第19話

私たちが開発した奇跡の新素材『KONNYAKU-GEL-NEO』。

その完成から私たちは休む間もなく見本の制作に取り掛かった。


私が意匠画に基づいて創造物の皮膚の原型を粘土で創り、橘先輩がそれを三次元スキャナーで取り込んで細部を調整する。そして神木くんが新素材の調合と型への流し込みを手伝ってくれた。

三人の完璧な連携。

徹夜の疲れも忘れ、私たちはただひたすらに作業に没頭した。


そして数時間後。

ついに創造物の腕の部分を再現した、迫真の見本が完成した。

半透明の青白い皮膚。その下には不気味な血管が網の目のように浮かび上がっている。光の当たり方によって、ぬらりとした妖しい光沢を放つその質感。

それはシリコンでは決して表現できない、圧倒的な生命感と現実感を持っていた。


「……やばい。やばいぞ、彩崎」

橘先輩が完成した見本を様々な角度からカメラで撮影しながら、興奮した声で言った。

「これはただの代用品じゃない。完全に元のものを超えている。……ハリウッドの連中、これ見たら腰抜かすぞ」


「ああ。俺もこんなの見たことない」

神木くんも感嘆のため息を漏らしている。

「この皮膚感……。まるで本当に生きているみたいだ。……君は本当に天才だよ、莉緒」


彼の熱のこもった賞賛の言葉に、私の頬がじわりと熱くなる。

嬉しい。自分の才能を一番好きな人に認めてもらえる。こんなに幸せなことはない。


「よし! 撮影完了だ! 俺が今から最高の紹介動画に編集してやる!」

橘先輩がパソコンに向かい、猛烈な勢いでキーボードを叩き始める。

その背中はいつになく頼もしく見えた。


数時間後。

橘先輩がすべての技術を注ぎ込んで創り上げた紹介動画が完成した。

新素材の解説から、見本の息をのむほど美しい映像まで。それはハリウッドのプロが見ても唸るであろう完璧な出来栄えだった。


「……送るぞ」

先輩がごくりと喉を鳴らす。

私と神木くんも固唾をのんでパソコンの画面を見つめていた。


メールの送信ボタン。

その小さなボタンに私たちのすべての希望がかかっている。

先輩の指がゆっくりとボタンの上に置かれる。

そして――。


カチッ。

軽い音と共に私たちの想いが海を越えてハリウッドへと送られた。

途端にどっと疲れが押し寄せてくる。

私たちは顔を見合わせると、ふにゃりとその場に座り込んだ。


「……あとは待つだけか」

「はい……」

「大丈夫だよ。絶対にうまくいく」


神木くんが私の手をぎゅっと握ってくれた。

その温かさが不安でいっぱいだった私の心を優しく溶かしてくれる。

それから私たちは、まるで燃え尽きたように部室で眠ってしまった。

神木くんの肩にもたれかかるようにして。彼の規則正しい寝息と優しい匂いに包まれて。

それはここ数日で一番穏やかで幸せな眠りだった。


***


「――おい! 起きろ! お前ら!」

橘先輩の切羽詰まったような大声で、私ははっと目を覚ました。

いつの間にか窓の外は夕焼け色に染まっている。


「せ、先輩……? どうしたんですか……?」

「返事が来たんだよ! 監督から!」


その言葉に私と神木くんは同時に飛び起きた。

パソコンの画面には一通の新着メール。

心臓がばくばくとやかましい。

震える指で先輩がメールを開く。


そこに書かれていたのは、私たちの想像を遥かに超える言葉だった。


『WONDERFUL! UNBELIEVABLE! RIO, YOU ARE A TRUE GENIUS!』

(素晴らしい! 信じられない! RIO、君は本物の天才だ!)


