写真集『UNDERGROUND GLORY』が発売されたのは、秋の始まりだった。


最初の報せはネット記事のタイトルだった。

『"労働の美学"を可視化した異色の写真集――話題作『UNDERGROUND GLORY』本日発売』

内容は、表紙に写る男たちの汗と筋肉と煤けたシャツ。工場の整備員、運送のドライバー、下町の厨房スタッフ、ガソリンスタンドの店員、清掃作業員。だが学内でもっとも波紋を呼んだのは――


「……え、ウソ。これ、ウチの親父じゃん……」

「ちょっと待って……うちの父さんも写ってんだけど!?なにこれ!?」

司の父親でもある施工管理者・真神誠司と、勇治の父親であり現役パーソナルトレーナー・久田英二だった。


昼休み、白波が持ち込んだ雑誌を見た教室がざわつく。クラスメイトたちは笑いながらページをめくり、真剣な顔で見入る者もいた。

「え、マジで?これモデルとかじゃなくて、ガチの父親なの?」

「え、なに?それって盗撮?それとも依頼されたの?」

「いや……わっかんねえ。マジで何でだよ。俺の親父、マジで一般人だぞ……。」

「今メッセ返ってきた。ジム、スマホ禁止にしてなかったのが悪いって。

でもさ……違うじゃん。たとえルールが無くても、撮っていいとは思えないよ。見せたいって思ってないのに見られるのって……それ、もう見世物じゃん……。」」

勇治と司はただ呆然と立ち尽くしていた。


写真集は社会的な波紋を呼んだ。SNSでは絶賛と批判が入り混じった。

『労働する男たちの姿が美しいと感じる感覚、それ自体は否定しない。でも、本人の承諾なく撮ったら、ただの搾取だろ。』

『この国って、男性に対してだけは性的な視線を向けるのがOKになってる。逆だったらアウトなのに。』

『働く男が美しい? 美しいからって、勝手に撮って売っていいって話ではない。』


だが一方で、出版元のコメントはあくまで肯定的だった。

『この国の労働力の多くは、可視化されず、評価もされてこなかった。我々は、それに光を当てたに過ぎません』


教室に沈黙が流れる。


白波が静かに言う。

「見られるって、そういうことなんだよ。キラキラしてるだけじゃない。泥も、汗も、歪みも、全部込みで"作品"にされる。それを、どう受け止めるかってだけで。」


その日、写真集『UNDERGROUND GLORY』は、教室の机の上にずっと置かれていた。

静かに、けれど確かに、誰かの視線を受け続けながら。


その夜、司は眠れなかった。

『UNDERGROUND GLORY』が売れていく様子を、誰かが喜んでいるのを、数字で突きつけられるたびに胸がざわつく。

ページの中の父の姿が、焼きついて離れない。

汗だくで荷物を抱えた背中。無言でシャッターを切られた横顔。

「美しい」と呼ばれる理由が、なぜこれなのかが、分からない。


「……もう、いい加減にしてくれよ。」


司はスマホを握りしめる。

ゆっくりと、投稿画面を開いた。

指は震えていない。ただ、確かに重い。


【@makami_tsukasa】

あの写真集、俺の父親が勝手に撮られてた。

夏休みに街歩いてたら、男友達が痴漢された。

同じような格好してたってだけで。

妹は家から出ることも許されないのに、俺らは笑え、脱げ、って言われる。

女性を護るってこういうこと?マジで終わってる。


投稿ボタンを押した時、世界はまだ静かだった。

だが、スマホのバイブが鳴るまでにそう時間はかからなかった。


リプライ:132

リツイート:487

SNSトレンドワード:「司くん」「#UNDERGROUNDGLORY」「護る #とは」「痴漢」「盗撮写真集」「労働の美学」

いいね:860 …1032 …1245…


怒涛の通知が、画面を埋め尽くす。

司の名前は一晩でトレンド入りした。


「……で、バズってます」

「バズってます、じゃねえよ!」

「失礼しました。でも、投稿は真神くん個人のものなので、こちらから即削除は……」

「しかも内容、マジで燃えるやつばっかじゃねえか。妹の話とか、完全に地雷だぞ……!」

教師陣の額に、汗が滲む。


「勇治の痴漢の件も、身内だけで処理済みって話だったろ!?なんであいつ公言すんだよ!」

「だから言ったじゃないですか、最近の真神、感情表現が豊かになってるって」

「そういうのを成長って言わないんだよ、この業界じゃ!」

背広のプロデューサーが、机を叩いて叫んだ。

「あの投稿、たぶん良くも悪くも記録に残る。運営としての対応は……」

「対応?いっそ、"まるごと"売ってしまえば?」


空気が凍った。


「炎上?上等ですよ。これだけ注目されてる今だからこそ。"誰のものでもない"真神が、社会派スターになる。そう、"社会のもの"になる。勇治と白波で甘い表面作っといて、裏で真神を"家ごと"燃やす――完璧な策です。」


