第24話

無数のカメラのフラッシュが、一斉に私に向けられた。

姫川さんの歪んだ、勝利を確信した笑み。

記者たちの、ギラギラした目。

お父さんの、すべてを諦めきった虚ろな瞳。


「さあ、始めましょうか。あなたたちの物語の、最終章を」


姫川さんの声が、工房に響き渡る。

ライブ配信中のスマホの画面には、私の絶望に歪んだ顔がきっと大写しになっているのだろう。


(もう、終わりだ)


心の中で、何かがぷつりと切れる音がした。

私が築き上げてきた小さな自信も、夢も、恋も、今この瞬間にすべてが壊されていく。

私がうなだれて、その場に崩れ落ちそうになった、その時。


「――ふざけるな」


低く静かだが、怒りを宿した声が私の隣から聞こえた。

神木くんだった。

彼は私の前にすっと立ち、私を守るように姫川さんと記者たちの前に立ちはだかった。


「君がやっていることは、ただのいじめだ。正義でもなんでもない。一人の人間の心を、才能を、未来を、自分の嫉妬心を満たすためだけに踏みにじろうとしているだけだ」


彼のまっすぐな言葉に、姫川さんの歪んだ笑みが消えた。


「れ、玲矢。あなた、まだそんな女の味方をするの」


「味方じゃない。俺は、真実を話しているだけだ」


神木くんは私の方をちらりと振り返ると、安心させるようにふっと微笑んだ。その笑顔が、私の心を温かくする。


「それに、彼女の才能を一番近くで見てきたのは俺だ。彼女がどれだけ努力して、どれだけ真剣に仕事に向き合ってきたか。俺が一番よく知っている。君なんかに彼女の価値を決めつけさせるものか」


「……っ」


姫川さんが、悔しそうに唇を噛む。


「それに、彩崎さんの過去がどうであろうと俺の気持ちは変わらない。俺は、彼女のすべてを受け入れて、愛している。文句があるか」


愛している。

その言葉が、私の心臓を甘く締め付けた。

たくさんのカメラの前で、彼は堂々とそう言ってくれた。

私の頬を、温かい涙が伝っていく。


「……玲矢の、馬か」


姫川さんが、金切り声を上げた。


「あなたは騙されてるのよ。そんな地味な女のどこがいいっていうの」


「地味なんかじゃない」


今度は、別の声が響いた。

しゃがれて弱々しいが、確かな意志を持った声。

お父さんだった。


彼はいつの間にか私の隣に立つと、震える肩をそっと抱き寄せてくれた。


「この子は、地味なんかじゃない。私の、世界でたった一つの誇りだ」


お父さんの大きな手が、私の頭を優しく撫でる。


「私が道を間違えたせいで、この子とお母さんにはずっと辛い思いをさせてしまった。すべての責任は私にある。この子の才能は本物だ。私の、出来損ないの才能なんかとは比べ物にならないくらい、大きくて温かい」


