おまえが可愛すぎるからだよ

雪方ハヤ

おまえを庇う理由

「お願いだから……もう離れて自分の好きなことでもしろよ……」

「やだ」

「なんでなんだよ!」

「お、おまえが可愛くて……嫁にしたいからだよ……」


 あでやかな無数の黒い糸が彼女の輝く瞳にかかる。腰まで流れる髪をたばねて彼女なりのポニーテールをせた。緩やかな曲線を描く美しい体が、高貴な墨色すみいろのドレスに包まれる。目の前の女は白くて細長い指をあつめ、拳を握った。


「じゃあ私のどこか可愛いのよ! 金も権威も人脈もなくなったし……べ、べつにかかか、かわいくも、ないでしょうよ!」


 最後のセリフを吐くとき、明らかに何か照れたように目を逸らし顔が真っ赤になる。

 彼女はもともと大型企業の社長であったが、ライバル会社との競争に破られひどく破産した。財産もなくなり、会社が倒れて、関わりのあった人は彼女のことを遠ざける。

 しかしそんな彼女のそばに唯一残っていた人は俺だった。今まで大勢の人は彼女の財産を狙って関わりを作ろうとしていたが、俺だけはそうではなかった。俺が彼女と関わりたい理由はただ一つだった。


 ――彼女が可愛すぎてずっと見つめたいから。


 しかしそうは言いつつも、たしかに彼女は大きな富豪ではあったが、別に目が離せないほどの美女ではない。単に独身が長くなった俺は、関わりのある可愛い子は彼女しか知らなかった。


「……!」


 彼女は俺の不審な微笑みを一瞬だけにらんだ。そして早歩きで自分の部屋に戻り、扉をドンと重く閉じた。

 遠くまで広がって見える別荘のリビングの中は空っぽになった。破産したとはいえ、高値で売れるものを売ったりしただけ。住居であるこの別荘は捨てず、駐車場にも一台の普通の車が置いてある。


「おい! 自殺するなんて考えないほうがいいぞぉ。すぐに毒薬を吐かせるからね!」


 部屋の中から不機嫌な声が響く。


「わかったから!」


 今日は破産した二日後。彼女はあまりにもショックを受けていたため、最近は自殺のことを考えているらしい。大量な安眠剤を飲んだり、刃物で体を傷つけてようとしている。

 しかし彼女には気づいてないようだ。安眠剤はすでに空のカプセルに置き換え、刃物は俺がキッチンの鍵付きロッカーに閉じ込めている。妙に俺は彼女のことが惜しく感じるのだ。


「はぁ……破産とはいえ、別荘もあるし……あんな可愛い顔がもったないな……」


 俺はそのままソファの上に横たえた。

 次の日、俺はいつも通り起きて彼女のことを呼ぼうとしたが、部屋に誰もいなかった。

 まさか外に出て自殺を企んでいるのか、という不安を抱いて俺はすぐに家の扉から出た。

 暖かな朝日がアスファルトを照らす。微かな花の香りが漂い非常に心地よい。すると別荘より少し離れたところから無数の嘲笑う声が響き渡る。


「『お金をください』って? かつてどれだけ我々を馬鹿にしてきたか忘れてんのか?」


 ――あいつ!?

 そこには彼女がいた。そばにはかつて彼女の部下だった人たちが土下座をしている彼女を蹴っていた。


「ぶあぁ!」


 彼女の綺麗な髪がもてあそばれ、雑乱ざつらんに頭から広がる。俺は即座に「やめろ!」と声を出し、彼女のほうに駆けつけた。


「おい……あんた、なぜこいつのことをかばう? あんただって弾圧され――」


 やつの言葉が終わる前に俺は拳を叩きつく。

 悲鳴とともに地面におもいっきり倒れる。やつは顔を手で覆い、すぐに逃げた。俺は尖った目で他の人も追い払った。

 散乱している彼女の髪を整え、膝を曲げて涙ぐんだ瞳を見つめる。すでに矜持を保てない彼女は温かな悲涙ひるいを俺の胸元に流した。


「うぅ……ううぅ……」

「もう大丈夫だよ」


 俺は彼女を別荘に連れて帰り、ゆっくりとソファに座ってさっきの事を語った。少し落ち着いたか、俺の胸元から離れて隣に座った。


「なんで蹴られたの?」

「お金が……ないからよ……」

「お金なら俺もまだ持ってるよ。破産してんのおまえだけだし、生活するぐらいの金は出すよ」

「いちいち迷惑かけたくないからよ!」


 それを言った途端、彼女の頬に流れる涙がさらに増す。


「なんで……私なんかのために……」

「だってね――」


 俺はいつも通りの決め台詞ぜりふを彼女の耳元でささやいた。


「――おまえが可愛すぎるからだよ」


 その日以降、彼女は俺に対しての抵抗感は少し減る。

 俺は彼女の会社の社員だった。かつてあれだけ繁栄したのに今はこのように無様である。破産したときは彼女一人ですべての責任を背負い、俺たちに負担をかけていなかった。しかしそれから全ての人が彼女を遠ざけた。金目的で接近していたため、もう彼女に従う必要がない。