そして翌朝。

「おはようございます」

教室に入った瞬間、担任が硬い表情で近寄ってきた。

「……真神、職員室。今すぐ。」

教室が凍りつく。


職員室。副校長を含む3人の教員が座る中、司は1人、立たされていた。


「真神、君の投稿は……自覚が足りない。君がどんな立場にあるのか、分かっているのか。」

「……分かってますよ。だから言ったんです。」

「違う。分かっているなら、言ってはいけないんだ。」

沈黙が落ちる。

「学校側の信用問題に関わる。写真集の売れ行きは好調だ。出版社からも、プロダクションからも問い合わせが来ている。」

「……俺の父親は、何も知らなかったんですよ。」

「それは……遺憾だった。だが今さら騒ぎ立てたところで、何も変わらない。」

「……じゃあ、黙ってろってことですか。」

「そうだ。」

言葉が、喉に突き刺さる。

司は俯いたまま、何も言えなかった。


---


その日の放課後、教室に戻った司に、白波が言った。


「……いいねの数、見た?」

「……ああ。」

「誰もが本音じゃないって分かってても、本音を聞きたがる。

それが届いたことだけは、無駄じゃないよ。」


白波のスマートフォンの画面には、ワイドショー番組が映る。

「……で、今回問題視されているのがこちらの写真集ですね~」

「いや~しかしリアルを切り取ったって言うには、あまりに……ええ、これはやっぱり許可が……」

「逆に、こうした男性の性的搾取が表沙汰になること自体が、進歩なのかも知れませんよ?」


勇治のスマートフォンの画面には、ニュースサイト。

『"護られる"とは"閉じ込める"ことか?――アステリズム芸能校・真神司くんの告発に迫る』

『特集:撮られる父と守られぬ妹。今、性別は呪いか祝福か』

『【独占】現場作業員からの声:「あの写真、俺も写ってた」』


司は、机の上の『UNDERGROUND GLORY』を見つめる。

本音を出した代償は、まだ終わらない。

だけど——その一歩を、もう踏み出してしまった。


その夜、司の家。


「いのり、今日の教材、全部終わった?」

「うん。終わったけど……ねえ、お父さん……これ……」


いのりが差し出したのは、SNS上でバズっていた例の写真集のスクショだった。

作業服に身を包み、ヘルメットを被って笑っている男。父・誠司の姿が、そこにはある。


「……ああ。写ってたな、俺。」

「なんで……なんでこんなの……勝手に……」

司は口を開けかけて、閉じた。目の前で黙々と食卓を整える母の背中が、いつもより小さく見えた。

「まあ、俺が油断してたってだけの話だよ。」

「でも……」

「それに、現場の若いのが写されてたらもっと気の毒だった。俺くらいの歳の、しかもオッサンが晒されてた方が、まだマシだろ。」

そう言って誠司は、味噌汁をすすった。

「労働の美とか言ってもさ……実際、現場のやつらがそんな風に思って働いてるわけじゃねえ。カメラの前でいい顔する暇があったら、一秒でも早く終わらせて帰りたいってのが本音だよ。」

