おわりのあと ⑧

 車だと、あっという間だった。

 古ぼけた住宅、個人商店、空っぽの駐車場、葬儀場、パチンコ屋の廃墟、廃材置き場、国道らしき大通り――心の準備をする余裕もなく、すぐに開けて耕作放棄地の向こうに山陰と児童公園と隠れ家が見えてきた。

 山麓へ向かう岐路を曲がる。

 車体に傷がつくことも気にせず小道を強引に押し通る。

 二度と来るまいと思っていたこの美成瑚学園の廃墟に、すぐに舞い戻ってしまった。

 僕は、男たちに車の中から乱雑に引っ張り出される。

「いやあ、涼しくていいねえ。死体埋めるにゃもってこいの場所だ」

 校舎を見上げて楽しそうに目を細める白スーツに対して、筋骨隆々と入れ墨と運転手の男は各々目配せをしていた。この場所の異様さに気づいたのだろう。

 しかし、彼らは何を言うでもなく、白スーツに従うだけだった。

 男たちは車のトランクから「劇物注意」と記された液体の入ったポリタンクと、土木用の大仰なシャベルを何本か取り出してそれぞれ抱え始める。

『この先、何が起ころうとも管理者は責任を負いません』

 そう書かれた看板を無視して白スーツは、平然とガードフェンスの隙間を見つけて中へと足を踏み入れていく。この場所のおかしさに気付かないのか、それともこの程度の恐怖など彼にとっては日常の延長線程度のものなのだろうか。

 僕は男たちに小突かれて、フェンスの隙間に身を滑らせる。



 これから彼らに殺されてしまうことにか、もしくは本能的に感じ取るこの廃墟の忌々しさにか、もしくはその両方によって僕は酷く怯えていた。

 猛烈な寒気がする。

 震えながら、心底願っていた。

 この心霊スポットが本物でありますように、と。

 入ったものが全員死んでしまう忌地でありますように、と。

 空には雲一つなく太陽が輝いているし、霧や霞が出ているというわけでも無いのに視界が不明瞭だ。五人分の土を蹴る音がただただはっきりと煩く響く。

 校舎の正面玄関と思しきところは、かつては立派だったのであろう。

 ステンドグラスや装飾彫刻が施された部分もあったように見えるが、それらの殆どは打ち捨てられてコンクリートに散らばっているから余計に廃墟感が際立っている。

 そこの半分外れた扉の中へと入ってみる。

 教員や来客用の靴箱は盛大に倒され、ひしゃげている。

 むわりとした湿気と、今までで一番濃い異臭が籠もっていた。

「ひっでえ臭いだなあ、まさか俺たちよりも先にお客さんがいるのかね」

 白スーツのその軽い一言で、僕は思わず想像してしまう。

 トイレの中なんかで首を吊り、半ば腐り落ちかけている死体の姿――自分もこれからそういうものの仲間入りをすると考えると、思わず吐きそうになってしまう。

 校舎の中は、外観以上に荒れ果てていた。

 まるで悪意のようなものを匂わすかのように。

 割れていない窓ガラスなんて珍しいくらいだった。

 まるでこの校舎ごと何度も激しく振りでもしたかのようだ。

 何もかもが破茶滅茶で、正しい位置にあるものなど一つもなかった。

 床のタイルは劣化し剥がれ、落ちてきた天井の瓦礫がそこかしこにある。歩くだけでじゃりじゃりと鳴る。吸ったら健康に悪影響がありそうな塵が漂う。壁に備え付けていた木製のロッカーは腐って歪んでいる。外れて折れ曲がった扉、それが付いていたと思しき部屋の中は水漏れでも起きたのかドブの底のような状況になっていた。

