第22話
『悲劇の天才少女RIO、母が涙の告白!「娘に夢を壊された」』
その残酷な見出しの文字が、私の目の前に広がっていく。
スマホの画面に吸い込まれていくような感覚に陥る。
信じていた。
世界中の誰もが私を否定しても、お母さんだけは私の味方でいてくれるはずだと。
なのに。
なんで。
『あの子は父親の才能を自分勝手に利用しているだけです』
『あの子のせいで私たちの家庭はめちゃくちゃになりました』
違う。
違う違う違う!
私がお母さんをどれだけ大切に思っていたか。
お母さんがどれだけ苦しんでいたか、私はずっと隣で見てきた。だから私のせいでこれ以上悲しませたくなくて、自分の夢も好きなものも全部、心の奥にしまい込んできたのに。
「莉緒!」
神木くんの切羽詰まった声が、私を現実へと引き戻す。
私はいつの間にかその場に崩れ落ちていた。握りしめたスマホが、ミシリと嫌な音を立てる。
「しっかりしろ、莉緒!」
「……ごめん」
私の唇から、か細い声が漏れた。
「ごめんね、神木くん。私のせいで、君まで……」
「謝るな!」
神木くんが私の肩を強く掴む。その瞳には、怒りと深い優しさが浮かんでいた。
「君は何も悪くない。悪いのは……!」
「分かってる! 分かってるけど! でも、もう無理だよ!」
涙が、とめどなく溢れ出した。
一度流れ出した涙は、もう止まらなかった。
「私、もう戦えない。お母さんにまであんなこと言われたら、何を信じたらいいのか分からないよ。私の才能なんて、やっぱり、人を不幸にするだけの、呪いだったんだ」
父を壊し、母を苦しめ、そして今、私が一番大切に想う人たちまで巻き込んで傷つけている。
私の存在そのものが、罪なんだ。
「莉緒……」
神木くんが、言葉を失って私を見つめている。橘先輩も、唇を噛み締めながら何も言えずにそこに立っていた。
二人にこんな顔をさせたいわけじゃないのに。
もう、やめたい。
全部投げ出して、消えてしまいたい。
私の心は、完全に折れてしまっていた。
***
その日から、私は学校へ行けなくなった。
自分の部屋のベッドの上で、毛布にくるまって壁の一点を見つめるだけの時間が過ぎていく。
カーテンの隙間から差し込む光が、朝から昼へ、そして夜へと変わっていくのをぼんやりと眺めていた。
スマホの電源はあの日からずっと切ったままだ。
クラスのみんなや神木くん、橘先輩から、たくさんの連絡が来ているだろう。でも、それを見るのが怖かった。
誰の顔も見たくない。誰の声も聞きたくない。
世界から、完全に心を閉ざしていた。
部屋のドアの前に毎日食事が置かれることだけが、私とお母さんとの唯一の繋がりだった。でも、お母さんが部屋に入ってくることは一度もなく、私もドアを開ける勇気はなかった。
お母さんは、今、どんな気持ちでいるんだろう。
姫川さんに何を言われて、あんな記事に同意したんだろう。
考えれば考えるほど、胸が苦しくなって呼吸ができなくなる。
私の人生は、もう終わったんだ。
ハリウッドからの話も、神木くんとの恋も、全部私が手にしてはいけないものだった。
私は、地味で誰にも気づかれず、教室の隅で息を殺しているだけの、彩崎莉緒でいるべきだったんだ。
コン、コン。
不意に、部屋のドアが控えめに叩かれた。
いつもの食事の合図だ。
でも、私は起き上がれなかった。食欲なんて少しもなかったから。
コン、コン、コン。
ノックはやまない。
それどころか、だんだん強くなっていく。
「莉緒。いるんだろう。開けてくれ」
その声に、私の心臓がどくんと大きく跳ねた。
神木くんの声だ。
なんで、彼がここに?
