クリルひと粒、約束の味
たんすい
第1話:みどりちゃんと小さな世界
部屋を満たしていたのは、
絶え間ない水の音だった。
三十センチのキューブ水槽。
それが、
息の詰まるようなこの部屋には、
不思議と似合っていた。
中でミドリフグが一匹、
ゆらりと尾を振っている。
俺はフグに
「みどりちゃん」と名付けた。
そう呼ぶことで、
自分がまだ誰かと繋がれる存在なのだと、
確かめたかったのかもしれない。
社会という名のつくすべてと、
とうに縁はなかった。
親が遺したわずかな年金と貯えで
かろうじて生きる俺にとって、
選挙も、景気も、遠い国の出来事だった。
だが、あの日だけは違った。
コンビニからの帰り道、
駅前のロータリーで足を止めると、
誰かが叫んでいた。
「私は、敗れた人を見捨てません!」
白いスーツに身を包んだ女性だった。
額に汗を滲ませ、声がかすれてもなお、
祈るように繰り返している。
「この街で、
今日食べるものに困る人が
一人でもいるのなら、
私は絶対に見捨てません!」
「……綺麗事だ。
そんな都合のいい公約が守られるものか」
はじめはそう毒づいた。
だが、見つめているうちに、
その必死さが胸に重く突き刺さる。
心の奥で何かが音を立てて崩れ、
そして、何かが静かに芽吹いた。
人生で一度くらい、
人を信じてみようか。
水槽に向かい、
俺は決意を口にした。
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