純喫茶『ビー玉』

トーセンボー(蕩船坊)

純喫茶『ビー玉』


 佐藤桜子さとうさくらこ26歳、純喫茶に不純な動機で通っています。

 その喫茶店はごく普通の、商店街のはずれに居を構える個人経営のお店。マスターはロマンスグレーの壮年男性ナイスミドル、常連のご婦人がたは彼をお目当てにやってくるけど、わたしに枯れ専そっちの趣味はない。わたしのお目当ては、その喫茶店の看板娘だ。

 はじめて喫茶店『ビー玉』に入ったとき、彼女を一目見たわたしは雷に打たれた。例えるなら、タイムスリップできてしまいそうなバック・トゥ・ザ・フューチャーくらいの強い衝撃だ。そのせいで、初回の記憶はそこで途切れてしまっている。あぁ、過去に戻ってもう一度、あの感覚を味わいたい。

 それからわたしはビー玉に通いはじめた。可愛い彼女を抜きにしても、コーヒーや料理の味に文句はないし。値段はあまり可愛くないから週に一、二度が限界だけど、胸を張って『わたしはここの常連です』と言えるくらいには通い続けている。マスターにもを覚えてもらった。メニューの一番上にあるオリジナルブレンド、店で一番安いコーヒー。料理やケーキはいつも、お腹よりお財布と相談してから。

 看板娘というだけあって、彼女はほとんど毎日ビー玉に居る。店内を歩いて愛想を振りまいたり、窓辺に座ってぼーっと外を眺めたり。彼女はとにかく、自由だった。それでも彼女は許される。なぜって、そこに居るだけで華やかな気持ちにさせてくれるから。それは客だけでなく、マスターやほかの店員さんも同じ気持ちのようだった。


 待ちに待ったビー玉の日。きのうは給料日だったから、ケーキもつけてしまおう。そう考えながら鳴らしたドアベルの音で、店内の注目がわたしに集まる。見知った顔ぶれの暖かい視線と一緒に、クーラーでよく冷えたお店の空気がわたしを出迎えてくれた。お目当ての彼女は……見当たらない、少し残念。

「いらっしゃいませ……あ、お姉さん。お好きな席にどうぞ」

 彼女はサキちゃん。マスターのお孫さんで、よくビー玉を手伝っている。前に一度、見覚えのあるセーラー服にエプロン姿でお店に出ていたことがあったから、たぶん近所の高校に通っている。

「日替わりケーキセットで」

 窓際の一等席、運が良ければが来てくれるボックス席。そこに座って、お冷で唇を湿らせてから注文した。

「コーヒーは……ふふっ、いつものですね」

「うん、いつもので」

「かしこまりました」

 学生時代からずっと憧れていた常連仕草は、何度やっても飽きが来ない。季節の秋が、酷暑と極寒に挟まれて行方不明なくらい、全く来ない。好きな季節なんだけどなぁ、秋。

 グラスについた水滴をもてあそびながら、考えにふける。今日はどうやって彼女の気を引こうか。今日はどうやって、彼女に隣へ来てもらおうか……まるで、恋の駆け引きみたいだ。

「お待たせしました、ケーキセットです」

 サキちゃんが運んできたのは、いつもと変わらないブレンドコーヒーと、見覚えのない四角いフルーツケーキ。

「……あの、座ってもいいですか?」

「いいけど、どうしたの?」

「実はそのケーキ、あたしがレシピを考えたんです。しかもお客さんに出すの、今日が初めてで……」

 どうやら新顔だったようだ。そして、サキちゃんはケーキの感想をご所望らしい。お店で提供しているということは、マスターが厳しくチェックしてるだろうけど……身内の意見ほど参考にならないものはないとも言うし。ここはひとつ、忌憚きたんなき『お客様の声』をお聞かせしなければ。

「いただきます」

 四角いケーキの頂上、ならされた白い平野の上には、透き通ったフルーツ……小さめにスライスされた、桃のコンポートがちょこんと乗せられている。こういうの、私は最後にとっておくタイプだ。角を落とすようにフォークを入れて、ひと口。

