君とどこかへ

ドラム瓶

君とどこかへ


     1



 二人で、どこか行ってみたい。



 薬種屋独特の、高い天井の梁をはるか上に見上げて、カラトはそんなことを思った。

 柔らかな日差しと香草の匂いに包まれて、ひじ掛け椅子に転がっているのも悪くはない。ここ数年は旅暮らしであったし、もう少しのんびりとしたっていいのだが……


 そこまで考えて、ちらりと店の奥を見てみた。


 飾り気のない木卓が、色とりどりのガラス瓶をいだいて、淡くきらめいた空間を作っている。

 そこでは眼鏡をかけた店主が、何か黙々と作業をしていた。


 修道服をまとっているので分かりづらいが、その姿は同じくらいの若さ――つまり、まだ遊びたい盛りの年頃にみえる。


 が、店に居候してもうかなりになる中、どうもそんな様子が感じられなかった。余暇といえば、たまにピアノをひいているくらいか。


 修道院から出てきたばかりと言っていたし、物珍しいことも多いだろう。どこか誘われれば、喜んでついて行くのになあ、などと思っていた……要は、一緒に遊びたかったのだ。



 件の相手は、いまだ難しい顔をしている。

 まあ、いつもああだと言われればそうだが。


 店主はその顔を更に曇らせると、眼鏡を置いてため息をついた。


「どうしたの、ナギ」


 声をかければ、赤い瞳と目が合う。


「大口の依頼がきたんですが、断ろうかと思いましてね」

「なんで?」


「街まで荷を持っていく必要があるんです。半日歩けば着く距離ですが、僕だけでは量を運べない。かと言って運搬に人を呼ぶと、集荷も頼んで、届けてももらってですから、かえって損のようなんですよ」


 頼める人もいませんしね、とナギは机に視線を戻した。

 確かに、薬屋というのはたいてい人里を離れた場所にある。ここもそうだから、だれか来てもらうには大変だ。


 暇で、どこか行きたい隣人でも住んでいればいいのだが。


「……俺は?」



 詳しく聞けば、一人で運ぶにしても、そこまで無謀な量の依頼ではない。街まで届けてほしい、というならそれもそうだろう。


「俺やるって。いいでしょ?」

「それは……助かりますけど……」


 てっきりナギは喜んでくれると思ったのだが、なにやらどうも歯切れが悪い。しぶしぶであり、できれば頼みたくないといった様子だ。


 思い当たる節はある。

 嫌いなんだろうな、俺のこと。


 性格も似ていないし、たしかに特殊な事情がなければ、友達にはならなかったかもしれない。


 だいいち、初対面が最悪だった。嫌われているのは悲しいが……まあ、分かっていてここにいるので、それはいい。

 出ていけとは言われていないし、一緒にいられれば、それはそれで満足なのだった。



 天気が悪そうだの、無理をせずともだのを説き伏せ、具体的な話も進んだところでナギは言った。


「料金は、街までの分でいいんですか?」

「料金?」

「あまり高いと、赤字だって言ったでしょう。受け渡しに僕も行きますから、多少はこちらも荷を持てますが」


 すっかり忘れていたが、そういえばそんな話だった。


「いらねェけど」

「そんなわけにもいかないでしょう、手間をあなたにかけさせるのに」


 頑として譲らない構えである。借りなど作らぬと目が言っている。

 困った。お代など、本当にいらなかった。

 そもそもは、ナギとどこかへ行きたかったのだ。

 お代……


「てか俺、宿代払ってねェし」

「それもそうですね。では」

 話はついた。



     2



 到着したのは、開けた港町だった。


 曇った夕陽の沈もうという水面が、それでもキラキラと輝いている。

 時おり、かたわらの修道服がふわりと広がるのは、気づかないほどの潮風がそよいでいるのだろう。


「運べましたね……本当に、かなりの量を」

「まあねー」


 どこか呆れているようなナギを横目に、カラトはうっすらと空返事をした。

 疲れてはいないが、多少気落ちしていた。


 量は予定の通りなのだが、時間ははるかにかかったのだ。街は薄暗さを増していき、さすがにこれからどこか見に行こうという雰囲気ではない。


 想定違いは、言うまでもなく連れのせいである。

 こいつ、とんでもなく足が遅い。


 ナギもかついでいけたらもっと早かったのだが、一生懸命あるいているのは分かったので気が引けた。怒られそうな気もしたし、挑戦するなら帰路がいい。


 仲良くなったあかつきには、小脇にかかえて運んでやろう。街で遊ぶ時間もできるだろう。依頼主の元へ先導する小さな背を見ながら、そんなことを思った。



 荷物を下ろして通りへ出れば、ナギは、腕組みをして空を見上げていた。なぜか、空よりも曇った顔で。


「……すみません。ギリギリ降らないかと、思ったんですが」


 これでも急いだんです、と続けて謝る。

 こちらも上を見れば、薄暗闇の中を、白い粒が舞っていた。


「雪だ」


 ナギの頭巾――修道女が被る暗色のそれにも、小雪が降りかかっては消えていく。

 雪といえば、晴れよりは悪いが、雨よりはいい。謝るほどではと隣をみれば、ナギはまっすぐにこちらを見て口を開いた。


「あなた、雪、嫌いでしょう」


 …………

 好き……では、ない。


「そんな話、したっけ」

「さあ。聞いたかもしれませんし、ですけど、見ていれば分かりますよ」

「俺が雪きらいだから、俺に頼まなかったの?」

「そうですが」


 なんとも、事もなげにそう言う。

 可笑しかった。それで、頼みをしぶっていたとは。


「気にしてくれたの」

「……まあ、はい」

「いいけどね。もう、寒いとか思うこともないし」


 昔はそうではなかったのだが、ある時から、人より寒さを感じづらくなってしまった。人よりもというか、人ではなくなった。ナギもそうだ。


「僕は寒いですよ」

「えっ嘘」


 違ったかもしれない。


 いや、そんなことはないのだが、ときどき妙にかよわさを感じることがある。


「体温をたもつ体力がないんでしょう。ああ、でも気にしないでください。手は冷えますが、まあ、これくらいなら」


 ナギはそう言いながら、片手の甲を唇にあてた。

 手袋を脱いで、その手を握ってみる。


「ほんとだ。つめたいね」


 こちらの両手に、すっぽりとおさまる小ささだ。小さくて、柔らかい。


「俺の手袋するッてわけにゃァいかねェけど……何?」


 思わず眉をひそめた。

 手の主が、ものすごい顔で握った手を凝視している。何か言いかけそうな口のまま、まばたきのひとつもせずに。


「どうかしたの」


 ふたたび問えば、はっとこちらを見た。


「……何でもないです」


 ナギはそういうなり、くるりと来た道を元へ戻りだす。どことなく小走りだ。やはり遅いので、よく分からないが。


 追いついて顔をのぞけば、ついとそっぽをむいてしまう。怒っているのか、なんなのか。ともかくなんだか、聞ける雰囲気ではなかった。



 できれば、かついで帰りたかったのだが。



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