第21話

『緊急記者会見を開きます。彩崎莉緒さんの、すべての真実を、世間の皆様にお話しするために』


姫川さんからの宣戦布告。それは有無を言わせぬ最終通告だった。

彼女は私の心をずたずたに引き裂くだけでは飽き足らず、それを世間への見世物にして私を社会的に抹殺するつもりなんだ。

想像しただけで全身から血の気が引いていく。


「なんてひどいことを……」

私の唇から震える声が漏れた。


講堂に集まるたくさんの報道陣。無数のカメラの閃光。好奇心に満ちた無責任な質問の数々。

そんな場所に私が一人で立たされる。考えただけで気が狂いそうだった。


「許せない……。あいつ、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ……!」

橘先輩が怒りに拳をわなわなと震わせている。


神木くんも今まで見たことがないくらい冷たく厳しい表情で一点を睨みつけていた。

「莉緒、大丈夫だ。会見には俺も一緒に行く。君を一人には絶対にしない」

彼は私の手を強く握りしめ、そう言ってくれた。


その力強い言葉と温もりが私の恐怖を少しだけ和らげてくれる。でも心の奥底で渦巻く不安は消えてはくれなかった。


「でも神木くんが行ったら、君まで……。君の経歴に傷がつくかもしれないんだよ」

「構わない」

彼はきっぱりと言い切った。

「俺の経歴よりも君の方がずっと大事だ。それに、これはもう君だけの問題じゃない。俺の問題でもあるんだから」

彼の瞳には揺るぎない決意が宿っていた。


この人は本当に私を守るためにすべてを懸けるつもりなんだ。

その覚悟が嬉しくて、でも申し訳なくて、胸がぎゅっと締め付けられた。


「神木、お前の気持ちは分かる。だが感情的になるな」

橘先輩が冷静な声で言った。

「姫川の狙いは莉緒を『悲劇の天才二世』として祭り上げ、世間の同情と好奇心を集めることだ。そしてその裏で、莉緒の才能は父親の七光りであり、神木を誑かした悪女だという印象操作をするつもりだろう」


先輩の分析は的確だった。

「そうなれば莉緒のハリウッドの話も、汚された印象の中で正当に評価されなくなる。最悪の筋書きだ」

「……どうすればいいんだ」

神木くんが悔しそうに呟く。


そうだ。どうすればこの最悪の状況を乗り越えられるんだろう。

私たちが何を言っても姫川さんの用意した「物語」の前では無力なのかもしれない。


「……一つだけ、方法があるかもしれない」

私がぽつりと言った。

二人の視線が私に集中する。


「私、逃げません。会見には私一人で行きます」

「莉緒!? 何を言ってるんだ!」

神木くんが驚いて声を上げる。


「大丈夫。私、もう昔の私じゃないから」

私は二人の顔をまっすぐに見つめた。

「姫川さんの狙いは私を『可哀想な被害者』に仕立て上げること。でも私が堂々と自分の口から自分の過去を語ったら? 自分の夢を自分の言葉で伝えたら? 彼女の創った『物語』はきっと力を失うはずです」


そうだ。もう誰かの創った筋書きの上で泣いているだけの女主人公は終わりだ。

これは私の物語なんだから。


「それに私には、姫川さんにはない最強の武器があります」

「武器……?」

「はい。私のこの技術です」

私は部室の隅に置いてあった自分の化粧箱を指さした。


その意味を理解した二人は一瞬きょとんとした後、はっとしたように顔を見合わせた。

「……なるほどな。そういうことか」

橘先輩がにやりと口の端を吊り上げる。

「面白い。最高に面白いじゃないか。お前、本当に最高の芸術家だよ、彩崎」


「ああ。君ならきっとできる」

神木くんも私の意図を理解し、力強く頷いてくれた。

私の心に再び闘志の炎が灯る。

絶望的な状況。でも、だからこそ燃える。

私の持てるすべてを懸けて、この逆境を最高の舞台に変えてみせる。


***


そして運命の日。

星奏学園の講堂は異様な熱気に包まれていた。

テレビ局のカメラ、雑誌記者、ネット報道の記者。数百人の報道関係者が今か今かと主役の登場を待ち構えている。


舞台袖で私は静かにその時を待っていた。

隣には神木くんと橘先輩が付き添ってくれている。


「……緊張してるか?」

神木くんが優しく声をかけてくれた。

「ううん。不思議なくらい落ち着いてる。……それに、すごくわくわくしてる」

私はにこりと微笑んだ。

その顔はいつもの彩崎莉緒でも『RIO』でもない。

私がこの日のために創り上げた、まったく新しい『顔』だった。


やがて司会者の声が響き渡り、姫川さんが舞台に現れた。

純白の服に、自然でしかし完璧に計算された化粧。その姿はまるで悲劇の女主人公を案じる心優しき聖女のようだった。

彼女は集まった報道陣を前に、涙ながらに語り始めた。

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。今日私がここに来たのは、私の大切な友人であり素晴らしい才能を持つ、彩崎莉緒さんの真実を皆様にお伝えするためです」


