おわりのはじまり ⑥
会議をすっぽかしたという立場の弱さから、引き受けざるを得なかった。
だけど一時間以上掛かったのは勘弁願いたかった。完全に日が沈む頃にたどり着いたのは、県内で一番大きな総合病院だった。時刻は既に十九時を回っていて、面会時間の最終受付を過ぎていた。どうするつもりなのかと思っていると、
「融通利きますので。ここも美成瑚の系列ですから」
そう言って、本当に入院棟まで進むことが出来た。
「失礼します。具合はいかがですか――遠峰先生」
個室の病室のベッドに横たわる男性に、前島はそう呼びかけた。
遠峰先生。その言葉で始めて、ここが彼の療養先であることに感づく。前島も道中で黙り込んでいないで説明してくれればいいのにと思う。
学園のお祓いをしたけど効果がなかった寺生まれの先生で、そして卒業生の長塚が連絡を取りたがっている相手。彼女が言うには、結構な男前で人気が高くて、そして親御さんにも調子良いことを言うような明るいタイプなようだったが――。
俺は前島の背中越しに、そっと彼の様子を覗いてみる。
そこには、枯れ木が横たえられていた。
枯れ木ではなかった。辛うじて息をしている。
伸び放題の髪は総白髪、頬が痩け過ぎて異星人じみた顔立ち。確かに背は高かったのだろうが、あまりに病的な華奢さだから病院のベッドの中に沈み込んでしまいそうな危うさをどうにか太い点滴の管でこの場に繋ぎ止めているように見えた。
――生きてるのか?
一瞬、本気で不安になった。
病室に漂っている強烈な消毒液の匂いが、彼に染み付いている死の臭いを少しでも誤魔化そうと振りまかれているんじゃないかという気がしてくる。
しかし、屍じみた彼の口はゆっくり開いて、
「……もう、放っておいて、くれ」
ひどく痰の絡んだ、がらがらの声だった。
「遠峰先生はそう言いますけどね――僕たちは今もなお当事者なんですよ。美成瑚をより良くするためにはどんなことだってやらないといけない。そうでしょ」
遠峰は頭痛を我慢するような表情を浮かべた後、
「手を、汚す、覚悟も、ないくせに……」
前島は部屋の隅にある椅子を荒々しくベッドに寄せて、
「確かに自然に任せたってどうしようもないってことは、嫌なくらいに思い知りましたよ。ただね、天啓がありました。後継者――いや、新しい代になるんですかね。こちらはもう腹を決めました。後は遠峰先生がやり方を教えるかどうかです」
会議中にするかのような、主語を省いたやりとり。俺は頭が痛くなる。
「やめて、おけ」
「何故です」
「あんた、鬼のこと、よく知らないからだ」
「崇め奉りて、慰撫するんでしょう。それで元通りだ」
「はは、っは、はははっ、いいや、やっぱり、わかってないな」
また鬼だ。完全に蚊帳の外になりながら、そう思った。
この学園の大人たちは、誰も彼もが鬼がいる――鬼が実在する前提で話をする。確かに明らかに怪奇現象が起きている。起きてはいるが、どうして皆がそれを鬼と結びつけるのだろう。俺だけが、その実在を信じられないで立ち尽くしている。
郷に入っては郷に従え。金言なのだとは思う。
でも、見えないものをどう信じれば良いのか。
「遠峰先生が引き継ぎファイルの一部を破棄さえしなければ」
「あれは、あんたらの、ためでもある」
「言いましたよね。僕たちももう、後が無いって――」
ゆらりと前島は立ち上がり、胸ポケットに挿していたボールペンを取り出しながら、
「在校生たちのためにも、これからの美成瑚のためにも、喋ってもらいます」
前島は薄手の掛け布団の端を、ベッドの男の口の中に捩じ込み始めた。
あまりに現実離れしたその光景に、俺はただ馬鹿みたいにぽかんと眺めてしまった。
枯れ木じみた彼の顔が恐怖に歪んだことで、その緊急事態ぶりを理解する。
前島には、微塵の迷いもなかった。
ボールペンの先を、遠峰の指先の爪と肉の間に捩じ込ませた。
彼のくぐもった叫び声が病室内に響く。
「前島先生、なにしてんすか! 病人にそんな、酷いじゃないすか」
あまりのことに俺は混乱し、なんだか緊張感が欠けた物言いになってしまう。わたわたと前島を抑えようとしたところで、彼はぐるりと首だけでこちらを向いた。
