第15話
「お前は、この先、どうしたいんだ」
神木玲矢の問いかけが私の心を激しく揺さぶった。
嘘の顔と本当の顔。
どちらを選ぶべきか私には分からない。どちらも私にとって大切な顔だからだ。
「……っ」
言葉に詰まり、私は何も言えずに神木玲矢を見つめることしかできなかった。
そんな私を見て、姫川瑠奈はくすくすと嘲笑った。
「あら、答えられないの? 玲矢の言う通りじゃない。あなたはただの地味な女子高生。いくら特殊メイクで着飾ったところで、所詮は偽物よ。玲矢の隣に立つ資格なんてないわ」
彼女の言葉は、私の心の奥底に眠っていた不安をそのまま形にしたものだった。
その通りだ。私はただの彩崎莉緒。神木玲矢という太陽の隣に立つにはあまりにもちっぽけな、埃のような存在だ。
私は彼から目を逸らし、うつむいてしまった。
その瞬間、私の肩にそっと手が置かれた。
「姫川、黙っててくれるか」
神木玲矢の静かだが冷たい声が響く。
「これはRIOと俺の問題だ。お前は関係ない」
「玲矢……!」
姫川瑠奈は悔しそうに顔を歪めた。
「君は君自身がどうしたいのか教えてほしい。俺は君の答えを聞きたい」
神木玲矢の声は私の心にまっすぐに響いてきた。
顔を上げると、彼の目は私のRIOの顔の奥にある、本当の私を見つめているように見えた。
(どうしたい……?)
私はもう逃げたくない。
もう誰かの陰に隠れて息を殺して生きていくのは嫌だ。
このまま彩崎莉緒として彼の隣に立つ勇気はまだない。
でもRIOとして彼と向き合うことももう違うような気がしていた。
RIOは私のコンプレックスから生まれた、私の嘘の顔だ。
そして彩崎莉緒は世間の評価から逃げるために自分で創り上げた、空気という名の仮面。
どちらも本当の私じゃない。
「……私は」
私は意を決してゆっくりと口を開いた。
「私はどちらでもありません」
私の言葉に神木玲矢も姫川瑠奈も、そして隣にいる橘先輩も驚いたように目を見開いた。
「RIOは私の技術の結晶。彩崎莉緒は私が生きるための鎧。どちらも私自身の一部です。でも、どちらの顔も本当の私じゃない」
私は自分の胸にそっと手を当てた。
「私は私の心を偽りたくありません。だから……」
そう言って私は神木玲矢の目をまっすぐに見つめた。
「私は今からこの顔を落とします。そして本当の私であなたと向き合いたい」
その言葉に神木玲矢の瞳が大きく揺れた。
「ちょっと待て、RIO!そんなことしたら……!」
橘先輩が焦ったように私に言った。
「姫川瑠奈がいるんだぞ!?ここで、お前の素顔を明かすなんて……!」
先輩の言う通りだ。ここで私がRIOの顔を落としたら、私の正体は神木玲矢だけでなく姫川瑠奈にも知られてしまう。そしてその情報は、あっという間に世間に広まるだろう。
でも、もう嘘はつきたくなかった。
逃げたくもなかった。
私は橘先輩に大丈夫というように、こくりと頷いた。
「姫川さん」
私は姫川瑠奈に向き直った。
「あなたは私の才能を妬んでいる。そして私と神木玲矢の関係を邪魔したいと思っている。それは分かっています。だから、私はあなたに私の素顔を見せます。そして……」
私は彼女の目をまっすぐに見て言った。
「正々堂々あなたと勝負したい」
「勝負……?」
姫川瑠奈は私の言葉を理解できないように呟いた。
「ええ。神木玲矢の隣に立つ最高のパートナーは誰なのか。あなたの才能と私の才能。どちらが彼を輝かせることができるのか」
私の言葉に、姫川瑠奈の完璧なメイクが今度こそ完全に崩れた。
「なっ!馬鹿なこと言わないで!」
彼女は怒りで震える声で叫んだ。
「あなたみたいなただの地味な女子高生が、私と勝負するなんて冗談じゃないわ!」
「冗談じゃありません」
私はきっぱりと答えた。
「私には、私にしかできない方法で彼を輝かせる力がある。あなたはそれに気づいているからこんなにも怒っているのでしょう?」
その言葉に、姫川瑠奈はぐっと言葉に詰まった。
