<21・懺悔。>
美冬は、一番後ろの席だった。
そのせいだろう。――教室のロッカーの前あたりには、あっちこっちに血飛沫が飛んでいる。彼女が顔にどれくらいの怪我をしたのかはいまいちよくわからなかったが、指の何本かはちぎれそうになっていたはずだ。控えめに見ても重傷だろう。
「うう、うう……」
やがて。ゆいなのすぐ傍から、泣き声が聞こえてきた。
腕を押さえつけていた京だった。
「兄貴、なんで……なんで死んじゃったの。僕達、ずっと一緒だって言ったじゃん。なんでさ、なんで……」
「京くん……」
「ううう、あああああああああ……!こんなの、こんなのないよ、嫌だよ、嫌だあ……!」
多分。
怒りを燃やすことで、どうにか自分を保っていたのだろう。彼はその場にしゃがみ込んで泣きだしてしまった。もう戦意も、美冬を追いかけるだけの気力もなさそうだ。とりあえず包丁だけは取り上げると、ゴミ箱の中にあったプリントでぐるぐる巻きにしてその中に放り込ませてもらうことにする。――簡単に取り出せない状態、といって現状ゆいなに思いつくのがこれしかなかったためだ。
「京……」
それを見ていた瞬が、傍に寄ってきて彼の背中をさする。
「ごめんな。……何もできなくて、ごめん。大事な兄ちゃんだったんだもんな。お前ら、本当に仲良しだったし。……俺ら、何もできなくて、ほんとごめん……」
「瞬……」
もし。
自分達がただの中学生でなかったなら。もう少し何か、特別な力があったなら。大人のような精神力か、あるいはオバケに対応できるような霊能力のどちらかがあったなら。
少なくともこんな、こんな悲惨なことにはならなかったのだろうか。
美冬のように孤立している生徒がいなかったわけじゃない。それでも彼女とだって、ある程度距離を取ってうまくやれていたつもりだったのだ。それ以外の生徒たちは言わずもがな、仲の良いクラスだとゆいなは本気で思っていたのである。
それが間違い、だったのだろうか。
確かに美冬にも問題はあっただろう。それでも、もう少し彼女の話を真剣に聞いていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。あるいは、ニコさんの事件を防ぐ手立てもあったのだろうか。
もしくは、ゆいなにも霊感のようなものがあったならば。
――ああ、駄目だ。こんなんじゃ駄目。たらればの話を今したって……意味なんか、ないのに。
みんなでニコさんに立ち向かっていかなければいけない時のはずなのに、心がバラバラになっている。
ひょっとして、犯人捜しをゲームに盛り込んだのも、そういう狙いがあったのかもしれない。どんなに仲良しのクラスでも疑心暗鬼になるように、あるいは殺し合いが起きるように、と。
「……うち」
沙穂がぽつりと呟いた。
「うち、さっき。貞くんと京くんが灰田はんを脅してる時……何もできんかった。……いや、ちゃうわ。何もせえへんかったんや。灰田はんが切りつけられても、心のどっかで思とった、自業自得やて。今まで散々人に深いな思いさせて、傷つけてきた報いやろって」
「沙穂……」
「それに、兄弟がやったこと、完全に間違ってるとも思えんねん。犯人に繋がる証拠がないんやったら、自白させるほかないやろ。拷問でもなんでもして、白状させるのは昔ながらの手や。倫理観の問題があるっちゅうのは十分承知しとるけど……そもそも、それやらんかったら、みんな死ぬって状況や。仕方ないやろ……」
「……うん」
言いたいことはわかる。
ゆいなだって、人のことは言えない。最初に京が美冬を切りつけた時。その直後に彼を抑えていれば、二撃目は防げたはず。それなのに動かなかった。すぐに助けようと思えなかった。それは、兄弟が包丁を持っていて怖かったからじゃない。
助ける必要があるか、価値があるか――それを値踏みしてしまったのだ。