鬼気迫る、とはこのことだった。
汗で張り付き乱れた髪。額に浮かんだ青筋。大きく見開かれた目蓋。余白がないくらい血走った眼球。食いしばって剥き出しの歯。涎とともに漏れる荒い息。
鬼がいるとするのなら、こういう顔だろう。
それで、俺は、前島に逆らうのは辞めることにした。
もしも自分も同じことをされたらと考えると、動けなかった。
遠峰がさめざめと泣き始めたところで、ようやく前島は彼の口に詰め込んだ掛け布団を外してあげながら、口振りだけはやさしく丁寧に囁いてみせる。
「遠峰先生、ご教授願いますよ。鬼の作り方――」
言葉に詰まればペン先をちらつかせた。
前島はそうやって、ねちねちと何事かの作法めいたことを聞き出し続けた。
傍から見ながら俺は心底思った。こいつはやっぱり、鬼だ。
しかし、それを見透かしたように前島は俺に言う。
「なに他人事みたいな顔をしてるんです?」
「――えっ?」
「折戸先生ももう、共犯者なんですよ」
嘲笑が混じるその一言に、俺は戦慄した。
締め忘れた窓ガラスに映る俺の顔は、酷く歪に引き攣っていた。
同じだった。俺もまた、凶気をはらんだ表情をしている。
※
『遠峰先生は、無事だったんですか?』
長塚から来たメッセージには、そう書かれていた。
彼と連絡を取りたがっている長塚に、あそこで起きたことを伝えるのもどうかと思うのだが、しかし、俺一人の胸の内に留めておくことが出来なかった。
暴力で脅して、何かのやり方を聞き出していた。
『大丈夫、だとは思う。県内で一番大きい総合病院らしいし、前島先生が帰るときにも「怪我したから診てあげて」みたいなことを受付に言ってたし』
『良かったです。ありがとうございます』
長塚からお礼を言われるようなことは何もしていない。病人に拷問をするなんて常軌を逸した前島に恐れをなして、震えていただけだ。
『でも、一体何を聞き出していたんでしょう』
『わからない。でも、鬼を作る、みたいなことを言ってた』
俺は深い溜め息をついて、教職員室にも関わらず弄っていた携帯をデスクに置いた。
自分を誤魔化し続けることも、そろそろ難しくなってきた。
生徒たちが恐れる鬼とやらが何なのか、前島を始めとした先生方が何の対策をしているのかはどうにも分からない。全てが漠然としているのに、自身が何かとてつもなく不吉なことの渦中に巻き込まれている。それだけがはっきりと感じられる。
美成瑚学園は、やはり異常だった。
そこにいる者たちも、また同様に。
この前の放課後の定例会議では、あの集団ヒステリーで〝選ばれた〟として三年一組の幡場をどうやって眠らせるのかを真剣に話し合っていた。
どうして生徒を眠らせる必要があるのか。
最初は確かにそう思ったのだ。
しかし――前島が管理する黒いファイルの中身と、あの病室で執拗に聞き出してきた『鬼の作り方』とやらの説明を聞いているうちに、何故か疑問は薄らいでいくのだ。儀式の手順として必要となるなら、どうすれば良いか考えないと。
自然と、そうとしか思えなくなっていた。
そう。儀式。儀式をすれば全てが丸く収まる。
先生方は確かめるようにお互いにそう言い合った。
そして俺は、気がつけば睡眠導入剤を調達していた。
常軌を逸してるとしか思えない。生徒に薬を盛るだなんて。
認識が歪んでいく。この土地に残る穢れ――とでも言うべきか。俺は自覚症状のないまま、それに汚染され続けているんじゃないかと不安になる。
俺もやがて、先生方のようになるのだろうか。
第一「鬼の作り方」とはなんなのか。
この学園に鬼とやらがいるからこういう異変が起こるような口振りだったのに、どうしてまた鬼を増やすような真似をするのか。その儀式をすることで全てが元通りになると、どうして皆が皆頑なに信じているのか。
悶々と一人で悩み続けている。仕事もどうにも手につかない。
なのに俺は、この大きな流れに抗えなかった。
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