思わず目を合わせて苦笑した。


ここ最近、オヤジこと岩見の口癖は「俺はもう年なんだ!」だ。岩見が週刊ファーストの編集長になって7年。年齢で言えば52才と、老人ぶるにはまだ早い。


だが、体力勝負の週刊誌の世界では確かに歳を食っている方だった。一方で、岩見の鬼気迫る仕事ぶりは衰えることを知らない。


竹原が、

「そばでも食ったらどうですか? オヤジ、好きでしょう」

と言いながら、ひょいと立ち上がり、岩見に出前表を渡す。


岩見はムッとした顔つきで出前表をひったくる。そばには乗り気になったらしい。

さすが、副編集長。岩見の扱いに慣れている。


「…おい、津野田つのだ!そばの花川に電話かけてくれい!俺は山かけだ!他の奴らも注文あったら津野田に言え!」


アルバイトの津野田に向かって岩見が声を張り上げると、聞き耳を立てていた編集部がわっと沸いた。ライターやら編集やらが津野田に次々と注文を言いつけている。


護川は目を白黒させる津野田が不憫に思えて、ちょっと手伝ってやろうと席を立とうとした、その時──。編集部へ誰かが駆け込んできた。


殴り込みか、ととっさに身構えた。

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