第26話

あの激しい記者会見から数日後。

私の状況は、信じられないほど好転した。


ネットやテレビは連日私の話題で持ちきりだった。『彗星の如く現れた天才アーティストRIO、その正体は気弱な女子高生だった』『父との確執を乗り越え、愛と才能で未来を切り拓いたシンデレラ』。そんな見出しが躍り、私の過去や作品は世間の大きな注目と温かい共感を集めることになった。


姫川瑠奈さんはあの一件ですべての仕事を失った。けれど数日後、私の元に一通だけ彼女から手紙が届いた。そこには震えるような文字で、ただ一言『ごめんなさい』とだけ書かれていた。その手紙を読んだ時、私の心にあった彼女への怒りは不思議と消えていた。彼女もまた、自分自身の偽りの姿に苦しんでいたのかもしれない。いつか彼女が本当の笑顔を取り戻せる日が来ることを、私は心から願った。


そして、私の日常は本当に生まれ変わった。

学校の教室は、もう息苦しい場所じゃなかった。


「莉緒、おはよう!」

「昨日のテレビ見たよ! すごかったね!」


今まで遠い存在だったクラスメイトたちが、屈託のない笑顔で話しかけてくれる。私はまだ少し戸惑いながらも、その一つ一つに「ありがとう」とはにかみながら答えた。もう、私はいない者として扱われることはない。彩崎莉緒という一人の人間として、ここにいる。


「はいはい、そこまで。うちの莉緒が困ってるだろ」


そんな私の隣には、いつだって神木くんがいた。彼はいつも私を守ってくれる。


「大丈夫か?」

「う、うん。ありがとう、玲矢くん」


彼の名前を呼ぶたびに、まだ心臓が鳴る。私たちが恋人同士だということは、もう学校中の、ううん、日本中の人が知っている。


「玲矢くん、って呼ぶの、まだ慣れない?」


彼が、いたずらっぽく私の顔を覗き込む。


「う、うるさいな! 慣れるまで、もうちょっと時間がかかるの!」


私が顔を真っ赤にして言い返すと、彼は「ははっ」と楽しそうに笑った。その笑顔は、もう完璧な王子様を演じているものではなかった。私の大好きな、優しくて温かい、玲矢くんの本当の笑顔。

その笑顔を見るたびに、私の心は幸せでいっぱいになるのだった。


家に帰れば、そこには私がずっと夢見ていた温かい家庭があった。


「莉緒、おかえり。今日はハンバーグよ」

「ただいま、お母さん!」


居間のドアを開けると、エプロン姿のお母さんが優しい笑顔で迎えてくれる。テーブルの上には湯気の立つ美味しそうな料理。そして、その向かい側には。


「おお、莉緒、おかえり。父さんも今日は腕を振るったんだぞ」


少しだけ照れくさそうに、でも本当に嬉しそうに笑うお父さんの姿があった。

あの日、工房で再会してからお父さんは少しずつ元気を取り戻していった。お母さんとも何度も話し合って、もう一度三人で家族として歩んでいくことを決めてくれたのだ。


「わあ、美味しそう! ありがとう、お父さん、お母さん!」


三人で囲む食卓。

交わされる、何気ない会話。


「莉緒、渡航の準備は進んでいるのか?」

「うん。橘先輩が色々手伝ってくれてるから大丈夫だよ」

「そうか。体にだけは気をつけるんだぞ」

「分かってるって、お父さん。心配性なんだから」


そんな、当たり前でかけがえのない時間。

私たちの家には、毎日温かい笑い声が響いていた。


私の才能は、もう私を苦しめるものではなかった。

それは、バラバラになった家族の心を、もう一度繋ぎ合わせてくれた。


そして、私の夢も大きく実現しようとしていた。

ジェームズ・キャメロン監督との仕事は順調に進んでいた。私が開発した『KONNYAKU-GEL-NEO』は、向こうの技術者たちを驚かせ、私の名前は世界中の制作者が知るところとなった。


「彩崎、監督からだ。次のデザイン、最高だってよ!」


放課後の部室。橘先輩が興奮した様子で、パソコンの画面を見せてくれる。


「本当ですか!」

「ああ。それと、正式にお前を特別制作者として迎えたいって。渡航の準備、急ぐぞ!」

「はい!」


私の隣では、玲矢くんが自分のことのように嬉しそうに微笑んでいた。


「すごいな、莉緒。本当に、世界のRIOだ」

「そんなことないよ。玲矢くんこそ、映画の撮影、順調なんでしょ?」

「ああ。君のおかげで最高の役が創れた。この映画は絶対に成功させてみせる。君に、胸を張れる自分でいるためにもな」


彼の、まっすぐな瞳。

私たちは、お互いの夢を一番近くで応援し合える、最高の仲間だった。


ハリウッドへ出発する日。

空港には、お父さんとお母さん、そして玲矢くんが見送りに来てくれた。


「莉緒、頑張ってこい。でも、無理はするなよ」

「うん。ありがとう、お父さん」

「いつでも電話してきなさいね。美味しいもの、たくさん送ってあげるから」

「うん。ありがとう、お母さん」


そして最後に、玲矢くんが私の前に立った。


「……寂しくなるな」

「……うん」


遠距離恋愛になる。

分かっていたことだけど、やっぱり胸が締め付けられる。


「でも、大丈夫だ」


彼はそう言うと、私の体をそっと優しく抱きしめた。


「俺たちの心は繋がってる。物理的な距離なんて関係ない」

「……うん」

「毎日電話する。絶対だ」

「……うん」

「だから、思いっきり挑戦してこい。莉緒。俺の、自慢の恋人」


彼の温かい胸の中で、私はこくりと頷いた。

もう、涙は見せなかった。

笑顔で、行ってきますって言うんだ。


「行ってきます、玲矢くん!」


最高の笑顔で私は彼に手を振った。

彼もまた、最高の笑顔で私に手を振り返してくれた。


飛行機が、空へと舞い上がる。

窓から見える、どんどん小さくなっていく日本の景色。

さようなら、弱虫だった私。

こんにちは、新しい私。


私の人生の、新しい始まりが今、まさに訪れようとしていた。

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