いのりは俯いたまま、手をぎゅっと握りしめていた。

「……いのり。」

「うん。」

「今は無理でも、いつか、自分の足で出られるようになれ。お前には、それができるって信じてる。」


母は静かに皿を並べながら、うなずいた。

そこには、ひとつも派手な演出も、脚光もなかった。ただ、ひとつの家族が、崩れてしまわないように、慎ましく食卓を囲んでいた。


暖かなはずの食卓に、沈黙が漂う。


いのりがぽつりと口を開いた。

「ねえお父さん、お母さん。……わたしって、本当に、護られてるの?」

母の手が一瞬止まり、父が箸を置く。

「何言ってるのよ。家でちゃんと勉強できてるってだけで、護られてるに決まってるじゃない。それに司も頑張ってくれてるんだし。ね?」

「じゃあお母さんは、外に出るとき、どうして男みたいな恰好しないといけないの? いちいち髪結んで、帽子で隠して、メイクだってしなくなっちゃったじゃん。」

「いのり……」

「お兄ちゃんじゃ、代わりにならないよ! なんで……なんでお母さんは、お母さんのままじゃダメなの!?」

声を張り上げたいのに、それは小さく、ひび割れた音でしかなかった。

司は何も言えなかった。母も、答えを持っているわけじゃなかった。ただ、父が、少しだけ目を伏せて言った。

「……そうだな。護るって言葉、楽なもんじゃないな。」

その言葉だけが、やけに重く落ちた。


母が手を止めた。菜箸を持ったまま、テーブルの縁にそっとそれを置く。空気がふっと、冷たくなった。

「いのり……外ってのはね、ただ出るだけじゃないの。誰にどう見られて、何を言われるか、わからない。この世界で"女"ってバレたら、危ないのよ。」

その声は諭すようで、どこか怯えていた。

いのりは唇を噛んだ。

「でも、どうして危ないの? だって、女の人が安心して暮らせる社会を作るんじゃなかったの?」

父がため息をついた。深く、重く。腕を組んで、天井を見た。

「護るってのは、本当は閉じ込めることじゃねぇんだよ。でも、世の中の連中は見えなきゃOKって、どんどん都合よくすり替えちまった。お前の兄貴が学校で担ってるのも、そういう"代替品"だ。」

「……お母さんも、お母さんとして生きてたのに。」

いのりの声が震える。母の頬がぴくりと動いた。

「なのに、今の服、髪型、全部……誰かにバレないようにでしょ? わたしだって、女の子だからって家に閉じ込められてるじゃん……!」

「違うの、いのり。それは……っ」

母の言葉を遮るように、いのりが立ち上がった。椅子の脚がキイッと音を立てて床を擦る。

「わたしが"護られてる"って、誰が決めたの!? わたし自身は、一度だってそう思えたことないのに!」

司が息をのむ。

父がゆっくりと立ち上がった。いのりに近づいて、そっと肩に手を置く。

「だったら、いつか自分で決めろ。自分が、本当に護られてるって思える場所を。」

いのりの瞳が揺れた。

「今は無理でも、絶対その日が来る。俺も、司も、……母さんも、信じてる。」

いのりは肩を震わせながら、その手をそっと両手で握り返した。

涙をこぼしながら、うなずいた。


沈黙のあと、母が言った。

「……ごめんね、いのり。」

やっと戻ってきたその言葉が、部屋の温度を戻してくれた。

小さな家の、小さな食卓。けれど今夜は、そこにいた全員が、世界と向き合うことになった夜だった。


世界がザワついていた。

"護る"とは何か。

"搾取"とは何か。

"視線"とは誰のものか。


その問いが火のように広がって、画面の向こう、誰もが火種を抱えたまま眠れなくなっていた。


---


誰もいない、誰も来ない。天井のライトだけが、規則的に光っていた。

床に落とされたスマートフォンから、低く重いベースの音が鳴っている。秋晴の動きは鋭く、乱暴で、まるで何かを振り払うかのように激しい。呼吸は荒く、顔は怒りに紅潮していた。

振り返りのターンで、白波がドアを開ける音が響いた。


「……その様子だと、練習に身は入ってなさそうだな。」

「逆。今までしてきたどの練習より、身になってるよ。」

秋晴は肩で息をしながら、乾いた笑いをひとつ吐いた。


「司くんを殺したくてね。」

「殺す、て。」

白波がわずかに眉を動かす。


「……言いたいことは分かってんだろ?」

秋晴は前髪をかきあげて、床にスマホを投げ落とす。

「この学校に何求められてるか、分かっててやってんだよ、俺は。売れることが正義だって、最初から分かってる。だから、全部捧げた。食事も、睡眠も、感情も。俺の肉体、ここにあるすべて、売るために磨いてんだよ。」

