<6・静寂。>

 予報の通り、朝になっても雪が降り続けていた。

 学校まで徒歩八分という距離だったこともあり、ゆいなは問題なく通学できたが、それでも途中の道で何度も転びそうになったのは事実である。

 自分よりも運動神経の悪い子たちはさらに苦労していたことだろう。コートの上にレインコートを着てもまだ寒く、弟のゆいとは何度もくしゃみをしていた。彼は寒がりだから、余計つらかったに違いない。

 今日はゆいなも、弟たちの通学班と一緒に家を出ることにした。小さな子どもたちが心配だったのもあるし、単純に途中までは同じ道だったというのも大きい。案の定というべきか、家が少し遠い数人は休みますの連絡が入っていたようだ。

 小学校の前で別れて、ゆいなは中学校の門へと向かう。

 もう少し早く“休校します”の連絡を入れてくれればいいのにと思わなくもなかったが、そのためには先生たちが学校にたどり着いてなければならない。この雪だと、車を出せなかった先生もいるだろう。とりあえず到着したはいいが、果たして今日はまともに授業ができるかどうか。


――あーあ。今日は体育の授業もできないかなあ。


 学校の授業で唯一楽しみな科目が今日はある。あるけれど、これは体育館を抑えられなければ無理だろう。うちの学校の体育館は狭い。果たして望んだスポーツができるかどうか。


――はあ、やりたい。バスケやりたーい。


 鬱々とした気持ちで靴箱で雪を払い、レインコートを脱ぐ。傘にもコートにも、真っ白な雪がこびりついていた。どれもびっちょりとした重たい雪だ。降り止んだら今度は即凍ってしまいそうである。小さな子どもたちは雪遊びをするのを狙っているのだろうが、この様子では難しいかもしれない。

 なんならゆいなも残念である。未だに雪だるまを作ったり雪合戦をするのは大好きだった。雪遊びなんて、三年くらい前にやったきりである。あの時はひたすら亞音が少年たちと真剣に巨大雪だるまを作っていた記憶があった。それと、沙穂とは雪合戦ガチ勝負をしたのではなかったか。




『うおおおおおおおお!皆の者、出合え出合ええええええい!あそこにおる、ゆいな殿を打倒するのしゃあああああああああい!うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

『持って待って待って待ってなんでいつのまに雪玉包囲網が出来上がってんのお!?私VS全員とかありいいいい!?』

『あり!』

『ゆいなちゃん鬼のように強いからあり!』

『ありです』

『ゆいな相手なら許される』

『以下同文』

『ちょ、ま、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?』




――ああ、うん……まあ、いろいろあった、よね。


 あはははは、と上履きを履き替えながら遠い目をしたくなるゆいな。

 最初は沙穂との一騎打ちだったのに、いつのまにか弟も亞音も、それから彼らの友人たちもみんな参戦してきて大変なことになったのだった。

 しかも何故か、参戦する奴等が軒並みゆいなの敵に回る。確かに自分は運動神経馬鹿だが、だからといって数の暴力はいかがなものか!


――つ、つぎに遊ぶとしたらもう少し真っ当なルールがいいなぁ、なんて……たははは。


 まあ、なんだかんだと数十人相手に無双して殲滅した自分が言うのもなんだけども。

 顔を上げたひょうしに、己の長いポニーテールが背中を打った。地味に痛い。


「あてててててっ……」


 いつもなら。そんなゆいなを見かけたら、誰かしらが笑うか、もしくは挨拶の一つでもしてくれそうなところなのに。

 昨日は随分、学校がしーんとしている。職員室にも廊下にも明かりはついているし、人が来ていないわけではないのだろうが。


――ていうか。


 ざっと、クラスメートたちの靴箱を眺めた。


――やっぱ、上履きが並んでるまんま。……殆どの人が、来てないんだろうな。


 黄島沙穂、藤森亞音。二人の名前がかかれたテープの下にはちゃんと外履きの靴が入っていた。彼らもちゃんと登校しているようだ。沙穂は家が学校から一分という近さだし(ていうか学校の裏門の真正面に家があるのだから、実質徒歩十秒である)、亞音も徒歩十分なのでどうにかたどり着いたのだろう。

 特に亞音は真面目な優等生だ。先生から連絡が来るまでは、何が何でも学校を休まなかったに違いない。


――元々、人が多い学校じゃないけど。


 上履きをきゅ、きゅ、と鳴らしながら廊下を歩く。


――今日は特に……静かだ。冷たくて、まるで凍ってるみたいな。


 歴史が古い学校なのは知っている。昔は、一学年で六クラスくらいあったこともあるらしい。

 しかし、現在は町そこものの過疎化の影響もあり、中学校は最大で二クラスまで減ってしまった。使われていない教室がいくつもあるし、その一部は実質物置になってしまっていると聞いている。

