第17話
神木くんと恋人になってから、私の世界はまるで生まれ変わったようにきらきらと輝き始めた。
教室の空気はもう息苦しくない。
今まで私を「いないもの」として扱っていた級友たちも、今では「すごい特殊化粧の子だよね」「神木くんの彼女なんだ」と遠巻きながらも興味津々といった様子だ。中には勇気を出して話しかけてくれる子もいて、私は戸惑いながらもその変化を少しずつ受け入れていた。
「彩崎さん、おはよう」
「おはよう、神木くん」
朝、教室で交わす何気ない挨拶。
それだけで一日が幸せな色に染まる。
休み時間には彼が私の席に来て、昨日のテレビ番組の話や次の試験範囲の話などをする。そのたびに周りから好奇の視線が突き刺さるが、彼の隣にいれば不思議と気にならなかった。
「彩崎さんって笑うとえくぼができるんだね。可愛い」
「か、からかわないでよ……!」
そんな甘酸っぱいやり取りにも少しずつ慣れてきた。
私の地味で白黒だった日常が、彼のおかげで鮮やかな色に彩られていく。
もちろん姫川さんの視線は毎日、氷のように冷たく私の背中に突き刺さっていた。しかし彼女が表立って何かをしてくることはなく、学園は嵐の前の静けさのような奇妙な平穏を保っていた。
そんなある日の放課後。
映像研究部の部室で、橘先輩が興奮した様子で私に駆け寄ってきた。
「RIO! おい、RIO! とんでもないことになったぞ!」
「せ、先輩、どうしたんですか、そんなに慌てて」
「これを見ろ!」
先輩が私に突き出したのは、一通の英文で書かれた電子手紙だった。
差出人はハリウッドで今最も注目されている超大物監督の名前になっている。
「え……うそ……」
「嘘じゃない! 俺が何度も確認したんだ! あのジェームズ・キャメロン監督がお前の動画を見て、いたく感動したらしい。『次回作の構想画と、創造物の意匠の考えをぜひRIOに相談したい』と書いてある!」
ハリウッド。ジェームズ・キャメロン。
夢物語のような言葉の羅列に私の頭はついていかない。
「私にですか……? こんなただの高校生に……」
「お前はただの高校生じゃないだろう。世界が注目する天才芸術家『RIO』だ」
先輩は自分のことのように胸を張って言った。
信じられない。私の才能が海を越えて、あのハリウッドにまで届いたなんて。
胸がどきどきと高鳴る。これはとてつもなく大きな好機だ。
「もちろん、受けるよな?」
「……はい! やらせてください!」
私は力強く頷いた。
神木くんの映画の仕事で、私は自分の技術が誰かを助け、感動させられることを知った。もっと挑戦したい。もっと広い世界で自分の力を試してみたい。
その日から私の新しい挑戦が始まった。
監督との画面越しの会議は、すべて橘先輩が通訳として間に入ってくれた。監督が求めるのは今まで誰も見たことのないような、独創的で美しい創造物だ。
私は寝る間も惜しんで意匠画を描き、粘土で模型を創り続けた。
それは苦しいけれど最高に胸躍る毎日だった。
神木くんも私の挑戦を心から応援してくれた。
映画の撮影で忙しい合間を縫って部室に顔を出しては、疲れている私に温かいココアを差し入れてくれた。
「無理していないか? ちゃんと寝ているか?」
「大丈夫だよ。だって、すごく楽しいから」
「そっか。……でもあまり根を詰めすぎるなよ。君が倒れたら俺、心配で撮影に集中できないから」
彼の優しい言葉が私の何よりの活力になった。
順調に進んでいるように見えたハリウッドとの仕事。
しかしそんな私の背後で黒い影が静かに、そして確実に動き出していることにはまだ気づいていなかった。
異変が起きたのは創造物の皮膚の質感を出すための特殊なシリコンを発注した時だった。それは海外の専門の製造元からしか取り寄せられない貴重な材料。
しかし、いくら待っても材料が届かない。
「おかしいな……。税関で何か問題でもあったのか?」
橘先輩が何度も製造元に問い合わせてくれるが、返ってくるのは「すでに出荷済みです」という要領を得ない答えだけだった。
材料がなければ作業は完全に停止してしまう。監督との約束の期日は刻一刻と迫っていた。
焦りが募る。
そんな私の元に一本の電話がかかってきた。
非通知の番号。嫌な予感が胸をよぎる。
「……もしもし」
『――彩崎莉緒さん?』
電話の向こうから聞こえてきたのは甘く、しかし氷のように冷たい姫川さんの声だった。
「姫川さん……」
『あらごきげんよう。ハリウッドとのお仕事、順調かしら?』
彼女の言葉に私は息を飲む。なぜ彼女がそのことを……。
『あなたが探している材料は一生届かないわよ。私が手を回して流通をすべて止めてさしあげたから』
「な……っ!?」
『驚いた? これが芸能界よ。才能だけじゃどうにもならないことがあるの。力と人脈。それがすべてを支配する世界』
彼女はくすくすと楽しそうに笑っている。
『あなたみたいな小娘が私を敵に回したのが間違いだったのよ。玲矢もその仕事もすべて諦めなさい。そうすればこれ以上惨めな思いをしなくて済むわよ?』
一方的な言葉だけを残して電話はぷつりと切れた。
電話機を握りしめたまま私はその場に立ち尽くす。
頭が真っ白だった。これが姫川さんのやり方……。正々堂々なんて最初から彼女の辞書にはなかったんだ。
「どうしよう、先輩……。もう間に合わない……」
私は絶望感に打ちひしがれてその場にへたり込んだ。
自分の才能だけではどうにもならない巨大な壁。
初めて味わうプロの世界の厳しさと圧倒的な無力感。
涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「……諦めるな、彩崎!」
橘先輩が私の肩を強く掴んだ。
「お前は一人じゃないだろう!」
その時、部室のドアが勢いよく開いた。
息を切らして立っていたのは神木くんだった。
「莉緒!」
彼は私の名前を呼び捨てにすると、私のもとに駆け寄り強く抱きしめた。
「ごめん……! 俺がもっと早く気づいていれば……!」
「神木くん……」
「全部聞いた。姫川が君にしたこと。……絶対に許さない」
彼の腕の中で私は声を上げて泣いた。
悔しくて情けなくて、でも彼の腕の中はどうしようもなく温かかった。
「莉緒。君は最高の芸術家だ。こんなことで君の才能が潰されていいはずがない」
彼は私の涙を優しい指先で拭うと、まっすぐに私の目を見て言った。
「俺たちで乗り越えよう。絶対に方法はあるはずだ」
神木くんの力強い瞳。橘先輩の励ますような眼差し。
そうだ。私は一人じゃない。
「……はい」
私は涙を拭い、こくりと頷いた。
諦めない。絶対に。
このまま終わらせたりしない。
私はゆっくりと立ち上がると部室の中を見回した。
雑然と置かれた機材や材料の数々。
その中にふと、一つのものが目に留まった。
それは文化祭の出し物のために級友が置いていった大量の『こんにゃく』だった。
(こんにゃく……?)
そのありえない食材を見た瞬間。
私の頭の中にまるで稲妻のような閃きが走った。
「……先輩。神木くん」
私は二人に向き直ると決意に満ちた声で言った。
「私、見つけたかもしれません。シリコンがなくても最高の創造物を創り出す新しい方法を」
私の瞳にもう絶望の色はなかった。
逆境の中でこそ燃え上がる創造の炎。
それは誰にも決して消すことのできない私だけの光だった。
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