「……」

「それを、あの野郎、"俺はこう思う"とかぬかしてSNSで吠えやがって。俺らがどういうバランスで乗っかってんのか、ちっとも考えずに!全部台無しだ!」

白波は何も言わない。ただ静かに歩み寄り、レッスンバーに手をかけた。


「友人だからって庇うのか?」

「……写真集でコラボした仲だから言うけどさ。俺も正直……お前と同じだよ。司の投稿はプロ意識に欠けてる。場を壊したのは間違いない。」

秋晴の怒りが少しだけ静まる。だが、すぐに白波の次の言葉がそれを打ち消した。


「けど……それと同じくらい、あれに賛同してる自分がいる。」

「……白波?」

「やっぱ、しんどいよ。」

白波は言った。まるでそれが、本当に誰にも言えなかった告白であるかのように。

「好きなもの食べられないのって、しんどい。仕事で持たされるフラペチーノ、甘くて美味しそうでも、半分だって飲めやしない。見た目キープしなきゃいけないから。」

「白波……」

「たぶん、俺たちは、笑顔でそういうの"演出"してるんだよ。楽しいフリして。でも実際は、"やらされてる"。……俺は、どうなるんだろうって思うんだ。」

「どうなるって……」

「ここで努力させられて、その努力さえ商品にされて、売れて……それで、何を得るんだ?」

「何を……」

「お前だって、売れるために努力してる。それは皆知ってる。けど……お前のその折れそうな腕とか見てると、そこまでしないといけないのか、って思えてきて……」


秋晴の拳が、震えた。

「ふざけんなよ、お前。」

白波の瞳が揺れる。

「テメェ、俺の努力を否定するのか?」

「否定なんて、してない。でも、」

「してるだろ!"その腕が折れそうで可哀想"だ?俺が好きでこうしてるんだよ!削って、削って、それでも美しくなることだけを信じてんだよ!」


秋晴の叫びが、スタジオの鏡に反射して跳ね返る。

「そうまでしなきゃ届かないって、知ってるからやってんだよ……俺らは、そうやってしか選ばれないから、やってんだよ……!」

白波は、何も言わなかった。

「売れなきゃ、意味、無いんだよ……!」

秋晴が崩れ落ちるように床に座り込んだ。

音楽はもう止まっていた。聞こえるのは、ふたりの呼吸音だけだった。


「……クソ。」

「おい、まだやんのか!?」

「やらねえと……次のMVの撮影、もう近いんだ……」

「お前、フラフラだぞ!それにいま何時だと思ってんだ!」

「クソ、立て、……っ、ふ。」

息を吐いて、音楽アプリを操作する。重低音がふたたび鳴り始める。

「おい、秋晴!やめとけって!」

練習を再開する秋晴。そのただならない雰囲気に、白波は見ていることしかできない。

だが――


バキッ。


「えっ?」


ドタッ。


「は?」


バタン。


「は?」


世界全てが、スローモーションに見えた。速度が戻った瞬間目の前にあったのは、脚が曲がりきった秋晴の姿だった。


「ちょ、秋晴!?」

「やべ、立てねえ……折れたかも……」

「クソッ、こんな時間に医務スタッフいねえのに……!」



消毒液のにおい。白い天井。

ベッドの上、秋晴は黙って天井を見つめていた。右腕には添え木。左手だけでスマホを握っている。


「まさか……マジで折れるとはな……」

白波が呆れとも諦めともつかぬ声で言う。

「……踊ってて、パキって鳴った。最初は音源の一部かと思ったよ。」

「マジで音源と骨のどっちがリズム狂ってたのかわかんねーの、やばいな。」

「やばいのは知ってた。いい加減太らないと、パフォーマンスに影響するって、医者にも言われてた。……でも、今更止められないし。」

白波はため息をつき、椅子に腰を落とす。

「このままじゃマジで"努力は骨折り損"になっちまうぞ。」

「うるせえよ……寝る。」

「ああ。寝とけ。ついでに写真撮ってやるよ。お耽美系のガチ包帯ショット。」

「ハハ、確かに包帯とかそういう病み系、やってなかったな。今度やるか?」

「お前……強かだな……」



【カール・B・秋晴に関するご報告】

平素より私立アステリズム芸能学校並びに所属生徒への温かいご声援、誠にありがとうございます。


この度、当校所属のカール・B・秋晴が自主練習中に脚部を負傷し、医療機関にて検査を受けた結果、骨折との診断を受けました。

担当医師の指導のもと、約1ヶ月の安静および加療を要する見込みとなっております。

これに伴い当面の間、芸能活動を休止させていただく運びとなりました。


なお、リリースを予定しております新曲につきましては、ヴォーカル収録はすでに完了しており、

現在はデジタルシングルとしての先行配信に向けて準備を進めております。

ミュージックビデオにつきましては、秋晴本人の強い意向により、

現在の状況を踏まえた新たな演出による制作が進行中です。


詳細は、当校ホームページおよび公式SNSにて随時ご案内いたします。

引き続き、カール・B・秋晴への温かい応援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。


【@brilliant_beauty_britney】

みんな心配かけてごめんね!人生で骨折なんて初めてしたけど、これも経験だよね。

おかげでMVのアイデアもひらめいた!案が通るか分かんないけど……通ったら絶対おもしろいことになる!楽しみに待っててね!



