第39話 謎の美女薬師

 スラム南部の廃工場跡地。

 灯りの少ない空間に、青白い魔導灯の光だけがぼんやりと揺れていた。

 その中心に立つ女の姿は、まるで異国の華。

 クーリンは、漆黒の旗袍に身を包み、狐を模した白銀のドミノマスクを付けていた。深いスリットから覗く太ももは、夜の光を受けて白く艶めき、冷たい空間に熱を帯びさせる。

 その装いは、決して軽薄ではない。露出の多さは計算された演出であり、武器である。

 艶やかな肌と妖艶な衣装が織りなすコントラストは、視線を惹きつけるためだけに研ぎ澄まされていた。髪はゆるく巻かれ、片耳に揺れる細い銀の飾りが、光に応じてわずかに鳴る。


 ヒールの音がコンクリ床に高く響くたび、緊張に包まれた空間に妙なリズムが走った。

 対峙するのは三人の男。いずれも顔に傷のある粗暴な連中だったが、その視線は明らかに戸惑いを帯びていた。


「あんたが……噂の薬師か?」


 マフィアの男が、息を呑むように言った。

 クーリンは微笑みながらも、その目には一片の情もなかった。マスク越しでも伝わる、冷たく射抜くような視線。


「まあ、耳が早いのね。噂が本当かどうか、自分の身体で確かめてみる?」


 場の空気がぴんと張り詰める中、クーリンはゆっくりとアタッシュケースを地面に置く。細身の金属製のそれを開くと、内部には整然と並ぶ魔髄錠。

 それはただの薬には見えなかった。並ぶその姿は、まるで高級宝石のようにすら見え、光を受けて仄かに輝いていた。


「これが、あんたたちが探してたものよ」


 クーリンの声は低く艶やかで、それでいて切れ味がある。


「副作用はあるけど、効果は保証する。魔力に適応できない下っ端でも、数分間は人間離れした力が使える」


 マフィアたちが顔を見合わせる。半信半疑だが、明らかに興味は引かれていた。


「効果の例を挙げると?」

「そうね。個人差はあるけど、瞬発力、筋力、反射神経が一気に跳ね上がる。壁を蹴って跳べば三メートルは軽いし、打撃の威力は通常の三倍近くまで上がるわ。慣れてくれば、魔力の流れを感じることもできる」


 言葉に裏付けられた冷静な分析。そこには誇張も売り文句もなかった。


「ただし副作用もある。体質によっては、変異が出ることもあるし、使いすぎれば反動で一日動けなくなる。あんたたちみたいな前線の人間は、ほどほどに使うことね」


 その説明に、一人の男が眉をひそめながら問い返した。


「……その薬、どうやって扱えばいい?」

「一日一錠が目安。服用後すぐに効果が出るけど、持続は五分が限度。連続使用は厳禁よ。壊れたら、直すのはこっちじゃなくてあんたの責任」


 そう言って、クーリンは軽く指を鳴らした。

 その仕草と同時に、彼女の足がわずかに動く。

 スリットの隙間から滑らかな太ももが露わになり、マフィアたちの視線が再び釘付けになる。


「十錠セットで五十万。現金払い。気に入ったら、次もあるわ」


 マフィアの一人が、慌てて封筒を取り出す。クーリンはそれを指先で摘み上げ、札束をざっと確認すると、肩をすくめて微笑んだ。


「ありがと……あとは使ってからのお楽しみね」


 その挑発的な視線に、誰も言葉を返せなかった。

 そしてクーリンは、ひらりと踵を返す。


 旗袍の裾が揺れ、ヒールの音がコツリ、コツリと工場の闇に溶けていく。

 マフィアたちは誰一人言葉を発せず、ただその場に残された錠剤と、女の余韻に呑まれていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 重たい扉が勢いよく開く音とともに、クーリンが駆け込んできた。


「たっだいまー! 売れたよー! あたしが売った魔髄錠、大好評だったからね!」


 彼女はバサッとアタッシュケースをカウンターに置くと、勢いよく腕を振り上げて勝利のポーズを決めた。


「しかもね、見て見てこれ!」


 クーリンが胸ポケットから分厚い封筒を取り出し、ヴラッドの目の前にどんと置く。


「予定より一割増しで売れたんだよ? つまり、あたしの営業力が超優秀だったってこと!」

「はしゃぎすぎだ。ヒールで飛び跳ねんな」


 ヴラッドが棒付きキャンディーを咥えたまま苦笑し、封筒を受け取って中身を確かめる。札束の重みが、確かに成功を物語っていた。


「見た目はクールな謎の美女! 実際は、天真爛漫で可愛い元おまわりさん!」


 クーリンはくるりと回ってからスカートの裾を軽くつまみ、得意げにウインクした。


「……本当、黙ってりゃ美人なんだがな」


 アインがため息をつきながら売り上げの記録をつける。


「売上としては文句なしデスね!」


 ネロがぱちぱちと拍手を送りながら微笑んだ。


「あたし、スラムで一番稼ぐ女って呼ばれ始めちゃうかも?」

「一番稼いでから言え」


 ヴラッドの冷静なツッコミに、クーリンはむっと頬を膨らませながら椅子にどさっと座り込んだ。


「んー、でも久しぶりに役に立ってるって感じがして、ちょっと嬉しかったかも」


 その言葉に、事務所の空気がほんの少しだけ温かくなる。


「次のバッチも準備しなきゃねぇ……中毒者が出る前に、効果と副作用の調整は続けたいところだ」


 アインが静かに立ち上がると、ヴラッドが椅子の背にもたれながら言った。


「次は少し本腰入れて売り場を広げるか。スラムだけじゃ足りねぇ。上の連中に食い込むには……まだ手札が足りねぇからな」

「それ、あたしの出番ってこと?」


 クーリンがにやりと笑った。


「クールでセクシーな謎の美女! また出動しますかね!」

「今度は失禁すんなよ」

「わああああああっ!? その話はやめて!」


 事務所には、今日も変わらない賑やかな空気が流れていた。

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