決戦前夜

第七廃棄区画から、俺は再びスラムの闇へと舞い戻った。


だが、今の俺は、以前の俺とは違う。


心に灯ったのは、復讐の炎ではない。


もっと静かで、冷たい、覚悟の光だ。


俺は、俺自身を取り戻す。


そのために、すべての元凶である、メモリア社の巨大な塔へと挑む。


正面からの突入は、自殺行為だ。


あの鉄壁の要塞を落とすには、正面玄関からではなく、敵の意表を突く、裏口から攻めなければならない。


そのためには、特別な装備と、情報が必要だった。


そして、それらを手に入れるあてが、俺には一つだけあった。


記憶探偵になる前の、俺。


自分でも忘れかけていた、過去のコネクション。


その前に、情報が必要だった。街角の巨大なニューススクリーンでは、「人気アイドルの初デート記憶、史上最高値で取引!」というテロップが、殺人事件のニュースと同じ熱量で流れている。人々は、他人の人生を消費することで、自分の人生から目を背けていた。


俺は、スラムのさらに奥深く、義体技師たちが集まる地区へと足を運んだ。


オイルと、金属の焼ける匂いが立ち込める、その一角。


古びたコンテナを改造した、一軒の店がある。


看板は出ていない。だが、裏社会の人間で、この店を知らない者はいない。


武器商人、「オヤジ」の店だ。


店のドアを開けると、カラン、と乾いたベルの音が鳴った。


店内は、壁一面に、違法改造された銃や、軍用の義体パーツが、所狭しと並べられている。


カウンターの奥で、巨大な義腕のメンテナンスをしていた老人が、ゆっくりと顔を上げた。


顔の半分は、古いサイバーアイで覆われている。


彼が、「オヤジ」だ。


「……何の用だ、ライア。お前が、俺の店に顔を出すなんざ、珍しいこともあるもんだ」


オヤジは、低い、錆びついたような声で言った。


「仕事の依頼だ、オヤジ」


「ほう。記憶探偵様が、俺に何の用だ? なくした記憶でも、探してほしいのか?」


「メモリア社の塔に、忍び込む」


俺は、単刀直入に言った。


オヤジの義腕の動きが、ぴたりと止まった。


彼のサイバーアイが、赤い光を放ちながら、俺の全身をスキャンする。


「……正気か、小僧。あの塔は、要塞だぞ。物理的にも、電子的にも、蟻一匹這い出る隙間はねえ」


「だから、あんたを頼って来たんだ」


俺は、ポケットから、なけなしの全財産が入ったクレジットチップを、カウンターの上に置いた。


「これで買える、最高の装備と、情報が欲しい」


オヤジは、チップを一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らした。


「こんなはした金で、死にに行くつもりか」


「……昔の、貸しがあるだろ」


俺は、静かに言った。


「7年前、俺があんたの店のセキュリティを立て直してやらなきゃ、今頃、あんたはメモリア社の刑務所で朽ち果ててたはずだ」


オヤジのサイバーアイの光が、揺らめいた。


そうだ。記憶探偵になる前、俺は、こういう世界で生きていた。


フリーのハッカーとして、企業のファイアウォールを破り、裏社会の連中の用心棒をしていた。


「……あの時のことは、感謝してる」


オヤジは、忌々しげに言った。


「だが、今回の相手は、悪すぎる。あんたがどんな腕利きのハッカーだろうと、メモリア社にケンカを売るのは、自殺と同じだ」


「それでも、行かなきゃならない理由がある」


俺の目を見たオヤジは、やがて、深いため息をついた。


「……分かった。貸しは、返す。だが、これっきりだ」


彼は、店の奥から、一つのアタッシュケースを持ってきた。


「これは、軍用の光学迷彩だ。起動すれば、15分だけ、あらゆるセンサーから姿を消せる。ただし、エネルギー消費が激しい。使いどころを間違えるな」


次に、彼が取り出したのは、奇妙な形状のグレネードだった。


「指向性のEMPグレネードだ。半径5メートル以内の、あらゆる電子機器を、一時的にシャットダウンさせる。メモリア社の警備ドローンには、効果があるだろう」


そして、最後に、彼は一枚のデータチップを、俺に渡した。


「これは、俺が知る、塔の内部構造と、警備システムの配置図だ。古いやつだが、ないよりはマシだろう」


「……助かる」


「礼は、生きて帰ってから言え」


オヤジは、そう言うと、再び義腕のメンテナンスに戻った。


だが、去り際に、ぽつりと、こう付け加えた。


「……一つ、気味の悪い噂がある」


「なんだ?」


「塔の最上階……クロウのいる、あのセキュリティレベルが最高のフロアには、人間じゃない何かがいる、という噂だ。プロジェクト・レミニセンスの、最初のプロトタイプ……神にでもなったつもりの、化け物がな」


オヤジの言葉が、俺の胸に、重くのしかかった。


俺は、装備を受け取ると、無言で店を出た。


もう、後戻りはできない。


手に入れたのは、死地へと向かう、片道切符。


決戦の夜は、すぐそこまで迫っていた。


俺は、ネオンが降り注ぐスラムの空を見上げ、静かに、息を吐いた。

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