「おい……MV出てるぞ……」

白波がスマホの画面を司に向けた。

画面の中、秋晴は無言で椅子に座っていた。彼を象徴する黒い衣装と……そこかしこに巻かれた白い包帯。青白いライトと薔薇の花びら。廃墟のようなロケーションに、歌声だけが流れる。

ダンスは、ない。


「え、これが……秋晴のMV?踊ってなくない?」

「踊れねえんだろ、折れてるし。」

司は言葉を失っていた。

秋晴の視線。包帯に包まれた手。傷ついた天使を演出してなお、ただそこにいるだけの存在感。


「魂が、天使が、神が見える……」

「骨折れた、包帯、からこの演出考えつくって天才すぎ!」

「これぞ芸術。耽美系ってまさにコレだよ。」

SNSのハッシュタグは、数時間でトレンド入りした。

その一方で――

「いやこれ、普通にブラック労働の可視化じゃね?」

「"限界美少年"ってジャンル化してんの怖いんだけど」

「回復前提でMV先出し?人身消費のプロセスごとパッケージしてんじゃん」

「休業中も話題にって……そりゃ売れるよな、骨折ってるんだもん」



「……あのMV、指示したの秋晴本人ってマジ?」

「半分マジ。てか本人から『包帯で行こう』ってLINEきたとき、3度見したわ。」

「"骨折アイドル"、バズってますね。」

「PV数、もう10万超えてる。」


部屋に沈黙が流れた。


「……これで、真神も巻き戻せますかね?」

「いや無理だろ。あいつはもう真神家まるごと"社会派パッケージ"にされた。秋晴は"骨折マーケ"で収益の方にスライドしてるから、まだ扱いやすいけど。」

「……俺たち、何作ってんすかね。」


---


暗い部屋。ディスプレイに照らされたいのりの横顔。ボイスチェンジャー越しの声は柔らかいが、どこか芯がある。

背景はぼかし、部屋の詳細はわからないように加工されている。モザイクの向こうで、彼女は何かのぬいぐるみを抱いて座っている。


「――はい、じゃあ今日も始まりました。inoryのおうちラジオ。第10回。

外には出られないけど、今日も世界はなんかとっても騒がしいです。」

チャット欄がざわざわと流れる。

「司くんのやつ、炎上ヤバすぎw」

「骨折アイドルのMV見た?」

「マジでやばい方向に燃えてるな」

「いのりちゃんは司の妹ってマジなん?」

彼女の指が一瞬止まる。そして、何かに気づいたようにコメント欄を見返す。


「……"骨折アイドル"って……ごめん、ちょっと……笑っちゃいけないのに、すごい響きだよね……。」

その指でMVを再生する。

「あ~これか、骨折アイドル。包帯がちょうど天使っぽくて……あ、秋晴くんなんだ、へ~。ちょっと雰囲気変わったよね。」


指で髪をいじる癖が出る。

「……なんかね、最近よく考えるの。

私って、家で"護られてる"らしいんだけど……本当にそうなのかな、って。」


ぬいぐるみを抱きしめる腕に、ぎゅっと力がこもる。


「外に出られないから、事故にもあわないし、怖い目にもあわない。それは安全なんだと思う。

でも、"存在しないこと"にされてるみたいな感覚は、ずっとあるんだよ。

兄さんが外で"護るため"に頑張ってるって言われても、私は……ただの交換条件にされた気がして。

それにこの、骨折アイドル?だって、それこそ骨が折れるまで頑張ってくれてるのに、私には何もさせてもらえなくて……。」


コメント欄に目を向ける。

「わかる」

「最近オカンのボケが酷いの、ぜったい社会のせい」

「苦しいの、すごく伝わる」

「外の世界は自由じゃないし、でも閉じ込められてるのも自由じゃないよね」

いのりの目元は見えない。けれどその声に、わずかな震えが混じる。


「私が何も言わなければ、きっと誰にも届かない。

でも、何かを言ったら、きっと誰かが怒る。……だから、こうして"声だけ"でいさせてほしい。

この声がどこまで届くかわからないけど、誰か一人でも、『そう思う』って言ってくれたら……それで、今は、いいかなって。」


そして、静かに締めの挨拶。

「じゃあ、またね。おやすみなさい。」

画面がフェードアウトする直前、コメント欄に「#骨折アイドル守る会」とか「#いのりちゃんの声もっと聞きたい」が流れ始めていた。

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