お父さんの目からも、涙がこぼれ落ちていた。


「だから、どうかこの子を傷つけないでやってくれ。お願いだ」


深々と頭を下げるお父さん。

その姿に、私の涙が止めどなく溢れた。


「お父さん! もういいの! いいから顔を上げて!」


姫川さんは、この予想外の展開に呆然と立ち尽くしている。

彼女の筋書きは、もうめちゃくちゃに崩れ始めていた。


「おい、姫川! お前のライブ配信、今とんでもないことになってるぞ!」


その時、工房の入り口から橘先輩の焦ったような声が聞こえた。

先輩は自分のスマホの画面を、姫川さんに突きつける。

そこには、彼女のライブ配信のコメント欄の文字が、速い速度で流れていた。


『姫川瑠奈、性格悪すぎ』

『やってること、ただの公開いじめじゃん』

『一人の才能ある子を、集団で潰そうとか、最低』

『RIOさん、負けないで』

『神木くん、男前すぎる』

『お父さんの愛に泣いた』


世間の声は、姫川さんが期待していたものとは真逆だった。

彼女の卑劣なやり方にたくさんの人たちが怒り、そして私に応援を送ってくれていた。


「な……なんで……」


姫川さんの顔から、さっと血の気が引いていく。

そして、とどめの一撃は思いもよらない方向からやってきた。


橘先輩のスマホが、突然、国際電話の着信音を鳴り響かせたのだ。

画面には、ジェームズ・キャメロン監督の名前が表示されている。


「もしもし、監督。今、日本は大変なことになってて……」


先輩がスピーカー機能で電話に出ると、電話の向こうから監督の凄まじい怒声が響き渡った。


「一体、何が起こっているんだ」


その声は、姫川さんのライブ配信を通して日本中に、いや世界中に響き渡った。


「橘くん、スピーカーにしてくれ。そこの、姫川瑠奈とかいう女優に言いたいことがある」


監督の怒りに満ちた声が、静まり返った工房に響く。


「君が姫川瑠奈か。我々の大切な作家であるRIOの才能に嫉妬して、こんなくだらない嫌がらせをしているそうだな。君のやっていることは、芸術に対する冒涜だ」


姫川さんは、完全に固まってしまっている。


「RIOの才能は、国境を越える。彼女が創り出すものは、世界中の人々の心を動かす力を持っている。君のような小さな嫉妬心で、その才能を消させてたまるか。もしこれ以上彼女の邪魔をするようなら、映像業界全体で君を永久に締め出すことになるだろう。覚えておけ」


それは、世界の頂点に立つ人間からの、絶対的な宣告だった。

電話が切れる。


工房は、静まり返っていた。

姫川さんは真っ白な顔で、ただわなわなと震えている。

記者たちはさっきまでの勢いはどこへやら、誰もがどう動いていいか分からずに顔を見合わせている。


やがて一人の記者が、おそるおそる私にマイクを向けた。


「あ、あの……彩崎さん。今の、お気持ちを……」


その声は、もう私を追い詰めるためのものではなかった。

純粋な興味と、尊敬が感じられた。


私は、神木くんとお父さんに支えられながらゆっくりと立ち上がった。

そして、カメラの向こうにいるたくさんの人たちに向かって、涙で濡れた顔のまま精一杯の笑顔を作った。


「……ありがとうございます」


私の新しい物語が、今、本当の意味で始まった。

見事な逆転劇。

それは、私の人生で最高の瞬間だった。


工房から戻る道すがら、私のスマホは鳴りやまなかった。

クラスメイト、昔の友人、たくさんの人たちから応援のメッセージが届いていた。

お母さんからも、『莉緒、ごめんなさい。すぐに帰ってきて』という短いメッセージが来ていた。


「……よかったな、莉緒」


神木くんが、私の手をぎゅっと握りしめてくれる。


「うん……」


私は彼の肩に、こてんと頭を預けた。

お父さんは、そんな私たちを少しだけ寂しそうに、でも本当に嬉しそうに見守ってくれていた。


「莉緒。父さん、もう一度お前に謝らなくちゃいけない」


「もういいよ、お父さん」


「いや、聞いとくれ。父さんは怖かったんだ。お前の才能が自分と同じように、いつか誰かを傷つけ、お前自身を不幸にするんじゃないかって。だから、お前から距離を置いた。……最低の、臆病者だ」


お父さんの、懺悔。


「でも、違ったんだな。お前の才能は人を幸せにする力を持っていた。そして、お前の周りにはこんなに素晴らしい人たちがいる。……父さん、安心したよ」


お父さんはそう言うと、くしゃりと子供みたいに笑った。

それは、私がずっと見たかった昔の、優しいお父さんの笑顔だった。


「これからは胸を張って、お前の夢を応援させてくれ。世界一の、お前のファンとしてな」


「……うん!」


涙で前が見えない。

でも、私の心は今、最高に幸せだった。

過去の苦しみは、完全になくなった。

私の目の前には、未来と、何よりも大切な人たちの笑顔が広がっていた。


もう、何も怖くない。

私は私の信じる道を、この人たちと一緒に歩いていく。

そう、強く、強く心に誓った。

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