「……やった」

最初に声を上げたのは神木くんだった。

「やったな! 莉緒!」


「……うんっ!」

私はこみ上げてくる涙を抑えることができなかった。

嬉しい。嬉しくてたまらない。

私たちの力が世界に認められたんだ。


メールはさらにこう続いていた。

『この新素材は革命だ。すぐにでも独占契約を結びたい。君を我が社の特別制作者としてハリウッドに招待したいのだが、どうだろうか?』


「ハリウッドに招待!?」

私は自分の目を疑った。

信じられない。夢みたいだ。私が、あのハリウッドに……。


「すげえ……。すげえよ、彩崎……!」

橘先輩も自分のことのように目を輝かせている。


私たちは三人で手を取り合って飛び上がって喜びを分かち合った。

今までの苦労も不安もすべてが報われた瞬間だった。


***


その知らせは、あっという間に業界を駆け巡った。

『正体不明の日本人芸術家RIO、ハリウッド超大物監督に見出され電撃契約へ』


ネットニュースやワイドショーはその話題で持ちきりになった。

もちろんその知らせは姫川さんの耳にも届いていた。

高級ホテルの特別室。

彼女は端末に映し出されたRIOを絶賛する記事を、わなわなと震える手で睨みつけていた。


「ありえない……。こんなことありえない……!」

彼女の完璧に整えられた顔が屈辱と嫉妬に醜く歪む。

「私が、あいつの道を完全に断ってやったはずなのに……! なんで……! なんであいつはいつも私の上を行くのよ……!」


ガシャン!

彼女は端末を大理石のテーブルに叩きつけた。

高価な端末が無残に砕け散る。


「才能……? 才能ですって……? ふざけないで……!」

彼女は自分の唇を強く噛み締めた。

じわりと血が滲む。

「才能だけじゃこの世界では生きていけないのよ……。絶対に引きずり下ろしてやる……。あなたが一番大事にしているものを根こそぎ奪って……!」


彼女の瞳に爛々と狂気の炎が宿る。

彼女は携帯端末を手に取ると、ある番号を呼び出した。

それは以前、私のことを調べさせた探偵の番号だった。


『――もしもし。姫川様でいらっしゃいますか』

「ええ。あなたにまたお願いしたいことがあるの」


彼女の声は甘く、しかし蛇のように冷たかった。

「彩崎莉緒のすべてを調べてちょうだい。彼女の過去、家族構成、弱点……。どんな些細なことでもいい。彼女を社会的に抹殺できるような決定的な醜聞を見つけ出して」


その声にはもはや正気の響きはなかった。

「報酬はいくらでも払うわ」


電話の向こうで探偵が承知したように頷く気配がした。

姫川さんは電話を切ると、窓の外に広がる都会の夜景を見下ろした。

その瞳はもはや私への嫉妬だけではない。

得体のしれない、どす黒い執念に燃えていた。


「待ってなさい、彩崎莉緒。あなたの夢物語は私が最悪の悪夢に変えてあげるから」

彼女の呪いのような呟きは誰にも聞かれることなく、きらびやかな夜景の中に溶けていった。


一方、その頃。

私と神木くんは、あの海辺の公園に来ていた。

ハリウッドとの契約が決まったお祝い。彼が連れてきてくれたのだ。


「本当に、おめでとう、莉緒」

「うん。ありがとう。神木くんと先輩のおかげだよ」


私たちはベンチに座り、穏やかな夜の海を眺めていた。

彼の肩にそっと頭をもたれる。

彼の温かさが心地よかった。


「ねえ、莉緒」

「ん?」

「ハリウッドに行っちゃうんだよな」


彼の声が少しだけ寂しそうに聞こえた。


「……うん。でもすぐ帰ってくるよ。それに今はネットで何でもできる時代だし」

「……そっか」

「それに私、決めたんだ。ハリウッドの仕事が終わったら自分のブランドを立ち上げたいなって」


「ブランド?」

「うん。『RIO』っていう名前で。特殊な化粧だけじゃなくて、普通の化粧でもみんなが自分に自信を持てるような、そんな化粧品を創りたいんだ」


私の新しい夢。

それを聞いて彼は嬉しそうに微笑んだ。


「いいじゃないか。君なら絶対にできるよ」

「だからその時は……。神木くんに宣伝のモデルをお願いしてもいいかな?」


私が少し照れながら言うと、彼はきょとんとした後、吹き出した。


「ははっ、喜んで。出演料は君の手料理でいいかな?」

「も、もう! からかわないでよ!」


私たちは子供みたいに笑い合った。

この幸せな時間が永遠に続けばいいのに。

そう思った、その時だった。


私の携帯端末がぶぶ、と震えた。

画面に表示されたのは橘先輩からのメッセージだった。

『莉緒、大変だ。すぐに部室に来てくれ。……お前の過去のことで、やばいことが分かった』


その不穏なメッセージを見た瞬間。

私の心臓がどくん、と嫌な音を立てた。

幸せな空気は一瞬で消え去り、冷たい不安の波が足元から這い上がってくるのを感じた。

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