第10回 焦がれて
佐々木キャロット
焦がれて
「先生。結婚してください」
「……お断りします」
「じゃあ、付き合ってください」
「……それも、お断りします」
先生は深い煙とともに言葉を吐き出した。ぼんやりと見つめる先には白い桜が賑わっていて、隣にいるセーラー服の私にはまるで目を向けない。
「だいたいね、君は生徒ですよ。教師と生徒が恋愛なんて倫理的にダメでしょう」
「でも、さっき卒業しました。もう生徒じゃありません」
「僕たちの関係性は卒業しても変わりません。教師と生徒です」
「前は卒業したら考えるって言ってました」
「君に勉強を頑張ってもらうための方便です」
「私には本当でした」
先生が空に向かってふーと息を吐く。抜けるように青い。
きっと、面倒な生徒だと呆れているんだろう。そんなことはわかってる。わかってはいるけど、今日、この日だけは許してほしい。これが最後のチャンスなんだから。
「私が生徒じゃなかったらよかったですか? もっと違う出会い方をしていたら、付き合ってくれたんですか?」
「仮定の話に意味があるとは思えませんね」
「意味が無くても答えてください」
「……二十も歳が離れているんですよ。ありえません」
「私は歳の差なんて気にしません」
「僕が気にするんです。そういう目では見れません」
また一息吸って、長く吐き出す。遠くから女の子達のはしゃぐ声が聞こえてくる。校舎裏の、この陰には、ただ静かな煙が流れているだけ。先生と私を隔てるように。
続く言葉が見つからない。喉元に熱いものがつっかえて、どうしようもなく涙がこぼれでる。最後なのだから、私だって、こんな責めるようなことを言いたくはなかった。もっと卒アルに書き残すような会話がしたかった。それでも。それでも我慢ができなくて、口から溢れ出てしまった。先生には届かない言葉が。先生には届かない想いが。
先生は相変わらず遠くの桜を眺めている。いつもの着崩れた白衣とは違う、見慣れないスーツ姿で。カッコイイな畜生。せっかくパリッとしたスーツを着てるんだから、髭くらい整えたらいいのに。教え子の晴れ舞台だぞ。
「君はまだ若く、これから多くの出会いもあるでしょう。今は僕のことを好ましく思っているようですが、追々その感情が勘違いであったことにも気が付くはずです」
ふーと吐き出し、私に語りかけてくる。止めて欲しい。そんな子供を諭すような言い方で、そんな青春小説のような台詞で、私の気持ちを否定しないで欲しい。いま、この瞬間、この瞬間の私にとっては、この気持ちこそが真実なのだから。
長い息をまたついて、静寂に戻った。もう先生と私の間には何もないらしい。私の卒業に伴って、学校から消え去ってしまった。
はぁ、なんなんだろう。涙も枯れて、言葉も果てて。それでも私の身体はここにあって。先生の隣を離れようともせず、諦めも悪く残り続けている。女の子が目の前で泣いてるんだから、ハンカチくらい差し出してくれればいいのに。
「……じゃあ、タバコをください」
私は呟いた。つっかえた喉から小さな言葉を絞り出した。
「……タバコですか」
「思い出に、先生の匂いがするそのタバコが欲しいです」
「……僕ってヤニ臭いですか?」
「私は好きな匂いでした」
ふーと気怠そうに吐き出す。
「卒業したと言っても、君は未成年ですよ。教師としてタバコを渡す訳にはいかないでしょう」
「先生は高校生の頃から吸ってたんですよね?」
「体にも悪いですし」
「散々目の前で吸っておいて今更ですよ。説得力ないです」
もう一度吸って、先生は右手に持つ短くなったタバコを見つめた。
「先生。これが、これが最後の我がままだから。思い出として、次に進むための」
「……」
眼の前にすっと先生の手が伸びる。俯きながら。
「一口だけ。肺には入れないように」
え? 嘘? 間接キスじゃん。気づいてないん?
私は嬉しさと悲しさのままにそれを咥えた。硬い指と唇がかすかに触れる。私は目を閉じて、ゆっくりと、吸いこんだ。すーっと、吸い込んだ。
「えふん。ごほっ、ごほっ。おえっ」
「だから、肺には入れないようにと」
「……苦いです」
「そういうものです。これに懲りたら、もうタバコになんか手を出さないように。いいことなんて何もないですから」
そう言って壁から背を外し、ズボンのポケットを弄る。
「僕のことは忘れて、新しい世界を生きてください。これが僕からの祝辞です」
吸い殻を携帯灰皿に押し込みつつ、背中で私を突き放す。これで話は終わりだと。
「大橋先生、こんなところにいたんですか? 体育館の片付け始めますよ」
「あぁ、北川先生」
「あら、宮下さん。卒業おめでとう。大橋先生とお話してたの?」
「……はい、お世話になったので」
「もしかして邪魔しちゃったかな?」
「いえ、もう十分話せました」
「そう、ならよかった。じゃあ、行きましょうか」
「はいはい、わかりましたよ」
「じゃあ元気でね、宮下さん。また学校にも顔をだしてね」
先生が離れていく。しぶしぶという態度で離れていく。
「もしかして、大橋先生、タバコ吸ってました? 生徒の前ですよ?」
「彼女はさっき卒業したので」
「もう、屁理屈を言って。ヤニ臭いですよ」
「……気をつけます」
二人の姿が遠のいていく。私を見なかった先生の瞳には北川先生の笑い顔が映っている。
薄々気付いてはいた。そうなんじゃないかって。先生と一緒に過ごしたあの頃から。先生に恋をしたあの時から。たぶん、始まったと感じたそのときには、もうとっくに終わっていたんだと思う。今日は終わりを確かめただけ。勘違いじゃなかっただけ。ただそれだけのこと。それだけのことなんだ。
「……はぁ、苦いな」
早く口をすすぎたい。
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