ずっと隣で
ミシトは歌っていた。瞳を閉じて。思い出の詰まったノートを抱いて。ただただ親友と仲直りしたかったという想いを胸に。すると何かが優しく頬に触れた気がした。
「フィーリエ……?」
「ミシト」
自分ではなく本当の歌姫になるべきだった親友。彼女の夢を自分が代わりに繋ぎ止めているという責務と罪悪感。伝えたいことはたくさんあった。でも言葉が出てこなかった。声は彼女から授けられたというのに。それでも伝えられるのは今しかない。必死に声を振り絞る。
「フィーリエ! ごめん! 私……! ひどいこと言って! あなたの声を! あなたの夢を! 奪っちゃって! 許せないよね! だから私を……!」
するとフィーリエは涙を目に浮かべるミシトの額に自分の額をそっと合わせる。ミシトにフィーリエの記憶が、心が流れ込んでくる。そこに見えた光景は、心臓の病気のせいでもう長くは生きられないと宣告されているフィーリエ。だからこそ一日一日、自分の生きていた証を残したいと、叶う事の無い憧れで終わってしまう夢を見続けようと、歌い続けていたフィーリエ。そして出会ったミシトと過ごす日々。自分がこの世界にいた事の生き証人であり、自分の叶わぬ夢を一緒に願ってくれていた唯一無二の親友。そして自分の心無い言葉で傷つけてしまった事への後悔。仲直りしたかった。もう一度隣にいてほしかった。何も話さなくていい。ただ隣に。
どんどんフィーリエの想いが流れ込んでくる。とめどなく涙が頬を伝う。額をそっと離し微笑みかけるフィーリエ。フィーリエがミシトが付けているウィッグを静かに外す。白銀の髪の歌姫と、金色の髪の歌姫が向かい合う。
「フィーリエ……どうしてノートを奪おうとしたの?」
「だって、そこには私の生きた証があるから。夢があるから。思い出があるから。それがミシトを苦しめてるって思ったから」
「そんな事無い! そんな事無いよ!」
「ううん、だって、ミシトが歌ってる時、楽しそうなときなんてなかったから、私を思い出してる時なんか特に」
「だって……私は奪った声で歌姫になったんだから!」
フィーリエは優しく首を振る。
「私が無理やり託したんだよ。それに私が託した想いが込められたまじないは、自身が抱く強い感情と引き換えに病を治す。それだけのものよ。だから、その声は、正真正銘あなたの声よ。歌姫ミシトのね」
その言葉に驚き喉に触れる。すると今度はフィーリエが今にも崩れそうな笑顔を浮かべ、震えた声で、泣きそうな声で想いを吐き出す。
「私ね、はじめは歌姫になってくれたミシトが誇らしかった。でもだんだんね、嫌だな、でもね、羨ましくなっちゃたの。そしたらどんどん思いは歪んでね……自分でも何がしたかったか分からなくなってきちゃったの」
「フィーリエ……」
「でも、もう大丈夫。みんなのおかげで、ちゃんとお別れも出来た。思い残すこともないよ。そろそろ逝くね」
ミシトから離れ、ふわっと宙に浮かぼうとするフィーリエ。しかしノートを手放したミシトが優しくフィーリエを抱き寄せる。
「夢、一緒に叶えよう。約束でしょ。それにまだ二人で一緒に歌ってないんだから」
抱き寄せられたフィーリエは驚いた顔を一瞬浮かべたが、そうだね、と囁くと透ける体を仄かに光らせながらミシトに同化していく。ミシトの首のチョーカーが外れ、刻まれていた紋様の色が変わっていく。それは二人の思い出の色。黄昏色に。
「フィーリエ、これからは一緒に歌おうね」
こうして真の歌姫が誕生したコンサートは静かに幕を閉じた。開いたノートには金髪の歌姫の隣に白銀の髪をした歌姫の絵が浮かび上がった。そして文字が綴られた。
──ずっと隣で。
時計塔の屋上、そこに四人の人影が。空は橙色広がる黄昏時。
「それでは始めるね。生まれ変わった歌姫のお礼の歌を。大切な人々への追慕の鎮魂歌を」
美しく澄んだ響きが、優しく温もりのある歌声が隣り合い寄り添い合って時計塔の端に座るサーロとティアラに届いていく。二人は思い出す。大切な人との思い出を。そして願う。その人々の安らぎを。二人とも涙が自然と頬を伝う。翡翠色の涙は水集めの瓶に溜まっていく。
後方、扉に寄りかかりいつものように腕を組み耳を澄ませているガレアは、何かを、どこか遠くを思い出すかのような朧気な表情を浮かべている。しかし涙は流れていなかった。
「サーロ、私ね。私の涙で癒せる悲しみがあるのなら、私は力になりたいな」
ティアラはこの涙はサーロの為だけに使うつもりでいた。しかし、獣人ウルバル、歌姫ミシトとの出会いで、想いは変わっていった。
「うん、それでこそティアラだよ。僕がずっと隣にいたいと思った、笑顔にしたいと思った、大切な人」
「サーロ」
サーロは首の紋様を指でなぞる。この呪いに苦しめられ、この呪いに助けられ、自分はもっとこの呪いに向き合わなければと、そしてティアラ同様、自分の力が誰かの為になるのなら、例え自分を犠牲にしようと。
ティアラはサーロの心の風景を覗く。渇いた大地に力強く立つ少年の姿が見える。顔のひびは日に日に深くなっている。それでもその目は未来を見据えている。ティアラはそっとサーロの手に触れる。心の中でも外でも。生涯、隣を歩むと決めた相手の手を。
──この世界にはまだ私が見たいと思える彩りが、聴きたいと思える響きがあるようだよ。まだまだ死ぬわけにはいかないね。
ガレアはそっと心の中で誰かに呟いた。鎮魂歌は続いている。
──さぁ、彼らの旅はこれからどんな道を歩むのかな。
観客は三人というプライベートコンサートは黄昏時が終わるまで続けられた。それはミシトとフィーリエの想いが奏でる二重奏であった。暗くなる空を見ながらガレアは小さく呟く。まじなうかのように。
「願わくは、彼らの未来が笑顔で溢れんことを」
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