花天月地【第47話 月と太陽の狭間で】

七海ポルカ

第1話





 徐庶じょしょ黄巌こうがんは本当に積もる話があるらしく、この数年のお互いのことなどをずっと話していた。

 陸議りくぎも聞いていたのだが、まだまだ話し足りないから君は横になって休んでいいんだよと二人に言われて、気を遣わせても悪いため先に休むことにした。

 といってもここは広い庵ではないので、囲炉裏の側に毛布に包まって寝るだけだから、二人の会話はずっと聞こえていた。

 特別疲れていたというわけではないけれど、横になり、目を閉じて二人の会話を何となく聞きながらそうしていると、いつの間にか陸議は眠っていた。



 眠りに入る前、黄巌こうがんは治安があまり良くなくなったという涼州各地を、商隊の護衛などで歩き回っている生活であり――徐庶は長安ちょうあんで、読み書きが出来れば誰でも出来るような仕事をこなしながら、でも時間があるので街を歩いたり、王宮や役所の書庫に入って、色々読む時間があるのが嬉しいという話をしていたのを朧気に聞いた。


 以前は時間はあってもお尋ね者だったため街にも長く滞在出来ず、人の眼を気にして常に警戒し怯えていたから、孤独以上の辛さがあったと徐庶は言っていた。

 

『今は、長安にさほど知り合いや友人はいなくても、孤独でもずっとずっと幸せだと感じる。ただそこにいられるだけでも、幸せなことなんだなって』


 徐庶は慣れない長安の生活に馴染めず、苦しんでいるというわけではないことが分かった。

 彼の場合それ以前の暮らしが酷すぎて、ただ街の中にいても指を差されないというだけで幸せであり、心穏やかであるらしい。


 曹操そうそうが欲しがったほどの軍略の才を持ってはいるけれど、陸議には、徐庶は普通の人並みのような暮らしをしていても、幸せになれる可能性がずっとあるような印象を持った。


 二人は小さい頃の話もしていたようだ。


 徐庶じょしょは兄弟がなく、あまり小さい頃、人と関わった記憶が無かったという。

 近所の子供と遊ぶことはあったが、皆同じように貧しく、ある日どこかの村へ去って、二度と会わなくなるようなこともあったらしい。

 

『不思議なほど、母親と何かを話した記憶が無い。

 夜は家に帰って、寝ていたはずなのに。共に生きてたはずなのにね。

 時々村の外へ行く頼み事をされて、一人で近くの村に行った。

 子供ならそんなの心細いと思うかもしれないけれど、全く心細くなかった。

 村を出る時、不思議と自由になったような気がして、

 嬉しかったって言ったら驚くよな……。

 違う村や町に行くと、もっと別の街にも行きたいって思うようになった。

 ある街で剣術道場を初めて見た。たまたま偉い剣術の先生が指導に来ていたらしくて、運良く居合わせて、初めて剣術を見て、格好いいなと思ったんだ。

 それからはずっと長い枝を手に持って、暇さえあれば振って遊んでた』


 黄巌こうがんの幼少期は対照的で、これは彼の家だけでは無く涼州りょうしゅう全体の伝統らしいが、物心つくと一族の長の許に預けられて、武芸を叩き込まれるのだという。

 血の繋がっていない、でも家族のように寝食を共にする同じくらいの少年達がたくさんいて、『寂しい暇もなかった』と彼は笑う。

 

 確かに黄巌からは人に対して物怖じしない、そういう、人に揉まれて育ったような逞しさがあった。


『家族が一番大事だ』


 彼は言う。

 家族に対して希薄な感覚しか持ったことのない徐庶は、迷い無くそう言った黄巌を優しい表情で見ていた。

 囲炉裏の向こう、火の揺れる遠くに、優しい横顔で友を見る、徐庶の顔を見たような記憶がある。


 それから記憶は途切れ途切れだが、【饕餮とうてつ】の話を聞いた。

 司馬孚しばふの為に買った手袋を見たのだろう。

 どうやら徐庶じょしょに【饕餮】の話をしたのは黄巖こうがんだったようだ。 


 その他にも面白い話をしていた。


 涼州に伝わる【竜生九子りゅうせいきゅうし】の伝承になぞらえて、子供達が九匹の霊獣れいじゅうに扮して遊ぶのだそうだ。


 力や速さを競い合う。

 九匹の霊獣の特徴に応じて、戦う場所や走れる場所に制約などを設けて、色々な場所で遊ぶらしい。


 黄巌はたくさんの遊び相手と、よく竜生九子の遊びの中で【蒲牢ほろう】という霊獣に扮していたのだという。

 蒲牢ほろうは神出鬼没の霊獣であるため、身を隠し、仲間に気取られないように物陰から近づき、子供達が身につけている飾り紐を奪ったら勝ちなのだとか。

 黄巌こうがんは身を隠して忍び寄り、襲いかかるのが非常に得意だったため【蒲牢】が特別自分でも好きだった役だったらしい。


 実は徐庶じょしょが初めて涼州を訪れた時、彼は当時お尋ね者だったので、偽名で【螭吻ちふん】という、同じ竜生九子の霊獣を名乗っていたのだという。

 出会った時その名を聞いて少年時代が懐かしく、妙に親近感が湧いたと黄巌が笑っていた。


 過去のこと、

 現在のことを、

 夜中話していた二人の男が、


 未来のことだけは話さなかった。


 その真意を慮った陸議りくぎは翌朝もし、起きて徐庶が『黄巌と一緒に涼州りょうしゅうに留まりたい。もう長安ちょうあんには戻らない』と言った時は、決して驚いた顔などせず、頷いて、一人での陣に帰ろうと眠りながら考えていた。


 多分、そう言って欲しいと願っていたのだと思う。




(人は、いたいと望む場所があるならそこにいるべきだ)




 陸議りくぎはそう思っていた。


 ほとんどの人間は自分がどこにいたいかなど、最初からは分からない。

 人によっては永遠に、死ぬまでそれが見つからず、彷徨い続けて死ぬ人だっている。


 だからいたいと思える場所がある人は迷わずそれを望んで、叶えるべきだと彼は思った。


 場所でもいい。

 好きな人がいて、その人を選んで結婚することも、

 きっと同じことだ。



(見つけたら手放してはいけない。何があっても)



 星の海の景色が、

 龐統ほうとうの身に纏っていた闇星やみぼしの美しい衣に還っていく。


(どんなに辛くても、手放してはいけない)


 自分が少し泣いているのが分かったが、遠くから聞こえてくる男二人の穏やかな話し声や笑い声が、心を慰めてくれた。


 深く毛布に潜り込んで、

 陸議りくぎは眠りについた。




 その日は眠りについたあとも、ずっと星の海の夢を見ていた。



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