おわりのはじまり ④
俺は職員室にて昼食の仕出し弁当を飲み下すようにやっつけながら、
「でも前島先生、そんならお祓いでも何でもやってもらえばいいんじゃないすか」
「折戸先生……その話は日中しないでください。生徒に聞かれてしまいますから」
疲れ果てた前島先生は小さな菓子パンをおよそ食欲が無さそうに嫌々ちみちみ食べながらそう言うが、本気で制止するほどの気力は残っていないらしかった。
「でも、やったんですよ。お祓い」
「え。したんですか」
「ええ。学内で――しかも卒業式の最中に、あんなことが起きましたから」
前島が濁して言う、あんなこと。
それは、あの自殺騒動のことだろう。
「なんなんですかね、わざわざそんなタイミングでアレするなんて」
自殺だなんて、馬鹿馬鹿しいことだ。
俺は死を選んだ生徒が、どんな悩みを抱えていたかは知らない。
しかし、と思う。
仮に学業やら私生活やらで悩んでいたとしても、この学園を卒業するまで我慢すればそういうしがらみから抜け出せるじゃないか。耐え忍んでようやく新たな環境に向かえる好機が来たというのに、そこで命を放棄するなんて馬鹿だろう。
若さ――というより、幼さ故の愚行だ。
衝動的で、我慢が利かず、努力の方向性を間違える。
「元々精神的に不安定な生徒さんで。もちろん驚きがありこそすれど……周囲もああ、という感じだったみたいで。それほど大きな揉め事にはならずに済んで……」
前島は黒縁眼鏡を外して目蓋を揉み解しながら、
「でもやっぱり、そういうセンセーショナルなことがあると、在校生の間でも不安が広がるでしょ。多感な時期ですからね。根も葉もない噂だとか……こう、ある種の、集団ヒステリーみたいなこともあって……あの時は、最悪で……」
前島は、もう食べるのも諦めたのだろうか。
デスクには三割くらい欠けたパンが放置されていた。
「そういうのを払拭するなら……やっぱりこう、問題に対して対処したという明らかなパフォーマンスを示すのが大事でしょう。だから遠峰先生がご実家の方を呼んだのです。あの祠も、遠峰先生のお家で代々管理されているものでしたし」
またその名前が出た、と俺は眉を上げる。
ここに来て以降、彼の名前をよく聞く。本人には一度も会えていないのに。
よほど美成瑚学園で中心的な人物だったのだろうか。
「それ――遠峰先生、ご実家が神社とかなんですか?」
「え? ああ。そうですね。志津目の方にある、由緒あるお寺さんです。この学園の創業から関わりあるらしくて。内情も知ってるし、話は早くて……その後すぐ、ここでお祓いが執り行われたんです。その時は、つつがなく終えたんですが」
「効果が、なかったってわけですか」
この現状を鑑みればそういうことだろう。俺は空にした弁当の容器をさっさと片し、溜め込んだテストの採点に取り掛かりながらそう言った。しかし、
「効果がないだけなら、良かったんです。むしろ――」
前島がそう言いかけた瞬間、廊下からばたばたばたと足音が近づいてきた。
がらりと教職員室の扉が一息に開け放たれて、
「――せんせえっ!!」
座席の位置上、駆け込んできたその生徒と俺は目が合った。
上履きの色は見えなくとも、俺や前島先生とそう変わりない体格から三年生であることはすぐに分かる。肩で息をしていた。顔色が真っ青なのに額には汗が浮かび、開いた瞳孔が俺に向けられながらも僅かに揺れていた。
「和田くん? どうされましたか」
三年の学年主任故か、前島が名前付きで瞬時に問いかける。
男子生徒は俺たちの間で視線を右往左往させながら、廊下の外を指さして
「やっ! やばっ!! ……くて、ちょ、きてきてきて……」
ろくに意味が通じなかったが、とにかく切羽詰まったものだった。
慌てるあまりろくに言葉の出てこないその男子生徒、急かされるままに俺と前島がついていくと、その理由はすぐに分かった。
二階の北側、その最奥。
そこに近づけば近づくほど幾つもの高音の連なりが聞こえてくる。前島は何かを予感したのか常軌を逸した焦りを浮かべており、野次馬をする廊下の生徒たちを掻き分けてはクラスに戻るように叱りつけていた。
そうしていくうちに、人だかりを抜けた。
三年一組の教室。その締め切った扉の奥から、音が漏れている。
俺たちを案内してくれた和田を含めた生徒たちはこうして集うわりには、決してそれ以上教室に近づこうとしない。その顔々にもあからさまな好奇心は張り付いていない。
ただ、皆が皆、その口を固く結んでいる。
「……さあ、自分のクラスに戻って!!」」
そう前島が念押しすると、生徒たちは渋々ながらも散っていく。美成瑚の生徒たちはなんだかんだ聞き分けがいい。俺は扉の窓から中の様子を伺った。
まず、教卓の前に四、五人の生徒が倒れていた。
