後輩の話

蒔田舞莉

真っ昼間のファミレス


 大学時代の後輩が、久々に連絡してきた。

 「お久しぶりです、会えませんか」という簡潔なメッセージに、壺売りつけられたり幸せか聞かれたりすんのかな、と思いつつも会うことになった。

 偶々暇だったのもあるし、なにか売りつけられそうになったところで話の種くらいにはなるだろう、と。


 そうして再開した後輩の顔は、随分とやつれていた。


「どーも、お久しぶりです。先輩」


 明らかに覇気のない声でひらひらと振る指先はカサついていて、目の下には天才探偵よろしくクマがくっきりと表れている。

 誰がどう見たってまともな状態ではない。


「どしたの、お前」

「あー、ちょっと色々……とりあえず店入りましょうよ、暑いし」


 言いながら後輩の手は既にファミレスのドアを引いていた。

 からんからん、と鳴る軽い鐘の音にとりあえず俺も扉を潜る。聞きたいことと聞いてもいいことを考えながら、四人掛けのボックス席に着く。店内は平日の昼間だからか、人が少ない。

 後輩は席に着くなりタブレットを手に取った。


「先輩何します? 俺とりあえずアイスコーヒー」

「ウーロン茶」

「はーい」


 二人分の飲み物、と、フライドポテトを追加して注文を確定。どうやら食欲はあるらしい。少しだけ安心した。


 飲み物が来るまでの間、水を飲んで沈黙を埋める。何をどう話していいものか、見当がつかない。

 外は今年の異常気象で、まだ7月だというのに36度を記録していた。体温みたいな気温で炙られた身体には、ただの水だろうと上手く感じられる。

 そう待たずに、バイトらしき店員が注文品をまとめて持ってきた。提携通りのごゆっくりどうぞに曖昧な会釈をして、後輩に向き直る。


「……で。連絡寄越したってことは聞いてもいいのか、それ」

「いいすよ。上手く話せるかはわかんないですけど」


 思ったよりも軽い調子で、後輩はポテトを食った。


「普段ちゃんと飯食ってるか」

「食ってます。意外と普通に。むしろ外食するようになった分前より食ってます。食わずに居座るの、マズいでしょ」


 外食。

 それを聞いて首を傾げたのは、彼が自炊派だったことを知っているからだ。それこそコンビニ飯で済ます俺に節約大事ですよ、健康にも悪いし。と小言を言ってきたこともある。

 そんな俺を見て、後輩は困ったように笑った。


「一応ね、結果から話します。多分一番気になってんの、俺のやつれ方かなって思うんで」


 痩せた首を撫でながら、空いた方の手でカバンを漁る。

 取り出されたのは、風邪薬だった。瓶に入った市販薬だ。


「オーバードーズしてるんです、俺」

「は」

「薬の大量摂取です」

「いや、それはわかってるけど」


 からっとした声で、普通の世間話のように言われた言葉に混乱する。

 よくないんじゃないのかそれは、と馬鹿みたいなセリフが口から出そうになって、呑み込む。

 やつれていることの説明としてこの話をしたということは、恐らく本人もわかってやっているのだろう。

 だが、なぜ。

 その行為自体もそうだが、俺に言う意味もよくわからなかった。


「……その原因、俺が力になれんの?」


 ほとんど独り言みたいに呟けば、後輩は口をあけて笑う。


「意外と優しいですよね、先輩。大丈夫です、助けてほしいとかじゃなくて、ただ聞いて欲しいだけなんで。与多話だと思ったら信じなくていいし、俺の頭がおかしいんだと思ったら引っ叩いていいです。ただ、飲み会の肴にでもするつもりで適当に聞いといてください」


 ウーロン茶のグラスに、水滴が伝った。

 後輩の目が段々と胡乱になってくるのがわかる。


「つまり今からするの、それくらい荒唐無稽な話なんですけどね。あ、一応言っとくと病院には行きました。行ったうえでダメです、これは。もう一人で抱えとくの無理っていうか、しんどすぎるっていうか、わけわかんなくて、ほんと、マジで、どうしたらいいのか」


 ほとんど喘ぐような呼吸になっていた。

 手の甲に立てた爪が、がりがりと表面を削って赤い線を何十二も残す。

 瞳孔が明らかに収縮している。


 言葉がぴたりと止まった。


「それじゃあ、きっかけから話、しますね」


 背中を流れる汗を感じながら、俺は頷くことしかできなかった。




 きっかけから、って言いましたけど、本当にこれが原因かはわかんないんです。ただ、心当たりってそれくらいしかないので。


 会社の人間と肝試し、行ったんですよ。

 そう、肝試し。社会人にもなって何やってんだとは俺も思いますけどね。酔ってたんですよ皆。新社会人、ついこの間まで大学生だったし。まあ、学生気分が抜けてないってやつです。

