第18話

「私、見つけたかもしれません。シリコンがなくても最高の創造物を創り出す、新しい方法を」


私の決意に満ちた声が、静まり返った部室に響く。

神木くんと橘先輩は一瞬、何を言われたのか分からないというように、きょとんとした顔で私を見ていた。


「新しい、方法……?」

神木くんが訝しげに私の言葉を繰り返す。


「莉緒、まさかとは思うが……」

橘先輩の視線が私の見つめる先、部室の隅に積まれた文化祭の備品の段ボール箱へと注がれる。


「ああ。それしかないだろう」

先輩の呆れたような声に、私はこくりと力強く頷いた。


「こんにゃく。……これを使います」

「こ、こんにゃく!?」


神木くんが素っ頓狂な声を上げた。国民的俳優の完璧な顔が、信じられないというように歪んでいる。その表情の差が少しおかしくて、私の緊張を和らげてくれた。


「本気か、彩崎。いくらなんでもそれは無茶だ。こんにゃくは所詮食べ物だぞ。特殊な化粧の材料になるわけが……」

「いいえ、なります。……ううん、なってみせます」


私は床から立ち上がると、段ボール箱から袋詰めのこんにゃくを一つ手に取った。ぷにぷにとした独特の感触。


「こんにゃくの主成分はグルコマンナンという植物繊維。保水性がすごく高くて弾力がある。この質感を、利用するんです」


私の目はもう絶望には染まっていなかった。芸術家としての探求心と好奇心。そして絶対に負けたくないという強い意志の炎がめらめらと燃え上がっていた。


「特殊な化粧の基本は異素材の組み合わせ。常識に囚われていたら新しいものは創れない。シリコンが駄目なら別の何かで代用すればいい。いいえ、代用じゃない。シリコンを超える、まったく新しい素材をこの手で創り出すんです」


私の言葉には自分でも驚くほどの力がこもっていた。

そうだ。姫川さんの妨害は私から大切な材料を奪ったかもしれない。でも彼女は私の才能も情熱も、そしてこの逆境を跳ね返すための閃きまでは奪うことはできなかったんだ。


私の本気の瞳を見て、神木くんと橘先輩は顔を見合わせた。そしてふっと同じタイミングで笑った。


「……ははっ。降参だ。お前がそう言うなら俺はもう何も言わない」

橘先輩がやれやれというように頭を掻いた。


「俺もだ。君が不可能を可能にする瞬間を一番近くで見てみたい」

神木くんがどこまでも優しい瞳で私を見つめる。


「手伝うよ。俺たちにできることなら何でも言ってくれ」

「ありがとう……! 二人とも!」


胸の奥がじわりと熱くなる。

一人じゃない。この二人となら、きっとどんな困難だって乗り越えられる。


「じゃあ、早速……!」

私は袖をまくると高らかに宣言した。

「この町中のこんにゃくを買い占めます!」


***


その日の夜。

映像研究部の部室は、さながらこんにゃく加工工場のようになっていた。

机の上には私たちがスーパーを何軒もはしごして買い集めてきた、ありとあらゆる種類のこんにゃくが山のように積まれている。板こんにゃく、糸こんにゃく、玉こんにゃく……。