彼女の見事な演技。

彼女は私がいかに不幸な生い立ちの中で父親の才能を受け継ぎながらも、母親に夢を否定され苦しんできたかを切々と語った。

会場からは同情的なため息が漏れる。

「そんな彼女がようやく掴んだハリウッドという大きな夢。しかしその裏で彼女は玲矢との許されない関係に深く悩んでいたのです……」

彼女は私と神木くんの関係を、あたかも禁断の恋であるかのように巧妙にすり替えていく。


すべてが彼女の計算通りに進んでいた。

彼女が勝利を確信した、その時。


「――その物語、少し事実と違うようですわね」

凛とした、しかしどこか妖艶な響きを持つ声が会場に響き渡った。

全員の視線が舞台袖へと注がれる。

そこに私がゆっくりと姿を現した。


会場がどよめいた。

そこに立っていたのは誰も知らない一人の美しい女性だったから。

黒い衣装に身を包み、自信に満ちた微笑みを浮かべている。その顔は誰もが見惚れるほどに完璧で、しかしどこか人間離れした不思議な魅力を持っていた。


「な……、あなた、誰……?」

姫川さんが呆然と私を見つめている。

私は彼女の前に立つとマイクを手に取り、集まった報道陣に向かって優雅に微笑んだ。


「皆様はじめまして。私が彩崎莉緒です」

その言葉に会場はさらに大きくどよめいた。

信じられないという視線、好奇の視線、困惑の視線。

そのすべてを私は心地よく受け止めた。


「そして私が天才芸術家『RIO』です」

私はそこで一度言葉を切ると、姫川さんに向き直った。

「姫川さん。あなたの創った悲劇の物語、とても感動的でしたわ。でも残念ながら主役の私には少し物足りなかったようです」


「な、何を言って……」

「私は可哀想な女主人公なんかじゃありません。私は自分の意志で自分の力で夢を掴み取ろうとしている、一人の芸術家です」


私はそこで、おもむろに自分の顔に手をかけた。

そしてゆっくりとその『顔』を剥がし始めた。

会場から悲鳴に近い声が上がる。

完璧に美しかった顔が、一枚の皮のように剥がされていく。

その下から現れたのはいつもの、地味で冴えない彩崎莉緒の素顔だった。


「これが本当の私です」

私は素顔を晒し、まっすぐに前を見据えた。

「私の顔は地味で劣等感だらけでした。でも私はこの顔で、この手で人を感動させるものを創り出すことができます。私の技術は父から受け継いだものかもしれません。でも私の魂は私自身のものです」


私の言葉に会場は水を打ったように静まり返る。

「姫川さん、あなたの言う通り私は神木さんに恋をしました。でもそれは彼を誑かすためなんかじゃない。彼の役者としての魂に、私の魂が共鳴したからです」


私は舞台袖にいる神木くんに優しい視線を送った。

彼もまた温かい眼差しで私を見守ってくれている。

「そしてもう一つ。あなたにお見せしたいものがありますの」


私がそう言うと、舞台の大きな映写幕に一本の映像が流れ始めた。

それは私が徹夜で創り上げた新しい作品。

『KONNYAKU-GEL-NEO』を使って創り出した、幻想的で美しい創造物がまるで生きているかのように動き出す圧巻の映像だった。

会場の誰もが息をのんでその映像に見入っている。

姫川さんでさえ、その圧倒的な出来栄えの前に言葉を失っていた。


映像が終わると会場は一瞬の沈黙の後、割れんばかりの拍手に包まれた。

それは私の才能に対する純粋な賞賛の音だった。


「これが私の答えです」

私はマイクを通してきっぱりと言った。

「私は過去に縛られない。誰かの評価にも惑わされない。私は私の信じる道を行くだけです」


私の宣言に姫川さんはわなわなと唇を震わせ、悔しそうに私を睨みつけていた。

彼女の完膚なきまでの敗北だった。

しかし彼女がこのまま黙って引き下がるはずがなかった。

彼女の瞳の奥に、さらにどす黒い狂気の炎が燃え上がったのを私だけが見逃さなかった。


記者会見が終わったその夜。

インターネット報道の主要記事に衝撃的な見出しが躍った。

『悲劇の天才少女RIO、母が涙の告白!「娘に夢を壊された」』


記事には私の母、彩崎美奈子の聞き取り記事が掲載されていた。

そこには姫川さんに唆され事実を歪められた母の悲痛な言葉が並んでいた。

『あの子は父親の才能を自分勝手に利用しているだけです』

『あの子のせいで私たちの家庭はめちゃくちゃになりました』


信じていた、たった一人の母親からの裏切り。

姫川さんの仕掛けた最も残酷で卑劣な罠。

私は社会的な信頼と心の最後の拠り所を同時に失った。


携帯端末を握りしめたまま、私はその場に崩れ落ちた。

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