2025年8月3日 09:08 編集済
レッスンへの応援コメント
朝尾と申します。 いやー、身につまされました。 「俺」は音楽において挫折を味わい、小説においてささやかな成功をおさめる。しかし小説という媒体それ自体への不満もほの見えてるような気がします。小説は鳴らない。鳴るのは読者の想像の中だけで、その点で読者に依存しすぎている。 演奏者のように、弾きだされる旋律と共に、演奏者自身が旋律をかいくぐる魚のように身を躍らして、表現と表現者とがそこに同時に存在できない。小説において作者は弾きだされている。そこに併存し、表現の一部になれないことへの、一抹の不満……。 また「俺」はおそらくはるみちゃんから受けとった詩情を、小説という、物静かな平面の上に翻訳している可能性があると思いました。文字が整然と並んでいる文面をみて、はるみちゃんから受けとった色濃い影響がいよいよ浮き彫りになり、同時にそれをやっと直視するだけのゆとりを、時間的にも能力的にも得たから、こうして後悔として振り返ることができたのだろうと推察されます。 はるみちゃんの門下生だった頃は、何かを創ろうとするには魅せられすぎていて、アートには相応しくない心境だった、という分析が、《それを溢すまいとする自分と、早く振り払いたい自分が同時にいた》という記述に裏打ちされているような気がしました。酔ってばかりじゃ創れない、自分なりのにがりのような静けさがなけりゃ、ただ鑑賞する人であり、称賛する人になってしまうという焦りでしょうか。アートをする側の人間だという自負がなければ、こうした焦慮は生まれないと思いますね。 作詞作曲等、音楽的な方面から小説に転じる人は多いとあらためて感じます。《心が体の境界をはみ出していることがエロい》という一文は光ってますね。 体が、内側から噴き上げるものにもみくちゃに翻弄されているかのようにひとりでに受動的である様子。外側から力が働いているわけでもないのにひとりでに受動的である様子はたしかに煽情的かもしれません。 防音室がいかに異質な空間であるか、に注意が必要ですね。願わくばそこをもう少しねばっこく描写してくれんことを、と思った次第です。描写によって「エロい」わけではなかったので、つ――んっとのぼせてくるような防音室の中に流れるゆるやかで且つ稠密な時間を、描写によって追うことができたら、読者としては面白かったかも。こちらも頭がぼおっとしてくるようなはるみちゃんの一挙手一頭足にのぼせることができたら、面白かったかも、なんて思いました。
作者からの返信
朝尾羯羊さん「小説は鳴らない」、それはすごく重要な点だと思います。どんなにがんばっても読み出し? は読者に依存する。読者に受容体がなければ、もしくは言葉と意味のストックがなければ、どんな小説もボソボソになってしまうでしょう。でも、それは他のアートにおいても同じとも言えて、「どこまでが表現者のコントロール出来る範囲なのか」の距離に違いがあると思います。その中でも音楽は受け手までの距離が深く、小説は遠い(浅いとは少し違う)、その違いに主人公が感じるものはあると思います。 エロさと防音室の感じ、確かに描写してません。スピードと勢いを優先した書き方だったのでそうなったのだと思います。そこを描写したらもっといい小説になったでしょう。次は気をつけようと思います。「心が体の境界をはみ出していることがエロい」は、渾身の一文です。真理とも思っています。「レッスン」を読んでたくさん思って考えて頂けたことが、そしてそれを伝えて頂けたことが、嬉しいです。 読んで頂きありがとうございます。真花
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レッスンへの応援コメント
朝尾と申します。
いやー、身につまされました。
「俺」は音楽において挫折を味わい、小説においてささやかな成功をおさめる。しかし小説という媒体それ自体への不満もほの見えてるような気がします。小説は鳴らない。鳴るのは読者の想像の中だけで、その点で読者に依存しすぎている。
演奏者のように、弾きだされる旋律と共に、演奏者自身が旋律をかいくぐる魚のように身を躍らして、表現と表現者とがそこに同時に存在できない。小説において作者は弾きだされている。そこに併存し、表現の一部になれないことへの、一抹の不満……。
また「俺」はおそらくはるみちゃんから受けとった詩情を、小説という、物静かな平面の上に翻訳している可能性があると思いました。文字が整然と並んでいる文面をみて、はるみちゃんから受けとった色濃い影響がいよいよ浮き彫りになり、同時にそれをやっと直視するだけのゆとりを、時間的にも能力的にも得たから、こうして後悔として振り返ることができたのだろうと推察されます。
はるみちゃんの門下生だった頃は、何かを創ろうとするには魅せられすぎていて、アートには相応しくない心境だった、という分析が、《それを溢すまいとする自分と、早く振り払いたい自分が同時にいた》という記述に裏打ちされているような気がしました。酔ってばかりじゃ創れない、自分なりのにがりのような静けさがなけりゃ、ただ鑑賞する人であり、称賛する人になってしまうという焦りでしょうか。アートをする側の人間だという自負がなければ、こうした焦慮は生まれないと思いますね。
作詞作曲等、音楽的な方面から小説に転じる人は多いとあらためて感じます。
《心が体の境界をはみ出していることがエロい》という一文は光ってますね。
体が、内側から噴き上げるものにもみくちゃに翻弄されているかのようにひとりでに受動的である様子。外側から力が働いているわけでもないのにひとりでに受動的である様子はたしかに煽情的かもしれません。
防音室がいかに異質な空間であるか、に注意が必要ですね。願わくばそこをもう少しねばっこく描写してくれんことを、と思った次第です。描写によって「エロい」わけではなかったので、つ――んっとのぼせてくるような防音室の中に流れるゆるやかで且つ稠密な時間を、描写によって追うことができたら、読者としては面白かったかも。こちらも頭がぼおっとしてくるようなはるみちゃんの一挙手一頭足にのぼせることができたら、面白かったかも、なんて思いました。
作者からの返信
朝尾羯羊さん
「小説は鳴らない」、それはすごく重要な点だと思います。どんなにがんばっても読み出し? は読者に依存する。読者に受容体がなければ、もしくは言葉と意味のストックがなければ、どんな小説もボソボソになってしまうでしょう。でも、それは他のアートにおいても同じとも言えて、「どこまでが表現者のコントロール出来る範囲なのか」の距離に違いがあると思います。その中でも音楽は受け手までの距離が深く、小説は遠い(浅いとは少し違う)、その違いに主人公が感じるものはあると思います。
エロさと防音室の感じ、確かに描写してません。スピードと勢いを優先した書き方だったのでそうなったのだと思います。そこを描写したらもっといい小説になったでしょう。次は気をつけようと思います。
「心が体の境界をはみ出していることがエロい」は、渾身の一文です。真理とも思っています。
「レッスン」を読んでたくさん思って考えて頂けたことが、そしてそれを伝えて頂けたことが、嬉しいです。
読んで頂きありがとうございます。
真花