 しかし唯一俺だけは金目的ではなく、彼女の容姿を狙っていたため、今でも彼女の後ろにしつこく追っている。


 破産してから二週間後、暑い季節になったから冷食を食べようと思う。


「おーい、飯は外で食べない? 俺が奢るよ」


 彼女の部屋の前で昼飯を誘ってみた。お腹がぺこぺこになってきっとこいつも同じ。すると部屋の扉が開きドヤ顔で現れた。


「じゃあお言葉に甘えて! その前にアイスをいただきたいなっ!」


 ぐるぐるぐる……と彼女のお腹から警告が鳴る。


「あちゃー」

「おまえまじ可愛すぎるよ」


 こうしたふざけた楽しい日々がしばらく続く。しかし破産してから一カ月後、突如のことに俺は仕事帰りに面倒なやつが現れた。


「久しぶりや!」


 夕日の陽光がやつのイカれた顔に当たる。汗のしずくが家に近いアスファルトにこぼれ、俺の苛立ちが増す。やつから清々しいミントの匂いが香る。


「なんだ……? もう一度殴られたいのか?」


 しかし俺はそんな感じはしなかった。やつは恭しい笑顔を飾り、整った黒いスーツを着ている。どうやら喧嘩けんかする気はなさそうだ。


「違うさ。今回は『交渉』よ。うちの会社の社長様がねぇ、かつて君の活躍を聞いて、あんたを雇いたいって」

「かつての活躍って……彼女のもとで働いてたとき?」

「そうさ!」


 しかし、とやつは言葉を続けた。


「その代わり、あんたはあの女から離れろ。うちの会社にも可愛い子たくさんいるから、あんな金も価値もない女を捨てようぜ」

「……は? なんであんたらの会社に入るためには彼女を捨てないといけねぇんだよ」


 するとやつは軽く二歩で俺に近づき、肩をトントンと叩く。


「うちの社長様はかつてあの女の競争相手だったからよ。俺も社長もあいつのこと嫌いだから孤立させようと思ってんの」

「…………」

「ほらあんたも、可愛い子はうちにもいるんだから。あんたの実力ならモテモテだろうし、給料は今の仕事の三倍はあげるらしいぞ」

「…………」

「社長様も言ってた、君が来るならあの女が出した昔の給料より高くしてくれるぞ」

「…………」

「ほら同意しろよ。こんな条件なら俺は即答でオーケー出したぞ」


 なんだろう。この忌々いまいましい笑顔が嫌い。でもたしかに誘惑な条件だ。


「もー! いまさら恥ずかしいと思うな、情けない気持ちも捨てていいさ。あの女はどうだっていいだろ」

「…………」


 俺は沈黙ちんもくした。ただ無表情にやつの瞳を見つめる。


「ほら、同意するなら明日、同意書もってくるぜ」


 俺が沈黙した理由はただひとつ。

 ――こいつを殴りたいから。


「やだ」

「…………え? 俺の聞き――」


 俺はやつの襟を掴み、目を尖らせる。怒りの震えを我慢して言葉を吐く。


「二度と……俺の目の前に出てくんな」


 そして俺は背を見せて振り返ることもせずに家に帰った。やつは唖然あぜんとなったか、恐れたか、本当に二度と俺たちの邪魔をしなくなった。

 その日、扉を開けると彼女は窓をずっと見つめていた。


「あれ……ずっと見てたの?」

「うん……」


 彼女の表情を察すると、あまりいい気分とはいえない無表情だ。


「あいつからオファーきたでしょ? 行ったほうがよかったんじゃない?」

「おまえを見捨てるわけにはいかないでしょ」


 そう言い、彼女に少しずつ近づく。しかしすると彼女は窓側から俺の胸元に飛び込む。


「うあ!」


 彼女は俺を抱きしめ、頬からチュッという響きが耳に伝わる。


「お、おい。おおお、おまえ……!?」


 彼女は涙ぐんで目の前の男の瞳を見てある問いを出す。


「な、なんでそこまで私を……」


 そんなの当たり前さ。俺はいつも通りの決め台詞ぜりふを吐く。


「――おまえが可愛すぎるからだよ」


 彼女はまた、顔が真っ赤になった。


 破産してから一年後。俺は優秀な実力を発揮して有名企業に務める。もちろん破産をした彼女を働かせるわけにはいかないから、俺が彼女の頼りになる。

 前年より少し柔らかくなったソファに二人で座り、彼女はまたある問いを出す。


「ねぇ……絶対にさ、可愛いからって理由だけじゃないよね?」


 彼女の繊細な眉毛が揺れる。期待がこもった瞳が俺を見つめる。


「たしかに……『可愛い』だけじゃ俺はそこまでおまえのために庇う理由にはならないなぁ」


 彼女は頭を下げて思考する。

 俺も少し考えてみた。その気持ち――言葉にはできないかも。でも俺はあるモノを思い出す。


「それが……『愛』なんじゃないの?」

「ち、ちょちょ……急にそんなこと言わないでよ」


 彼女の顔は薔薇ばらが満開したように赤が広がる。でも俺の真剣な顔をみて、「たしかにそうだね」と納得した。それでもあることが気になって俺に問いかけた。


「でも……なんで私のことを……『愛』しているの?」


 その答えは知っているだろ。しかしそれでも俺は何度でも言う。彼女が俺の嫁になるまでずっと。俺は彼女の耳元に近づく。


 そして、いつもの『決め台詞ぜりふ』を吐いた――。


 長年後、もう破産してからどれほど経ったのだろう。俺はいまでも彼女の真っ赤な顔を覚えている。


 ――なにせ結婚写真を撮っていたときも、真っ赤だったから。

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おまえが可愛すぎるからだよ 雪方ハヤ @fengAsensei

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