そんな自分に、沙穂たちを責める資格がどこにあるだろう。
「でもさ、沙穂」
それでも、わかっているのだ。
「沙穂が、今。私にそういう話をしてるのって……つまり、懺悔でしょ。本当は罪悪感があって、間違ってるんじゃないかって思ってるから。そうでしょ?」
「……せやね。さっきまで、それで正しいと思っとったのに、なんや、もやもやしてしゃあないねん。本当にこれで良かったのかって、どっかで思ってしまっとる」
「それでいいんだと思う。……その、理性とか、罪悪感とか、倫理観とか。どんな状況であったとしても……そういうのを完全に捨てちゃったら多分、その時点で私達は人間じゃなくなっちゃうんじゃないかな」
戦場の兵士もそう。
路地裏で盗みや売りをしながら生きる者たちでもそう。
理性から、善意から、人は完全に手を放してはいけないのだ。己がまだ人間であると信じたいならば。人間としていつか、日のあたる場所で生きたいと願うのならば。
「……貞くんと、灰田さんのことは、とりあえず亞音と山吹先生に任せよう。先生と亞音なら、きっとうまく説得してくれると信じよう」
ゆいなは瞬と沙穂の顔を見て言う。まだ京は座り込んだまま泣いている。この状態の彼を一人にしておくのはいろんな意味で危険だ。
ニコさんのこともそうだが、ほっといたら一人で自殺してしまいそうな危うさが今の彼にはある。
「戻ってくるまで、私達も、私達にできることをしよう」
「できることって?」
「考えるんだよ。そりゃ……私は成績悪いし、推理ものとかも一切推理しないで読んじゃうタイプの人間だけど。それでもほら、三人そろえばサンジュの知恵とか言うじゃん?」
「ゆいな、それ言うなら文殊の知恵やねん……」
「あ」
いけない、こんな状況でボケをかましてしまった。ゆいなが思わず頬を熱くすると、瞬と沙穂の二人はくすくす笑っているではないか。
どうやら、思いがけず和ませることには成功したらしい。お馬鹿が露呈した形なので非常に複雑ではあるが。
「そうだな。生きてる限り、考えることをやめるべきじゃねえ。沙穂もいるし、なんとかなんだろ」
「私はー?」
「ゆいなは肉体労働頑張れ、頭脳労働は期待してねえ」
「ちょっとお!」
ジョークに瞬が乗ってくれた。ゆいなはわざとキレたふりをして彼の後頭部をはたく。
こんな状況なのに、と人は言うかもしれない。けれど、こんな状況だからこそジョークは必要なのだ。
自分達はまだ冷静だと思うために。笑うだけの余裕があるのだと信じるために。
「考えるって言っても、何から考えればええんやろ」
うーん、と沙穂が適当な席に座って言う。
「犯人に自白させる、って作戦が使えへんなら、やっぱりニコさんに憑りつかれている証拠を見つける他ないで?」
「うん。それでさ、ちょっと思ったんだけど」
ゆいなは教室をぐるりと見回す。
「もし都市伝説通りなら、ニコさんの本体ってフランス人形に封じ込められてるはずでしょ。そのお人形、実はこの教室の中にあるってオチ……ない?」
「あ」
そう。もし、本当にニコさんの媒介を見つけて解き放った人間がいるのならば。その品物を、肌身離さず持っているなんてことは、十分考えられるのではないか。
そして、それがこのクラスの誰かだというのなら。教室のどこかに、それが隠されているということも十分あるのでは。
そう、もしその人物の机からお人形が出てくるとか、そういうことがあれば。
「……悪くねえかも」
瞬も頷いた。
「探してみるか、人形。いや、人形とは限らないけど……でも、怪しい品物持ってる奴を見つけたら、目星はつけられる。今、教室には俺達しかいないし、探すには絶好のチャンスかもしれねえ」
「うん!」
すると、京が顔をごしごしと拭って言った。服の袖に、パーカーに、あちこち血が飛んでいるのが痛々しい。
「……僕も探す」
「京くん!」
