純喫茶『ビー玉』
トーセンボー(蕩船坊)
純喫茶『ビー玉』
その喫茶店はごく普通の、商店街のはずれに居を構える個人経営のお店。マスターはロマンスグレーの
はじめて喫茶店『ビー玉』に入ったとき、彼女を一目見たわたしは雷に打たれた。例えるなら、
それからわたしはビー玉に通いはじめた。可愛い彼女を抜きにしても、コーヒーや料理の味に文句はないし。値段はあまり可愛くないから週に一、二度が限界だけど、胸を張って『わたしはここの常連です』と言えるくらいには通い続けている。マスターにも
看板娘というだけあって、彼女はほとんど毎日ビー玉に居る。店内を歩いて愛想を振りまいたり、窓辺に座ってぼーっと外を眺めたり。彼女はとにかく、自由だった。それでも彼女は許される。なぜって、そこに居るだけで華やかな気持ちにさせてくれるから。それは客だけでなく、マスターやほかの店員さんも同じ気持ちのようだった。
待ちに待ったビー玉の日。きのうは給料日だったから、ケーキもつけてしまおう。そう考えながら鳴らしたドアベルの音で、店内の注目がわたしに集まる。見知った顔ぶれの暖かい視線と一緒に、クーラーでよく冷えたお店の空気がわたしを出迎えてくれた。お目当ての彼女は……見当たらない、少し残念。
「いらっしゃいませ……あ、お姉さん。お好きな席にどうぞ」
彼女はサキちゃん。マスターのお孫さんで、よくビー玉を手伝っている。前に一度、見覚えのあるセーラー服にエプロン姿でお店に出ていたことがあったから、たぶん近所の高校に通っている。
「日替わりケーキセットで」
窓際の一等席、運が良ければ
「コーヒーは……ふふっ、いつものですね」
「うん、いつもので」
「かしこまりました」
学生時代からずっと憧れていた常連仕草は、何度やっても飽きが来ない。季節の秋が、酷暑と極寒に挟まれて行方不明なくらい、全く来ない。好きな季節なんだけどなぁ、秋。
グラスについた水滴を
「お待たせしました、ケーキセットです」
サキちゃんが運んできたのは、いつもと変わらないブレンドコーヒーと、見覚えのない四角いフルーツケーキ。
「……あの、座ってもいいですか?」
「いいけど、どうしたの?」
「実はそのケーキ、あたしがレシピを考えたんです。しかもお客さんに出すの、今日が初めてで……」
どうやら新顔だったようだ。そして、サキちゃんはケーキの感想をご所望らしい。お店で提供しているということは、マスターが厳しくチェックしてるだろうけど……身内の意見ほど参考にならないものはないとも言うし。ここはひとつ、
「いただきます」
四角いケーキの頂上、
「……おいしい」
思わずそう呟いた。食べ慣れた食感の、ふわふわスポンジ生地。しつこくならないように、爽やかな風味が付けられた生クリーム。そして細かく散りばめられた蜜のように甘い桃が、絶妙なバランスで口の中を舞い踊っている。これを全部サキちゃんが考えたなら、本当に凄い。
「本当ですか!?」
「こら、サキ。静かに」
「ごめんなさい……」
サキちゃんは身を乗り出し、華のように咲いた笑顔を私に向ける。あまり嬉しそうに叫んだせいで、マスターに釘を刺されたサキちゃんの笑顔は、すぐにシュンとしぼんでしまった。
「にゃぁん」
チリン、という
「ミケちゃん!」
彼女こそビー玉の看板娘、黒猫のミケちゃん。黒猫なのにミケちゃん。暗闇に紛れる、ミッケちゃんだ。望外のサービスにわたしが歓喜の叫びをあげても、マスターは額のシワを深くするだけだった。
ミケちゃんは落ち込むサキちゃんに寄り添うように、彼女の膝に居座った……たぶん。ああ、テーブルが邪魔でミケちゃんの姿が見えない!
「あの…………よかったら、隣に座りませんか?」
「……いいの?」
「今ならたぶん、大丈夫ですよ」
欲が態度に出てしまったのか、サキちゃんに気を遣わせてしまった。静かに席を立ち、向かいの長椅子にそそくさと座る。サキちゃんの膝の上では、丸まったミケちゃんがすやすやと寝息を立てていた。彼女のお腹が上下するたび、綺麗な濡羽色の毛並みが、外の光を反射してキラキラと輝いている。あぁ、世界平和。
「ふふっ。お姉さん、ほんとにミケがお好きですよね。ちょっと妬いちゃう」
「ご、ごめんなさい……」
花より団子の私だけど、団子よりも猫ちゃん優先なのである。それでも、いたいけな女学生に感想を求められたのに、お手製ケーキそっちのけというのはまずかった。視線はミケちゃんに送ったまま、フルーツケーキを口に運ぶ。猫見ケーキ、最高。
「ごちそうさまでした」
一番大きな
「とってもおいしかったよ、サキちゃん」
「やった!」
今度は怒られないように、サキちゃんは声のトーンを落として喜んだ。おまけに可愛らしいガッツポーズ付き。こんなに喜んでくれるなら、わたしも褒めた甲斐があるってものだ。
「……いけない、もうこんな時間。スーパーのタイムセールが始まっちゃう」
思っていた以上にゆっくりじっくり、猫とケーキを楽しんでしまっていたみたいだ。スーパーの安売りに参加できるかどうかは、わたしにとって死活問題。具体的には、ビー玉に通う頻度が三割くらい減ってしまうほどの。
「ごめんねサキちゃん、また来るから。ミケちゃんもありがとうね」
魅惑の毛並をひと撫でしてからお会計へ。
「あ、おじいちゃん! あたしがお会計するから」
無言で片手を上げて了解の意思を示すマスター、キマってる。ビー玉はキャッシュレスにも対応してるけど、骨董品みたいに古いレジの音が聞きたくて、毎回現金で払ってしまう。お店的にはどっちの方がいいんだろうか?
「ありがとうございました」
がしゃん、チーン! と、どこか間抜けな音を立ててレジが開く。
「あの! ……来年の春には、桜のケーキも作りますから。それまでずっと……ずっと、来てください」
お釣りを渡すとき、サキちゃんはわたしの手をぎゅっと握りながら言った。やけに真剣な眼差しで。
「うん。ちゃんと、また来るよ」
ドアベルの涼しい音と一緒に、外のうだるような暑さがわたしを襲う。ガラス越しにわたしを見送る彼女の瞳は、ビー玉のようにきらきらと涼しげで。それでいて、真夏の太陽のような熱をもって、輝いていた。
……明日も、会いに来ようかな。
純喫茶『ビー玉』 トーセンボー(蕩船坊) @mottlite
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