「莉緒! 返事をしてくれ!」
彼の声が焦りを帯びていく。
「……帰って」
私はか細い声で、なんとかそれだけを絞り出した。
「会いたくない。一人にして」
「嫌だ」
彼は、きっぱりとそう言った。
「君が顔を見せるまで、俺はここを動かない」
彼の、頑固な声。
私は、毛布を頭まで深くかぶった。聞きたくない。彼の優しい声を聞いたら、私の決心が揺らいでしまうから。
どれくらい、そうしていただろう。
彼は、ずっとドアの前で私を呼び続けていた。
やがて、ガチャリとドアの鍵が開く音がした。
お母さんが、鍵を開けたんだ。
勢いよく部屋に入ってきた神木くんは、ベッドの上でうずくまっている私を見つけると、一瞬だけ悲しそうな顔をした。でも、すぐに強い決意を宿した瞳で、私を見つめた。
「莉緒。行くぞ」
彼は私の腕を掴むと、無理やりベッドから起こした。
「嫌! 離して!」
「嫌だと言っても離さない」
彼は私の抵抗をものともせず、私を部屋の外へと連れ出していく。
リビングには、やつれた顔のお母さんが俯いて立っていた。私と目が合うと、びくりと肩を震わせ、すぐに視線を逸らした。
「お母さん……」
何か言わなきゃ。でも、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。
「彩崎さん。莉緒さんを、少しだけお借りします」
神木くんが、お母さんに深く頭を下げた。
「必ず、無事に送り届けますから」
お母さんは何も言わず、ただ小さく頷いただけだった。
神木くんは私を連れて、家の外に出た。
久しぶりに吸う外の空気は少し冷たく、涙で濡れた私の頬に触れた。
「どこへ、行くの……?」
「思い出の場所だ」
彼が呼んだタクシーに乗り込むと、車は静かに走り出した。
窓の外を流れていく景色を、私はぼんやりと眺めていた。
やがてタクシーは、見覚えのある公園の前で停まった。
ここは……。
幼い頃、お父さんと一緒に何度も来た公園だ。
お父さんが仕事で疲れていると、いつも私をここに連れてきてくれて、キャッチボールをしたりブランコを押してくれたりした。
お父さんの、大きな背中。優しい笑顔。
楽しかった記憶が蘇ってきて、また涙が溢れそうになる。
「どうして、ここに……?」
「君に、思い出してほしかったからだ」
神木くんは私の手を引いて、公園の奥へと進んでいく。
そして、一本の大きな桜の木の下で足を止めた。
「君のお父さんが、君をどれだけ愛していたか。君の才能を、誰よりも信じていたか」
「……もう、やめて」
「やめない。君が本当に立ち直るまで、俺は何度でも言う」
彼は私の両肩を掴むと、まっすぐに私の目を見つめた。
「君のお母さんが何を言おうと、世間が何を言おうと、俺が信じるのは君だけだ。君が創るもの、君の心、そのすべてを俺は信じている」
彼の、真剣な瞳。
その瞳に吸い込まれそうになる。
「だから逃げるな、莉緒。自分の過去からも、自分の才能からも。そして、俺からも」
「……っ」
「君のお父さんに、会いに行こう」
彼の思いがけない言葉に、私は息を飲んだ。
「お父さんに……? でも、どこにいるか分からないし……それに、会って何を話せば……」
「それは、俺と橘先輩が調べた。大丈夫だ」
彼は私の不安を見透かすように、優しく微笑んだ。
「君とお父さんを、俺が会わせる。そして、君の心の重荷を、本当の意味で取り除いてみせる。……それが、君の恋人としての俺の最初の仕事だ」
恋人、という言葉。
その甘い響きに、私の胸が鳴った。
そうだ。私は、一人じゃないんだ。
こんなにも私のことを想ってくれる人が、隣にいる。
私のために怒って、泣いて、一緒に戦おうとしてくれる人がいる。
もう、下を向いている場合じゃない。
私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、こくりと頷いた。
「……うん」
私の小さな返事を聞いて、彼は心の底から安心したように、ふっと息を吐いた。
「よかった」
彼は私の涙を綺麗な指先でそっと拭うと、もう一度、私の手を強く握りしめた。
「行こう。君の、本当の物語を始めに」
彼の言葉を受け、私は彼と一緒に一歩を踏み出した。
空っぽだった私の心に、再び、小さな、でも確かな希望が生まれた瞬間だった。
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