「勘違いしないで。僕はまだ……あの女が犯人だって思ってる。でも、証拠を見つければ自白させる必要ないし、別にそれでもいいし。……他の人が犯人の可能性もあるかもしれないってなら、一応探すよ。あいつ以外のみんなのことは信じていたいから、余計に」
「ありがとう!」
今この場にいないのは、美冬、貞、亞音、山吹先生、エリカ、湯子。この中に犯人がいなければ、自分達の中にひそんでいるということになる。そうなれば、この探索で証拠隠滅されてしまう可能性もゼロではないだろう。
それでもやってみる価値は、ある。少なくとも、何もせずに亞音たちが戻ってくるのを待っているよりずっと意味のある行動であるはずだ。
「今日学校に来ていた人達の机とロッカーから先に探して、そのあと他の人の机とかも探してみよう。それでいいよね?」
「OKやで」
「了解だ」
「わかった」
まだ体は動く。頭も働く。お互い、協力しあうこともできる。
それならば自分達はきっとまだ大丈夫。きっとまだ、希望は残されているはずだ。
ちらりと黒板を見た。今はまだ、新しい文字が浮かんできている様子はない。次の犠牲者が出る前に、なんとかケリをつけたいところである。
「んんん……」
だが。
探索は難航した。ロッカーはともかく、最近は机のお道具箱に鍵をかけている人もいれば、ランドセルに鍵をかけている人もいる。意外と、探せる場所が少なかったのである。
同時に、探せる範囲ではなかなか、怪しい呪物のようなものは見つからなかった。
――よくよく考えれば、ニコさんは自分がなかなか見つからないようにしたいはずだし。本体を持ってきて、はっきり見つかるような場所に置いておく……ってことはそうそうないかも。
場合によっては靴箱とか職員室とか、そう言う場所も探さなければいけないだろうか。
「ああ、先生相変わらず机綺麗にしとるなあ」
その時、沙穂がこんなことを呟いた。彼女は山吹先生の教員机の上を探っているところである。
「整理整頓のコツとかなんかあるんかなあ。うちなんて、いっつも自分の机も部屋もぐっちゃぐちゃやねん」
「沙穂はものが多すぎなんだよ、私も人のこと言えないけどさ」
「せやな、うちの部屋はゆいなよりはましや。ゆいなと亞音読んで勉強会はできるし!」
「うっさい!」
そんな話をしつつ、先生の机の上に視線を投げる。やっぱり、見慣れた写真立てはしまわれてしまったようだ。薔薇の花のついたお洒落な写真立てで、インテリアとしても悪くないものだったと思うのだが。
彼氏にフラレた上、こんなことにもなって山吹先生もさぞ落ち込んでいるだろう。と、そう思った時である。
「ん?」
ゆいなは、ふと先生の言葉を思い出していた。そう。
『というのも、私がこの学校に来たの、数年前なの。十五年前にも確かに教師はしていたけれど、隣町の学校に勤務していたからこの学校のことはよく知らなくて……。私以外の教員の人達もそう。十五年前からずっとこの学校に勤務しているのって、校長先生くらいなものじゃないかしら。だから校長先生なら、何か知っていたかもしれないけど』
隣町の学校に勤務していた。
山吹先生ははっきりそう言わなかったか。
「ま、まさか」
ゆいなは慌てて先生の机に駆け寄る。
「ど、どうしたんゆいな!?」
「え、何か、気づいたの?」
「ゆいな?」
沙穂が、それから離れた机を確認していた瞬と京も、ゆいなの様子に気付いてこちらを見る。
今、自分はどんな顔をしているだろう。――顔面蒼白、というのはきっとこういう顔なのではないか。
ゆいなは叫ぶ。
「せ、先生の……写真立て、探して!机の中にまだあるかもしれない!」
もしも自分の予測が正しかったなら――ニコさんを解き放った、犯人は。
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