◆第二章:解放戦争の記憶

舞踏会の翌朝、グラドゥスは子供たちを連れて、王都の城下町を歩いていた。




 石畳の道には朝市が立ち、活気ある商人たちの声や、行き交う人々の賑わいが満ちている。辺境の村とは違う、巨大な都市の息遣い。その喧騒の中で、グラドゥスは物思いに沈んでいた。




 昨夜のアルベール王の言葉が、彼の胸に重くのしかかっている。不意に、彼は隣を歩く息子に声をかけた。




「リアムよ、昨夜の王の話、お前はどう思う?」


 問いかけられたリアムは、少し驚いたように父を見上げたが、すぐに真剣な表情で答えた。




「港湾都市ルミナリアは、前王が諸国と定めた特別行政区。王が統治に乗り出せば、各国や諸種族からの反発は避けられません。


 「……王は大陸全土の支配をお望みなのでしょうか」


 リアムは憂いを帯びた声で続ける。




「それに、王都での噂も気がかりです。我々が村にいる間に、王子の死が引き金となり旧王党派が蜂起し、鎮圧されたと。ですが、その処罰は罪なき家族にまで及んでいるとか……」


 


グラドゥスの口から、深い溜息が漏れた。息子の口から語られる言葉は、まさしく自分が抱いていたものと同じだった。


(友は、変わってしまったのだろうか……)




 脳裏に蘇るのは、過去への記憶だった。




 テオドール王朝、冬アース一の週。


 その「チャンス」は国家存亡の危機という形で訪れた。


 北の果てより来たりしノルドの民の猛威は、ついに王都を脅かすまでになっていた。日毎にもたらされる敗戦の報に、王都は重苦しい空気に包まれる。窮地に陥りし王は、ついに前代未聞の勅命を下した。


「蛮族を撃退せし者には、その功に報い、汝にその地の所有権と爵位を授けよう!」




 王都の誰もが不可能だと顔を青くする中、アルベールだけがその瞳を野望にぎらつかせていた。彼はグラドゥスのいる宿屋の扉を蹴破る勢いで駆け込んできた。


「おいグラドゥス、聞いたか! これこそが俺たちのチャンスだ!」


 彼は興奮で声を上ずらせながら、勅命の内容を語った。


「王都の腑抜けた騎士どもが震え上がってる今こそ、俺たちが成り上がる時だ! この戦に勝てば、俺たちはただの傭兵じゃなくなる。土地と爵位だ! こんな美味い話が他にあるか!? お前も当然、乗るだろう!」


 意気揚々と参加した北方戦線。だが、そこで彼らが目にしたのは、予想を遥かに超える現実だった。最初の戦闘で多くの仲間を失い、命からがら退却した野営地で、アルベールが悪態をついた。


「おいおいおいおい、見たか? これのどこが蛮族なんだ? 火球を飛ばしてくる蛮族がいるかってんだ!」


「……確かに、あの妙な武器は厄介だ」


 グラドゥスも同意する。ノルドの民の兵士は、見た目は痩せた平民のようにも見える者さえいる。だが、その手から放たれる精霊の力は本物だった。


 グラドゥスは厳しい表情で続けた。「このままの行軍だと、敵に街を制圧されるぞ」


 だが、アルベールは不敵に笑った。


「そうだな。ところで、あいつら痛みに慣れてると思うか?」


「何が言いたい」とグラドゥスは眉をひそめて問い返した。


「いいか。あいつらと決着をつけるのは、この先の雪山だ」


 アルベールは非情な作戦を語り始めた。


「数名でいい。商人に扮し、を連れて街に潜入させろ。街に潜入したら牙猪を飢えさせるんだ。背後を取り、号令をしたら崖の上から牙猪を解き放つんだ」


 数日後、雪吹きすさぶ山中で、両軍は対峙した。ノルドの民の長らしき男が前に進み出る。


「素直に武器を置いて降参しろ。精霊の力は、お前たちの敵ではない。我々に侵略の意志はない。テオドール王の支配から民を解放し、レムリアンシードの搾取をやめさせたいだけだ」


 アルベールは、その言葉を鼻で笑い飛ばした。


「降参するつもりはないね! お前らこそ、田舎へ帰るんだな!」


「……話し合いにはならぬか。総員、放て!」


 号令と共に、無数の火球が飛来する。


「前衛、シールドを地面に突き立てろ!」


 グラドゥスの号令で、兵士たちは巨大な盾を構え、降り注ぐ火球を防いだ。だが、完全に防戦一方だった。


「どうした! 我らの精霊の力に消耗はない! 先刻の戦いの二の舞だ!」


 ノルドの民の嘲笑が響く。軍を交代させ、盾を構え直したその時、アルベールが鬨の声を上げた。


「今だ! 牙猪を放てッ!」


 その声に応じるように、崖の上から巨大な牙猪の群れが転がるように雪崩れ込んできた。毛皮に覆われた巨大な身体は、多少の衝撃などびくともしない。餌を与えられず、目隠しから解放された牙猪たちは、最も近い獲物であるノルドの民の背後から襲いかかった。


「落ち着け! 獣に臆するな! 火をあびせろ!」


 だが、その命令が仇となる。毛皮に火がついた牙猪は怯えるどころか逆上し、狂ったように密集した集団へと突撃した。


 アルベールの勝ち誇った声が響く。


「普通の動物なら火を怖がるが、こいつらは傷つけられると怒り狂うんだ! 手負いの獣は怖いだろう! 逃げないと食われるぞ!」


 さらにアルベールは次の一手を打った。


「弓兵、前へ!」


 彼らが構えたのは、狩猟に使う弾弓だった。殺傷能力こそないが装填に時間が掛からず、無数の硬い弾丸がノルドの民に手傷を負わせ、確実にその戦意を削いでいく。


 後に、この戦いは北の侵攻を食い止めた「解放戦争」として、アルベールは英雄とされた。だが、その実態は悲惨なものだった。牙猪に食い殺される者、火だるまになった獣が突撃し、燃え移る者。地獄のような光景に戦意を完全に失ったところを、アルベール軍の歩兵部隊が蹂躙したのである。


 戦果は、アルベール軍の圧勝であった。


 グラドゥスは、城下町の喧騒から意識を戻し、長く重い息を吐いた。


(あの頃から、友の瞳の奥には、変わらぬ野望の炎が燃えていた……)


 その炎が今、王国全土を焼き尽くそうとしているのかもしれない。そんな予感が、彼の心を重く支配していた。

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銀月のレガシー 七日 @nanocat_0219

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