 かつての中学校なら、どうだったのだろうか。

 雪が降ってもたくさんの生徒が学校に来て賑やかだったのだろうか。昔の子どもたちは良くも悪くも体育会系で、学校を滅多に休まなかったらしいなんて話も聞くが。


――さむ。


 窓の外を見る。校庭にしんしんと降り積もる真っ白な雪。朝の時間帯であるはずなのに、太陽を厚い雲が覆い隠してしまってることもあってずいぶん薄暗い。

 雪が降ると静かになるのは、雪が音を吸収してしまっているからだと聞いたことがあった。確かに、雪の白さに飲み込まれて、そのまま出てこられなくなりそうな妙な怖さがあるけれど。


――いつまで降るんだろ。


 早く止んで欲しい、となんとなく思った。昨夜は雷まで鳴っていて少し怖かった。雪が振りながら雷鳴も轟く、というのは実に珍しい現象らしい。

 面白いと喜んでいる人もSNSにはいたようだが、ゆいなは何だか不吉な予感を暗示しているようで、不気味に感じてしまったのだった。


――止んでくれなきゃ、道も危ないし。雪遊びもできないし……。


 このまま雪が振り続けて、学校が埋もれてしまって、ここから出られなくなったらどうしよう。漠然とした不安を感じながら階段を登った。自分達の教室は三階である。

 と、三階まで到着した時だった。


「だから、何度言うたらわかるん!?」


 怒鳴り声が聞こえた。え、とゆいなは驚く。その特徴的な喋り方は、沙穂ではないか。


「あんたがオカルト好きなのはかまへん。他の人にそういう話をしてもええ。けど、時と場面を選べっちゅーのがわからんのか!?無駄に人を不安にしてどないするん?怖がってる人もおるのに!!」

「怖がるのは自由だけど、それを強制するのはやめてくれる?わたしはただ、真実を言っただけなのに。だって気配がするんだもの」

「またそれか。その霊能力者ごっこが迷惑やっちゅーねん」

「なんですって?」

「おうおう、何でも言うたるわ。自分の話はただの霊能力者ごっこや、ホンマもんやあらへん。ただ自分が選ばれた存在になりたいだけやろ、自己顕示欲乙!」

「はぁ!?何も知らないくせに、このエセ関西人!」

「なんやの、やるってのか、あぁ!?」


 しかも、誰かと激しく言い争っている。時々泣き声がBGMで聞こえてくるのがなんとも洒落にならない――一体、何があったというのだろう?


「ねえ、どうしたのアレ?」


 教室の入口では、男子三人が団子になって中を覗いていた。

 通称団子三兄弟――いや、本当に三兄弟なのだ。三つ子で上から順に藍沢英あいざやえい藍沢貞あいざわてい藍沢京あいざわけいの三兄弟である。

 なお、顔がそっくりなので同じ髪型をされると見分けがつかない。最近、長兄の英は眼鏡をかけるようになったし、貞はスポーツ刈りにするようになったので少しやかりやすくなったが。


「ああ、うん……おはよ、ゆいな」


 返事をしたのは三人の中でちょこっとだけ背が小さい、末弟の京である。


「見ての通り、キャットファイトが繰り広げられている。僕達男は怖くて近寄れない。助けて」

「なっさけな……。いや、確かにマジギレした沙穂ほど怖いものはないけど」


 彼らは少し家が離れているが、どうにか学校に来ることができたらしい。父親が車で仕事に出かけるので、ついでに送ってもらったのかもしれなかった。

 ゆいなは教室を覗き込む。部屋のど真ん中で言い争っているのは、案の定沙穂とは犬猿の仲の少女だった。

 灰田美冬はいだみふゆ。長い黒髪をお下げにし、分厚い牛乳瓶のような眼鏡をかけた少女だ。彼女は典型的な“文学少女”であり、オカルトマニアだった。オカルトやホラーはゆいなも沙穂も好きだが、それでも彼女とはあまり話したことがない。話さないようにしている、とでも言うべきか。

 理由は単純明快。――彼女の知識と認識が偏りすぎていて、ついていけなくなるからである。

 彼女は“自称霊能力者”だった。この学校には昔から邪悪な怨霊が住んでいて、自分はそれを退治するためにこの学校に来た――とかなんとか。ようはそういう話を平気で人にしてしまって、ドン引きされるようなタイプなのだった。

 会話の内容からなんとなく想像はつく。粗方また、怨霊の話でもして人を怖がらせて沙穂の逆鱗に触れたのだろう。


「うう、ぐすっ……」


 よく見ると、沙穂の後ろには少女が二人。まるで小学生のように小柄な少女とのっぽな少女。泣いているのはツインテールの小さな子で、名前は茶川湯子さがわゆこ。その背中を支えているノッポなショートカットの少女が虹村にじむらエリカだろう。

 そしてよく見ると教室の離れたところにぽつぽつと座っている少年少女たち。その中に、亞音の姿もあるではないか。完全に吾関せずの姿勢である。


――もう、止めるなりなんなりせんか、あの馬鹿!


 まったくもう。

 ゆいなは呆れ果てて教室に踏み込んだのだった。

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