第七廃棄区画
ネオ・キョートの光は、決して平等ではない。
上層区を照らす純白の光は、スラムに届く頃には色褪せ、そして、その先の廃棄区画では、完全に闇に呑まれる。
第七廃棄区画。
この街のあらゆるゴミが、最終的に行き着く場所。
俺は、密輸業者の貨物船に紛れ込み、その巨大なゴミの海へとたどり着いた。
船を降りると、腐臭と、金属が錆びる匂いが、肺を突き刺した。
見渡す限り、瓦礫の山。
古い義体のパーツ、廃棄された家電、正体不明の産業廃棄物。
それらが、まるで巨大な墓標のように、どこまでも続いている。
エヴァが残した座標データが示すのは、この広大なゴミ捨て場の、中心部だった。
俺は、足元の瓦礫に注意しながら、慎重に歩を進める。
時折、野生化したドローンが、カラスのように頭上を飛び交っていく。
ここは、法の支配だけでなく、人間の営みそのものからも、見捨てられた土地だ。
半日ほど歩き続いただろうか。
携帯端末のナビゲーションが、目的地への到着を知らせた。
だが、目の前にあるのは、他の場所と変わらない、瓦礫の山だけだ。
研究所らしき建物など、どこにも見当たらない。
見間違いか?
それとも、エヴァの情報が、古すぎたのか?
俺は、諦めずに周囲を探索し始めた。
そして、ある一点で、不自然な地形の隆起に気づいた。
まるで、巨大な何かを、無理やりゴミの山で隠したような。
俺は、瓦礫を手で掻き分け始めた。
錆びた鉄板、砕けたコンクリート。
その下から、人工的な構造物の一部が、姿を現した。
強化プラスチック製の、分厚い壁。
間違いない。ここだ。
俺は、瓦礫の山に隠された、地下へと続くハッチを発見した。
それは、メモリア社のロゴが刻まれた、古いタイプの緊急避難口だった。
ハッチをこじ開けると、ひやりとした、空気が淀んだ匂いが、闇の底から吹き上げてきた。
ここが、エヴァの言っていた、"存在しない"研究所。
俺は、意を決して、暗い階段を降りていった。
内部は、時間が止まっていた。
床には、分厚い埃が積もり、壁からは、ケーブルが内臓のように垂れ下がっている。
空気は、薬品と、カビの匂いが混じり合った、独特の匂いがした。
懐かしい、匂いだった。
なぜだろう。俺は、この匂いを、知っているような気がした。
俺は、携帯端末のライトを頼りに、廃墟の奥へと進んでいく。
廊下には、研究資料らしき書類が散乱していた。その中の一つのファイルに、俺は思わず足を止めた。『被験体精神安定プログラム:音響サブリミナル信号の臨床応用について』。ページをめくると、そこには見覚えのある楽譜が印刷されていた。第1章で聞いた、あの不気味な「古い童謡」の楽譜だった。「本信号は、被験者のアルファ波を誘発し、記憶移植時の精神的拒絶反応を緩和する効果が期待される」という冷たいテキストが添えられている。あのメロディは、俺たちを落ち着かせるための、ただの催眠曲だったというのか。
他のファイルには、こう記されていた。
『被験体リスト』
『記憶同調率に関する考察』
『拒絶反応抑制プロトコル』
そして、俺は、あるレポートの一文に、目を奪われた。
『被験体No.7において、極めて高い同調率を観測。他の被験体の記憶データを移植した際も、深刻な拒絶反応は見られない。彼は、我々の"器"として、最も理想的なサンプルかもしれない』
被験体No.7。
その数字が、俺の胸に、冷たい楔のように打ち込まれた。
俺は、震える手で、さらに奥の部屋へと向かった。
そこは、中央制御室のような場所だった。
壁一面に、今は沈黙したままの、巨大なスクリーンが並んでいる。
その中央に、一台だけ、非常用電源で生きているコンソールがあった。
俺は、そこに端末を接続し、残されたデータログの復旧を試みる。
ほとんどのデータは、物理的に破壊されるか、強力なウイルスで消去されていた。
だが、いくつかの断片的なファイルが、奇跡的に生き残っていた。
俺は、一つの映像ファイルを、再生した。
画面に、ノイズ混じりの映像が映し出される。
そこは、白い、無機質な部屋だった。
壁には、子供が描いたような、歪んだ太陽の絵が貼られている。
そして、複数の子供たちが、椅子に座らされていた。
歳は、五歳から、十歳くらいだろうか。
皆、虚ろな目で、一点を見つめている。
その中に、俺は、見てしまった。
腕に、火傷の痕がない、幼いエヴァらしき少女の姿を。
そして、その隣に座る、怯えたような表情の、幼い俺自身の姿を。
「……ああ……」
声にならない声が、喉から漏れた。
映像の中で、白衣を着た男が、子供たちに話しかけている。
その顔は、データの破損で判別できない。
だが、その声は、冷たく、感情がなかった。
「さあ、今日の勉強を始めよう」
男は、そう言うと、子供たちの頭に、ヘッドセットを装着していく。
「今日は、勇敢な宇宙飛行士の記憶を、みんなで共有する。これで、君たちも、もう何も怖くなくなる。痛みも、悲しみも、すべて忘れることができる」
男の声は、まるで催眠術師のようだった。
これが、ドクター・アオイか。
「大丈夫。これは、君たちが、もっと素晴らしい存在になるための、大切な儀式なんだ」
「プロジェクト・レミニセンスは、人類を、次のステージへと進化させる、偉大な一歩なのだから」
映像は、そこで途切れた。
俺は、その場に、へたり込んだ。
すべてが、繋がった。
ここは、俺が生まれた場所だ。
いや、俺が「作られた」場所だ。
俺も、エヴァも、ヤマシロ・ミナたちも、みんな、この地獄で、記憶を弄ばれた、実験動物だった。
そして、7年前のテロの生存者というのは、嘘だ。
俺たちは、最初から、このプロジェクトの被験体だったんだ。
では、なぜ、研究所は放棄された?
ドクター・アオイは、どこへ消えた?
そして、プロジェクトの、本当の目的とは?
俺は、自分自身のルーツという、底なしの闇に、足を踏み入れてしまったことを、悟った。
もう、引き返すことはできない。
この闇の、一番奥まで、進むしかない。
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