第25話

あの激しい一日が過ぎ去り、私の世界は穏やかなものに変わっていた。

姫川瑠奈さんは、あのライブ配信が原因で世間から猛烈な非難を受け、すべての仕事を降板し無期限の活動休止を発表した。自業自得とはいえ少しだけ胸が痛んだが、それは彼女自身が向き合わなければいけない問題だ。


そして私は、一躍『逆境を乗り越えた天才少女』として、時の人になっていた。

学校へ行くと、もう誰も私をいない者のように扱う人はいなかった。


「彩崎さん、おはよう!」

「あの、サインください!」

「RIOさんの大ファンです! 今度、特殊効果のやり方を教えてください!」


教室のドアを開けた瞬間、クラスメイトたちが興味津々な目で私を取り囲む。

今まで話したこともなかった子たちが、私の名前を呼んで笑いかけてくれる。


「え、あ、う、うん……」


突然の変化に戸惑ってしどろもどろになっていると、


「はいはい、みんなそこまで。莉緒が困ってるだろ」


神木くんが爽やかな笑顔で人混みをかき分けて、私を助け出してくれた。


「大丈夫か?」

「う、うん。ありがとう……。でも、なんだか夢みたいで……」

「夢じゃないよ。これが、本当の君の居場所だ」


彼はそう言うと、私の頭をぽんと優しく撫でた。

その自然な仕草に、周りの女子たちから「きゃあ!」と悲鳴が上がる。


「え、二人ってやっぱり付き合ってるの!?」

「お似合いすぎる!」


みんなの好奇心と祝福が入り混じった視線に、私の顔はかあっと熱くなる。


「か、からかわないでよ!」


私が真っ赤になって神木くんの腕を叩くと、彼は楽しそうにくすくす笑った。

その、幸せな光景。

数週間前には想像もできなかった、明るい日常。


私の人生は、もう暗いものではなかった。たくさんの幸せな出来事で、少しずつ満たされていった。


放課後は、もちろん映像研究部の部室へ。

そこは、もう私が一人で過ごす場所ではなく、みんなが集まる賑やかな場所になっていた。


「先輩! RIOさんの特集記事、見ました!?」

「おう! 俺が撮った動画も、ばっちり使われてたな!」


橘先輩は後輩たちに囲まれて、いつになく得意げな顔をしている。

そんな先輩の姿がなんだかおかしくて、私も自然と笑顔になった。


「彩崎、お疲れさん。ほらよ」


先輩が私に冷たいジュースを差し出してくれる。


「ありがとうございます」


ジュースを受け取って、窓際のいつもの席に座る。

そこから見える夕焼けの空。

この場所で、私はたくさんの涙を流した。

でも、今はもう悲しい涙は一粒もこぼれなかった。


「莉緒」


いつの間にか隣に来ていた神木くんが、私の名前を呼ぶ。


「ん?」

「今度の週末、空いてるか?」

「うん、空いてるけど……」

「デート、しないか?」


で、でーと。

その甘い響きに、私の心臓はきゅんとなった。


「……どこへ、行くの?」


「内緒。俺が、君を世界で一番幸せな場所に連れて行ってやる」


彼はそう言うと、いたずらっぽくウィンクをした。

その完璧な笑顔に、私の心臓は高鳴った。


家に帰ると、リビングからいい匂いがしてきた。

テーブルの上には、私の大好物のハンバーグが並んでいた。


「……お母さん」


キッチンに立つお母さんの背中に、声をかける。

お母さんはゆっくりと振り返ると、少しだけ気まずそうに、でも優しい笑顔で私を見た。


「莉緒、おかえり。……ごめんなさい。お母さん、あなたにひどいことをしたわ」


「もういいの。お母さん」


私はお母さんの隣に立つと、ぎゅっとその体を抱きしめた。


「私の方こそごめんね。ずっと、お母さんを苦しめてた」


「ううん。あなたは、何にも悪くない。あなたは、お母さんの自慢の娘よ」


お母さんの目から、温かい涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。


「あなたの才能は呪いなんかじゃない。たくさんの人を幸せにする、素敵な力だわ。だから、これからは胸を張って自分の信じる道を進みなさい。お母さん、ずっと応援してるから」


「……うん!」


私たちは抱き合ったまま、しばらく泣きじゃくった。

それは悲しい涙じゃなくて、温かくて優しい和解の涙だった。


その日の夜、お父さんから手紙が届いた。


『莉緒へ。元気にしているか。父さんはあの日から、もう一度特殊化粧の仕事を始めることにした。お前に胸を張れる父親でいるためにな。今度、母さんと三人で食事でもしないか』


不器用だが、心のこもったお父さんの文字。

私の家族は、やっと本当の意味で一つになれたんだ。


そして、週末。

神木くんとの初めてのデート。

彼が連れてきてくれたのは、たくさんの花が咲き乱れる大きな植物園だった。


「わあ……綺麗……」


色とりどりの花々。甘い花の香り。

とても美しい場所だった。


「君に見せたかったんだ。君がこれから創り出す未来は、色鮮やかで美しいものになるって、伝えたくて」


彼はそう言うと、私の手をそっと握った。


「莉緒。俺、君と出会えて本当に幸せだ」


「……私もだよ、神木くん」


私たちは見つめ合って、微笑んだ。

彼の瞳に映る私は、もううつむいてなんかいなかった。

ちゃんと前を向いて、笑っていた。


ハリウッドへの出発の日が、近づいてくる。

橘先輩も、私を補佐する役として一緒に行ってくれることになった。

遠距離恋愛になるのは少しだけ寂しいけど、私たちの心は絶対に離れたりしない。

だって私たちは、心で深く繋がっているのだから。


私の人生は、今、たくさんの幸せで満ちている。

これから、どんな未来を描いていこう。

神木くんと、二人で。

そう思うだけで、胸がドキドキと高鳴るのだった。

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