「まさか人生でこんなに大量のこんにゃくを見る日が来るとはな……」

橘先輩がうんざりした顔でこんにゃくの袋を開けている。


「俺もだ。明日から俺のファンは俺のこと、こんにゃく王子とか呼ぶようになるかもしれないな」

神木くんが冗談めかして言いながら、大きな鍋でこんにゃくを茹でてくれていた。

その姿は国民的俳優というより、家庭科の授業を頑張る普通の高校生の男の子みたいで、なんだかすごく新鮮だった。


私たちの前代未聞の挑戦が始まった。

まずは茹でたこんにゃくをミキサーにかけて糊状にする。独特の匂いが部室に充満した。


「うっ……。なんかすごい匂いだな……」

「我慢してください。美のためには多少の犠牲はつきものです」


私が専門家っぽく言うと、二人は苦笑いを浮かべた。

次に糊状になったこんにゃくに様々な薬品を混ぜていく。粘度を調整するためのグリセリン、強度を増すためのゼラチン、そして腐敗を防ぐための防腐剤。

分量を変え、配合を変え、何度も何度も試作を繰り返す。


「駄目だ……。これじゃすぐに固まらない」

「こっちはべたべたしすぎて形にならないぞ」


失敗の連続。創り出した試作品はどれも理想には程遠いものばかり。

時間だけが無情に過ぎていく。壁の時計の針はとっくに真夜中を指していた。


「はぁ……。やっぱり無理だったのかな……」


焦りと疲労で私の心が折れそうになった、その時。


「――莉緒」

ふいに神木くんが私の名前を呼んだ。

そしてそっと私の頬に冷たい缶コーヒーを当ててくれた。


「ひゃっ!?」

「少し休んだら? 君の集中力はすごいけど、このままじゃ倒れちゃうよ」


彼の優しい声。心配そうな眼差し。

その温かさに張り詰めていた心の糸がふっと緩んだ。


「……うん」

私は彼から缶コーヒーを受け取った。


部室の窓を開けると、ひんやりとした夜風が火照った頬に心地よかった。

窓の外には満月が煌々と輝いている。


「君は本当にすごいよ」

隣に立った神木くんがぽつりと呟いた。

「普通なら諦めてしまうような状況なのに。君は決して下を向かない。それどころか誰も思いつかないような方法で道を切り拓こうとする」


「……そんなことないよ。私、さっきもう駄目だって思いかけたもん」

「でも諦めなかった。……その強さが俺はすごく眩しいと思う」


彼はそう言うと私の頭を優しくわしゃわしゃと撫でた。

大きな、骨張った綺麗な手。その感触に心臓がきゅんと甘く音を立てる。


「君を見ていると俺ももっと頑張らなきゃって思うんだ。役者としてもっと高みを目指せるんじゃないかって。君は俺に勇気をくれる存在なんだよ」


彼のまっすぐな言葉。

それはどんな栄養飲料よりも私の心に力をくれた。


「……神木くんこそ」

私も彼を見上げて微笑んだ。

「あなたが信じてくれるから私は頑張れるんだよ。あなたと橘先輩がそばにいてくれるから」


私たちの間に穏やかで温かい空気が流れる。

この時間がずっと続けばいいのに。

そう願わずにはいられなかった。


「おーい、お二人さん。休憩はそのくらいにして作業に戻るぞー」

部室の中から橘先輩の少しだけ拗ねたような声が聞こえてきた。


私と神木くんは顔を見合わせてくすりと笑うと、再び戦場へと戻った。


そして。

夜が白み始めたその頃。


「……できた」


私の震える声が静かな部室に響いた。

目の前のシャーレの上。そこには半透明で美しい乳白色をしたゲル状の物質があった。

指で触れると、ぷるんとした極上の弾力。人間の皮膚のような滑らかな質感。そしてシリコンにはない独特の有機的な生命感。


「すごい……! なんだ、これ……!」

橘先輩が息を飲む。


「嘘みたいだ……。これが本当にこんにゃくから……」

神木くんも信じられないというように目を丸くしている。


「名前は『KONNYAKU-GEL-NEO』……なんてね」

私がおどけて言うと、二人は一瞬ぽかんとした後、どっと吹き出した。


徹夜明けの疲れ切った顔で、私たちは子供みたいに笑い合った。

やった。やったんだ。

私たちは不可能を可能にした。

姫川さんの妨害を私たちの力で乗り越えたんだ。


「よし! 早速これで創造物の皮膚の見本を創るぞ! そして監督に私たちの勝利を見せつけてやるんだ!」

私の声に二人は力強く頷いた。


窓から差し込む朝の光が私たちの顔を希望の色にきらきらと照らしていた。

それは私たちの反撃の狼煙だった。

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