白目を剥いて、口の端から細かな泡が流すものを見た瞬間、すぐに状況のまずさに感づく。慌てて駆け寄ろうとした瞬間、前島の手に掴まれて止められる。
「ちょっ、何するんすか」
前島の視線は教室の後方に貼り付けられていた。
その額から脂汗がじわりと浮かび、血色の悪い頬を伝って落ちる。
弾かれたように俺は、その視線の先を見る――。
ある一人の男子生徒が、他の生徒に囲まれていた。
異様な光景だった。たぶん、中央の彼は、泣いている。
いや、あれを泣いていると表現していいものなのだろうか。
俺は心の底からぞっとした。たぶん、生まれて初めてだと思う。
確かに涙は流れている。虚空に釘付けになって見開かれた目から、締め忘れた蛇口のように絶え間なく流れ続けている。今もなお。いくらその口元からも唾液が漏れ出ているとしても、彼のワイシャツから紺色のスラックスを濡らすほどに流れ続けているの異常すぎる。微動だにせずに、顔中から延々と体液を垂れ流す装置のようだ。
彼の名は、たしか幡場といったと思う。
くりくりとした目が印象的だったから覚えていた。
可愛らしいその童顔の面影は、今や殆ど失われているが。
そんな幡場を取り囲むようにしている他の生徒たちがいる。
中央の彼に向かって放射状に並んだ生徒たちは、各々その手を自分の頭に巻き付けながら苦悶の表情で仰け反って、奇妙なバランスで凍ったように固まっている。
菊の花でも模した表現運動でもしているのかと思った。
それかもしくは、何かの薬を集団でやってしまったか。
酷い耳鳴りがする。頭が痛い。目眩も感じる。異様な光景を前にして俺も動揺しているのだろうか。前島は動かない。茫然自失になっているらしい。
「やっぱり、やらなくちゃ、駄目なんだ……」
そんなような意味の分からないことをポツリと呟いていた。何か問い掛けようとも彼の華奢な肩を揺すっても反応らしい反応は帰ってこない。自己完結すんなよと思わずぼやいてしまう。俺がこれを対応しなくちゃならないのか。
信じられないくらいに汗ばんだ己の手で、教室の扉をそっと開く。
より鮮明になった高音が浴びせかけられる。
俺は気づく。その音の正体に。
まるで、か細い悲鳴のようだった。
中央の男子生徒を取り囲む者たちが、声を出しているのだ。
「おい、なにしてるんだ――」
民謡じみたその高音の連なりは、俺の声など簡単に掻き消してしまう。
彼らの足元には各々が垂らした体液と血反吐が水溜りのようになっている。怖気が立つ。彼らは一体どれだけの時間こんな苦しい姿勢を続けているのだろうか。
「おい!! やめなさい!!」
再度試みようとも、俺の声は届かない。
不思議なのが、このような煮詰まりきった異様な状況下にいると、自分も彼らと同じようにしなくてよいのだろうか――そんな意味不明な心理状況に陥ることだった。
あの男子生徒を取り囲む一員となり。
背中を反らして、限界を越えて高音を吐き続ける。
そうすることが、人生で一番の最優先事項のような気がしてならない。
いや、何を血迷っているのか。
俺は思い浮かんだどうかしている考えを必死に振り払う。
室内にこもった空気には、子ども特有の体臭と、緊張した時に出る汗の臭いとと、それから吐瀉物の臭いが混じり合って鼻につく。頭痛と吐き気が加速する。
遅れて、前島も教室へと足を踏み入れてきた。
このあまりに異質な空間に現実感を喪失してしまったかのように、何故か薄らと笑っていた。酷く気味の悪い笑みだった。そして彼は、
「選ばれた……そうだ……幡場くんが……」
俺はもう情報を処理しきれなくなった。
何かに焚き付けられたような彼の呟きは聞かなかったことにする。
どうするべきか。どうにかしなければいけない。
俺は集団を避けて掃除用具入れからバケツを取り出して、近場の手洗い場から水を汲み、それから男子生徒目掛けて思い切りその水をぶっかけた。
きょとん、とした顔で俺を見る。
元の可愛らしい童顔に戻っていた。
それと同時に、取り囲む生徒たちも、地べたに倒れて寝転がっていた生徒たちも、夢から覚めたように顔を上げ始めた。禍々しい雰囲気が氷のように溶けていく。俺は少しでもこの空気を霧散させるため締め切った窓を全て開けた。
前島は気を取り直したかのように平静になって、
「幡場くん……大丈夫ですか」
中央に立っていた男子生徒――幡場と呼ばれた彼は、
「……あれ、ぼく、なにを……?」
許されるならば、俺はその場でへたり込んで悪態の一つや二つを吐き捨てたかった。何なんだと思う。こんなどうかしている学園に勤めることが嫌で仕方なかった。
しかし生徒たちがいる手前、俺は我慢するしかなかった。
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