 散乱する謎の木札を踏み散らしながら白スーツは面白がって、

「わはは、臭いはアレだけど、なかなか雰囲気あるじゃないの」

 連れられるがままの僕は、怯えて何も答えられずにいた。

 ただ、内心では確かにとは思った。


 なんというか。

 すべてがもう、

 終わっている。


 そんなような、破滅と退廃の空気に満ちていた。

 それだけは、恐怖に支配される僕でもありありと感じられる。

 最上階の三階に昇るも、北の方に伸びる廊下は椅子や机が無茶苦茶に積み上げられて入れず、かといって南の方面は床が崩落して吹き抜けになっていて進めない。

 二階に降りる。その真向かいには大部屋があった。

 教職員室、のプレートが落ちていた。

 変な風にひっくり返ったデスクが窓を突き破っているのに気づいた白スーツは、歓声を上げながらその中に入っていく。手下たちに小突かれながら僕もついていく。

 乱雑に撒き散らされた段ボールや書物を踏み越えて、ずいぶんと開放的になったそこからは、コの字型の校舎の内側部分がよく見えた。

「お、あそこ。いいんじゃない?」

 白スーツが外を指差している。

 そこには山裾に繋がる、中庭があった。

 連れの男たちは廃墟探索に飽き飽きしているのか、口々に同意する。

 再び一階まで降りて、南側の渡り廊下が見えた方へと出た。その先にある天井が崩落している体育館には行かず、回り込むようにしてその中庭に辿り着く。

 コの字型の校舎と、山裾に挟まれた窪みのようなところだった。

 校舎側には荒れ放題の花壇と、井戸から水を引く手洗い場。

 山裾側で何より目を引くのは、積み重なった廃木材だ。

 粉々に割れた瓦、焦げ茶色の木材、その中に混じる掠れた赤い柱。一体何の用途に使っていた建物なのだろうか。職員や用務員の宿直室にしては、少しこじんまりし過ぎている。

 ここには、何か、古い木材建築物があったらしい。

 そしてその古さ故にか、朽ち果ててしまったようだった。

 その前に立った白スーツは大欠伸をしながら、

「おし、ここでいっか。丁度校舎で人目も隠れるし」

 そう言って、僕にシャベルを持たせた。

「…………え?」

 意味が分からなかった。

 白スーツは僕をじいっと見つめて、

「いや、最後のひと仕事だよ。頑張れよお」

 そう言って、彼は煙草に火を点けながら笑っていた。

 意味が分かった。僕は嗚咽を漏らしながら、自分の墓穴を掘り始める。


 ざくり、ざくり、ざくり。


 掘り進めるたびに、ひたひたと死の時が近づいてくる。

 途中で僕は体力が尽きた振りをしてみたりしたが、その度に白スーツの手下の男たちに容赦なく殴る蹴るの暴行を受けたから少しも中断できなかった。途中でしびれを切らした白スーツが部下にも手伝わせたこともあり想像以上に早く完成する。

 僕は掘った穴へと寝転ぶよう命じられる。最終チェックだろう。

 その底から見えた、切り取られたような夏の夕焼け空が綺麗だった。

 覗いてくる四人の男の影さえなければ、写真でも取りたいくらいだった。

 しかしもう、墓穴は、充分な深さになっていた。

 僕の身体もすっぽり入る。野生動物にも掘り起こされないだろう。

「所持品を燃やして、歯をぐちゃぐちゃに折って、顔と指紋を薬品で溶かしとけば――仮に死体が見つかっても身元が割れないもんでなあ。兄ちゃん、どうする?」

 どうする、とは。

「それをされるのは、殺してからにして欲しい?」

 穴の底からだと逆光になり、見下ろしてくる彼らの顔がよく見えない。

「それとも、死ぬほど痛くても、まだもうちょっと生きてたい?」

 だけど、なんとなく分かる。白スーツの男は〝最後のお楽しみ〟をしようとしている。

 だから、もう、潮時なのだ。

 最凶の心霊スポットなんて、本当なわけがなかった。

 入った者が全員死ぬ忌地なんて、存在する訳が無い。そんなの当然だ。

 そんなこと、正直わかっていた。ただ何かの希望に縋らないと、耐えられなかった。

 僕は、顔中の穴という穴から液体を垂れ流しながら、

「……ごっ、ごろじて、がらに、じでぐだざい」

「おう。いいよ、上がってきな。痛くしないでやるから」

 白スーツが墓穴の中の僕に手を伸ばした瞬間、

「あ?」

 彼は、不可解そうに前を向いた。

「――まあ、一人殺すも二人殺すも変わんないか。……おい、ちょっと捕まえてこい」

 運転手だった男の影が動いた。

 足音が離れていってすぐに、その男の声で、

「おい!! テメエ止ま、れ――え? あ、あっ? うそ、えっ、なっ、いっ」

 不可解な困惑の気配だけが、僕のいる穴の底まで聞こえてきた。

 白スーツが「なにやってんだアイツ」と半笑いでぼやき、新しい煙草に火をつけた直後、


 ばちゅっ


 そんなような、音がした。

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