銭湯

某キタムラ

銭湯

 


 太陽すらアイスのように溶けていってしまいそうなこの暑さで、どこから湧いたかわからない衝動が私を銭湯に向かわせた。「ゆ」と書かれた年季の入った看板を横目に、玄関に向かう。靴を入れるロッカーは、昔ながらの木の札を差し込まれてある仕組み。七夕だったから77番のロッカーを使おうと思ったが、どうやら使用済み。まったく、どこにもこんなことを考える人がいるのか。早速奥へ向かうと、おばさんがカウンターで応対をしていた。カウンターは、壁を隔てた女湯と男湯の両方の接客ができるよう、カウンターの半分は女湯、もう半分は男湯に飛び出していた。これまたびっくり。

 450円を現金払いで、いざ入浴。その前に、体を洗っておく。扉を開けると、むわっと熱気が襲ってくる。おぉ、なかなかの熱風じゃないか。見てみると、意外にも若い人たちも来ていた。タイルの壁は、富士山......ではなく、星々が描かれていた。どうやら、「銭湯の壁は富士山の風景画でなくてはならない」といった条例はないようだ。

 扉を閉め、すぐ近くにあった椅子と「ケロリン」と書かれた黄色い桶を持ってくる。どうやら、「ケロリン」とは昭和から発売されているある製薬会社の商品名のようだ。広告としては斜めすぎる切り口だが、実際、全国の銭湯に広まったのだから成功ではあるだろう。

 持ち込みの石鹼で体を洗い、いざ浴槽。事前確認したところ、ここの銭湯は界隈では湯の熱さでちょっとした有名店のようだ。両足を入れると蒸発してしまいそうな熱さがしがみついてくる。ただ、少しするとこの熱さも体が許容し始め、心地よくなってきた。1学期で貯めた疲労が一気に溶け出していく気がする。その温かさの抱擁にまどろみそうになる。これではいかんと、隣にある「あつい湯」に入る。ここも十分に熱いのに「あつい湯」ってどれほどだと思う。爪先を少しつけてみたが、神経が危機を察知し、すぐに脚が引っ込む。これはダメなやつだ。しかし、修行僧のように、タオルを頭にのっけて、目をつぶりながら顔を真っ赤にしているお爺さんがそこにはいた。特殊な訓練を受けているのだろう。

 戻ると、サウナがあった。こう書かれてあった。「血行が促進されることによって、食欲増進を促します。また、その日の安眠を約束します。」

 約束までしてくれるのなら入る価値があるだろう。満を持して入る。目標時間はこの時計が一周する12分といったところだろうか。先客のおじさんに会釈をし、挑戦スタート。が、3分経たずに撃沈。おじさんは、まだまだだなといった様子でこちらを見ていた。

 シャワーのレバーを「冷」に設定し、「ケロリン」いっぱいに水を張ってから、一気に頭から被る。それを何百万回と繰り返していく。サウナが苦手なのが分かっていたなら入らなければよかったのに。ギブアップ。風呂から上がる。

 錆びたスライド式の扉を開けると天国であった。エアコンがガンガンに効いていてオーバーヒートした体を冷却してくれる。正気を取り戻したとき、「ケロリン」を持ったままであることに気が付いた。もう、サウナに頭がやられてしまったのかもしれない。

 「ケロリン」を戻して着替えおわると、喉が水分を求めてカウンターへと体を引っ張っていった。でも金はもうない。スマホだけしか持っていない。しかし気づいた。

「PayPay」に対応した二次元コードがあることに。レモンスカッシュを取り出し、スマホをかざして支払う。昭和にとどまり続けているかと思いきや、やはりここでも時代の潮流は押し寄せてきているようだ。プルタブを開けながら銭湯を出る。

 少しきつめの炭酸と、その酸味が喉を過ぎ去っていくたびに、生きていることを実感する。

 茜色に溶けていく商店街の街並みは、今はすっかり寂れている。かつてここは港から直接運ばれた新鮮な魚を売る鮮魚店が立ち並んでいたらしいが、今まともに営業している店はコンビニとひとつの鮮魚店だけだった。鮮魚店の前を通ると、何人かの子供が駄菓子を取り合っていた。ここは魚の他に駄菓子も店頭で販売していて、子供たちのお菓子のライフラインになっている。そこにあるスピーカーからは、サザンオールスターズが流れている。空っぽの缶を片手に、ぬるい風の吹く道で、見たことのない、かつて活気あふれていた昭和のころの商店街の風景に思いを馳せてみる。

 歩いていると、そんなこんなで家の前へ着いてしまった。家から、カレーの匂いが鼻腔を刺激してくる。ふと、お腹が鳴ってしまう。あぁ、やっぱりサウナに頭がやられてしまってるみたいだ。











 

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