「……おいしい」

 思わずそう呟いた。食べ慣れた食感の、ふわふわスポンジ生地。しつこくならないように、爽やかな風味が付けられた生クリーム。そして細かく散りばめられた蜜のように甘い桃が、絶妙なバランスで口の中を舞い踊っている。これを全部サキちゃんが考えたなら、本当に凄い。

「本当ですか!?」

「こら、サキ。静かに」

「ごめんなさい……」

 サキちゃんは身を乗り出し、華のように咲いた笑顔を私に向ける。あまり嬉しそうに叫んだせいで、マスターに釘を刺されたサキちゃんの笑顔は、すぐにシュンとしぼんでしまった。


「にゃぁん」

 チリン、というかすかな音とともに、やわらかい感触が私の足を撫でる。

「ミケちゃん!」

 彼女こそビー玉の看板娘、黒猫のミケちゃん。黒猫なのにミケちゃん。暗闇に紛れる、ミッケちゃんだ。望外のサービスにわたしが歓喜の叫びをあげても、マスターは額のシワを深くするだけだった。

 ミケちゃんは落ち込むサキちゃんに寄り添うように、彼女の膝に居座った……たぶん。ああ、テーブルが邪魔でミケちゃんの姿が見えない!

「あの…………よかったら、隣に座りませんか?」

「……いいの?」

「今ならたぶん、大丈夫ですよ」

 欲が態度に出てしまったのか、サキちゃんに気を遣わせてしまった。静かに席を立ち、向かいの長椅子にそそくさと座る。サキちゃんの膝の上では、丸まったミケちゃんがすやすやと寝息を立てていた。彼女のお腹が上下するたび、綺麗な濡羽色の毛並みが、外の光を反射してキラキラと輝いている。あぁ、世界平和。

「ふふっ。お姉さん、ほんとにミケがお好きですよね。ちょっと妬いちゃう」

「ご、ごめんなさい……」

 花より団子の私だけど、団子よりも猫ちゃん優先なのである。それでも、いたいけな女学生に感想を求められたのに、お手製ケーキそっちのけというのはまずかった。視線はミケちゃんに送ったまま、フルーツケーキを口に運ぶ。猫見ケーキ、最高。


「ごちそうさまでした」

 一番大きなとっておきコンポート咀嚼そしゃくし終えてしまった。

「とってもおいしかったよ、サキちゃん」

「やった!」

 今度は怒られないように、サキちゃんは声のトーンを落として喜んだ。おまけに可愛らしいガッツポーズ付き。こんなに喜んでくれるなら、わたしも褒めた甲斐があるってものだ。

「……いけない、もうこんな時間。スーパーのタイムセールが始まっちゃう」

 思っていた以上にゆっくりじっくり、猫とケーキを楽しんでしまっていたみたいだ。スーパーの安売りに参加できるかどうかは、わたしにとって死活問題。具体的には、ビー玉に通う頻度が三割くらい減ってしまうほどの。

「ごめんねサキちゃん、また来るから。ミケちゃんもありがとうね」

 魅惑の毛並をひと撫でしてからお会計へ。

「あ、おじいちゃん! あたしがお会計するから」

 無言で片手を上げて了解の意思を示すマスター、キマってる。ビー玉はキャッシュレスにも対応してるけど、骨董品みたいに古いレジの音が聞きたくて、毎回現金で払ってしまう。お店的にはどっちの方がいいんだろうか?

「ありがとうございました」

 がしゃん、チーン! と、どこか間抜けな音を立ててレジが開く。

「あの! ……来年の春には、桜のケーキも作りますから。それまでずっと……ずっと、来てください」

 お釣りを渡すとき、サキちゃんはわたしの手をぎゅっと握りながら言った。やけに真剣な眼差しで。

「うん。ちゃんと、また来るよ」

 ドアベルの涼しい音と一緒に、外のうだるような暑さがわたしを襲う。ガラス越しにわたしを見送る彼女の瞳は、ビー玉のようにきらきらと涼しげで。それでいて、真夏の太陽のような熱をもって、輝いていた。


 ……明日も、会いに来ようかな。

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純喫茶『ビー玉』 トーセンボー(蕩船坊) @mottlite

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