 同僚の家で飲んでて、近くに心霊スポットあるぜって話になったんです。それでその時いた5人でふらふら歩いて物見遊山に行ったんですね。


 先輩知ってるかな、二枝トンネル。

 あ、知ってますかやっぱり。先輩そういうの好きでしたもんね。行きました? 行ってない。なるほど。

 あー、話としてはよくあるじゃないですか。心中、とか自殺、とか。色んなのがごちゃまぜに、俺はこう聞いたああ聞いたっていう辺りまで含めて。

 結局あれ何が正解なんですか。え、ああ、記録として正確なものはない。そんなもんですよね。


 本気で何かあるとか俺らも思ってなかったですよ。そんな現象に遭遇したこともないし。どちらかといえばヤンキーとかホームレスとか、そういうのの方が怖かったくらいで。

 実際、何も起きませんでした。

 人影はなかったし、声も聞こえなかったし、道中に花束が置かれてるみたいなのもなかった。

 本当に無かったんですよ。


 なのに5人中、もう3人死んでるんです。


 死んでるんですよ。

 2人は自殺。もう一人は事故、ですけど、半狂乱で車道に飛び出したところをっていうんだから、なんていうか。

 生きてんの、俺と飲み会した家の奴だけなんです。しかもそいつも音信不通で家も引き払ってんですよ。わけわかんねえ。

 そいつがなんかしたんじゃねえかって、俺も思いました。でもわかんないんですよ、連絡取れないんだから。

 ああそうだ、家、引き払ってたどころじゃないんです。そいつ、ぼろっちぃアパートに住んでたんですけど。取り壊されてたんです。

 もうこれほぼ黒じゃないですか。ああクソ、最悪だ、全部。


 で――

 死んだやつら皆、見える、って言ってました。

 何が、かはわかんないです。とにかく怯えた顔で家にいるとあれが見えるって言ってました。

 なにがあるってわけじゃない。けど、ずっと異様な怖がり方でした。大人が泣きながら怖い怖いって言ってるんですよ。

 一人は俺も見たんです。会社の近くにある廃ビルから、と、飛び降りて、俺は。

 それで、それで、ああ。


 先輩。

 俺もなんです。俺も見えるんです。


 ダメなんです。

 家にいると変なものが見える。それが何かとか知らないですけど、とにかく、見えるんです。とにかく人間とか犬とか猫とかじゃない悍ましい何かが。

 引っ越してもダメでした。家に、いるんです。外にはいません、家から出たらなんもない。

 逃げれる、けど。

 家が安心できないの、辛いんですよ。

 ホテルもしばらく居続けたら家判定になるっぽくて。ある日唐突に見えるようになるんです。


 ……でもそんなのいないじゃないですか。いないんですよ。いていいわけないんだから。


 だからメンタルか頭か、どっちかがぶっ壊れたんだって思って病院にもいきました。正常なんですよ。そんなわけないのに。

 じゃあ、じゃあもうわかんないけど寺とか神社かって、そっちも行きましたけどそっちもダメなんです。むしろ不思議なくらい何もついていませんよって。


 手詰まりですよ。


 どうしようもないんです。いないはずのものを見ていて正常なわけないのにどこにも異常がないんです。おかしいじゃないですか、そんなの。


 だから、だから俺はオーバードーズしてるんです。

 わかってます、それだっておかしいんです、わかってる、わかってんだよ!!


 ……すみません、違う、先輩は悪くないです、何も。


 けどもう限界だったんです。

 を作らないといけなかったんです。そうしないと頭おかしくなりそうで。

 オーバードーズの諸症状の一つに、幻覚作用があります。それを多分前、掲示板とか、何かで見たんで。


 そしたら、原因ができるじゃないですか。

 あ、オーバードーズしちゃったもんなって。薬でバッドトリップしちゃったんだなってわかるじゃないですかそれが正解になるじゃないですか正しいでしょうそうですよね?


 だからええと、そう、俺が見た目とか言動とかおかしいのは全部風邪薬とかを大量摂取してるからなんです。

 それで最近胃も荒れてきたのか食欲減退傾向ではありますけど食えます。だって別に病気ではないんで。


 先輩、俺どこが悪いんですかね、頭か心かそれ以外か。


 最近家以外でも見えるようになってる気がするんです。

 今も――


 どうしたらいいんですか、おれ。

 ああ、ちがうか。

 どうにもなんないんですよね、きっと。



 †


 言ったっきり項垂れて黙りこくってしまった後輩を前に、俺はただ呆けていることしかできなかった。

 途中明らかに取り乱す様子はどうみてもふざけて演技をしているという様子ではなかったし、作り話だという可能性はとっくに消えている。

 病院に行って違うと言われたなら、素人がそれを否定してもしょうがないだろう。

 アイスコーヒーもウーロン茶も、氷はもうほとんど溶けてしまっていた。


「なんで俺だったんだ」


 俺の問いに、後輩はパッと顔をあげた。

 その表情はいっそ奇妙なほどにいつも通りで、それがむしろ恐ろしく見える。

 うーん、と考えるような仕草も、俺の知っている後輩そのものでしかない。


「先輩、なんだかんだ長生きしそうな気がしたから」

「長生き」

「はい」


 後輩はにこ、と極めて自然に笑った。


「死因、になるかはわかんないですけど、一応誰かに知っておいて欲しかったんです。なんでこんなことになったか。あ、証言とかはいいです。答えるにしても何かに悩んでいるようでしたとか、そういうので」

 死ぬのかもまだ、わからないですけど。

 でも最近、ほんとに辛いんですよね、生きるの。


 そう言って、少しだけ目を見開く。

 俺の後ろを見るようにして。

 一瞬奇妙な表情をして。


「冗談です」


 と言った。


「は」

「全部冗談ですよ」


 何が、どこから。

 そういうことを聞く気にはなれなかった。

 白々しく嘘でした、と言う後輩が、何を考えているのかわからない。


 その後は何を言っても上っ面をなぞる様な答えしか返ってこなくなってしまった。

 そしてトイレに立った隙に俺の分まで料金を支払って、後輩はいなくなっていた。

 それ以降後輩とは会っていないし、どうなったのかもわからない。何を見たのか、原因が何であったのかも知らない。

 メッセージにいつまで経っても既読が着かないことを考えると、いまどうしているかは自ずとわかるような気もした。


 ところで、しばらく前から部屋にいると不明瞭なノイズのような声のような音がするようになった。恐らく近くのテレビなんかの音が聞こえているだけだろうけど。

 ただ、その音が段々後輩の声に似てきているような気がするのは、

 いや、きっと気のせいだろう。



 縺帙s縺ア縺

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