「神木さん。これが私の答えです」
私は再び神木玲矢の方を向いた。
「私はただの彩崎莉緒でもRIOでもありません。私は彩崎莉緒でありRIOでもある、ひとつの存在です。そして私は、この全ての顔であなたと向き合いたい」
そう言って私はクレンジング剤を染み込ませたコットンを静かに手に取った。
「待て……!」
神木玲矢が何かに気づいたように大きな声で叫んだ。
「お前は!授業中、いつも何か考え事をしているって言ったろ。俺の顔を真剣に見つめて……!」
彼の言葉に私は心臓が大きく跳ねるのを感じた。
「あの時、お前が俺の顔を見て初めて仮面だって気づいたんだ。俺の本質を。お前は彩崎莉緒だったのか……!」
神木玲矢の瞳が熱く光る。
彼は私の正体に気づいていた。いや、気づき始めていたんだ。
「ごめんなさい」
私はそう言ってコットンを自分の顔に当てた。
メイクがゆっくりと溶けていく。
強いアイラインが消え、自信に満ちた表情がいつもの弱々しい私の表情へと戻っていく。
そして全てのメイクを落とし、プロテーゼを剥がした時。
そこにいたのは重たい一重まぶたに、低い鼻、ぱっとしない輪郭の地味で冴えない彩崎莉緒だった。
「……っ」
姫川瑠奈が言葉を失って私を見つめている。
神木玲矢は何も言わなかった。ただその瞳に宿る熱い光は少しも消えていなかった。
彼はゆっくりと私の前に歩み寄る。
そして。
「おかえり、彩崎さん」
彼はそう言って優しく微笑んだ。
その笑顔は、教室で見せる完璧な王子様の笑顔でもなく、私に見せてくれた悩める役者の顔でもなかった。
ただ、心から私の素顔を受け入れてくれた、優しくて温かい、彼の本当の笑顔だった。
私の目から涙が溢れ出した。
「神木、くん……!」
「私はいつまでも君の隣にいるから」
彼はそう言って、私の頬にそっと手を添えた。
その瞬間、私の心にひとつの光が灯った。
嘘の顔を脱ぎ捨てて、本当の自分をさらけ出すこと。
それは怖いことじゃない。
誰かひとりでも受け入れてくれる人がいるのなら、それは最強の武器になるのだと。
私は彼の温かい手にそっと自分の手を重ねた。
---
翌週の月曜日。学園中が再び騒然となっていた。
事の発端は週末にネットにアップされた一本の動画。
それは顔を隠した私がRIOとして、神木玲矢の顔に特殊メイクを施しているメイキング映像だった。
動画の最後には、神木玲矢が完璧な老人へと変身し、私に感謝していると告げている場面が鮮明に映っていた。
その動画はあっという間に拡散され、ネット上では「神木玲矢の天才メイクアップアーティスト」としてRIOの存在が大きく取り上げられた。
そして動画の撮影者として橘先輩の名前も一緒に広まっていった。
「彩崎さん!すごいね!君があのRIOだったなんて!」
「知ってた?神木玲矢と仲良かったんだ!」
教室のあちこちから、驚きと好奇心の入り混じった声が聞こえてくる。
もう、私は空気じゃない。
でも怖くはなかった。
私は顔を上げ、周りの生徒たちの目を見て微笑んだ。
「はい。私がRIOです」
そして私は隣の席に座る神木玲矢を見た。
彼は私の目を見てにこりと微笑んだ。その笑顔はいつもの完璧な王子様の笑顔じゃなかった。
ただ、優しくて温かい、彼の本当の笑顔。
その時、教室のドアがガラリと開いた。
そこに立っていたのは姫川瑠奈。
彼女は私と神木玲矢を見て小さく息をのんだ。
彼女の顔は完璧なメイクで武装されてはいたが、その瞳には隠しきれない動揺と、そして怒りが宿っていた。
「彩崎さん……!」
彼女が私に向かって鋭い声を上げた。
いよいよ本当の戦いの火蓋が切って落とされる。
でももう怖くない。
だって私の隣には、本当の私を一番に受け入れてくれた、神木玲矢がいるから。
私の心はまっすぐに彼の瞳を見つめていた。
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