恋愛しない彼女

 その日、家に帰って親に『バスケ部のマネージャーになった』と事後報告をすると、案の定怒られた。

『別に運動をするわけじゃない。身体には障らない』と説得をすると、僕のことが心配なだけで、基本的に僕のやりたいことはさせたい主義の両親は分かってくれて、最後には応援してくれた。

 早速、翌日からバスケ部のマネージャーとして部活に参加すると、

「1年の大崎です。よろしくお願いします」

 僕の他にもう1人マネージャーがいて、大崎と名乗るその子は、小柄で可愛くて元気な女の子だった。

「2年の北川です。こちらこそよろしくお願いします。色々教えてください」

 大崎さんにペコっと頭を下げると、

「私、年下なんですから敬語とかやめて下さいよ」

 大崎さんは『頭下げさせちゃって申し訳ないです』と言いながら、何故か僕より更に低く頭を垂れた。

 可愛い上に、間違いなく優しいであろう大崎さん。部活、楽しくなりそうだな。と胸を躍らせていると、

「北川ー。大ちゃんの独り占めはまじで許されないからな。大ちゃんはバスケ部のアイドルなんだから、そんなことをしようものなら、先輩たちに八つ裂きにされるぞ」

 小山くんが「コラコラー」と言いながら、僕らの間に入ってきた。

 ……大ちゃん。あぁ、大崎さんのことか。小山くんの言う通り、確実にモテそうな大崎さん。

 だがしかし、大崎さんに色々とマネージャーの仕事を教わらないといけないから、大崎さんとの時間はどうしても増えるわけで。

「最大限気をつけます」

 楽しく部活がしたいので、3年生に目を付けられない様に、大崎さんから教わることは1回で覚える努力をしよう。

 僕は、恋愛がしたくてバスケ部に入ったわけじゃない。

「もう!! 小山先輩、変なことを言わないで下さい!! 私、アイドルでも何でもないです!! 私、マネージャーが増えて嬉しいんですから、北川先輩も余計な遠慮なんかいりません。私、北川先輩と仲良くなって、一緒に選手たちをサポートしていきたいです」

 距離を置こうとする僕が気にかかったのか、大崎さんが口を尖らせて可愛く怒った。

 完璧だな、この子。可愛くて、性格が良い。本当に良い子。

「小山先輩、余計なことを言ってないで、シュート練習してきてくださいよ!!」

 大崎さんが小山くんをコートに戻そうと、小山くんの背中を押した。

「大ちゃんヒドイ……。北川のこと頼むね!!」

 大崎さんに追い返されながら、「慣れるまで居心地良くないかもしれないけど、すぐ馴染むから。バスケ部みんなイイ奴だから心配しなくて大丈夫。何かあったらすぐに言うんだぞ。溜めるのは良くない」と僕に言うと、小山くんは自らコートに走って戻って行った。

 優しい小山くんは、大崎さんと僕にチャチャを入れたかったわけではなく、僕の緊張を解き解して、大崎さんに僕の面倒を見てもらうお願いをしたかったのだろう。小山くん、超イイ人なのにな。

 吉野さん然り、大崎さん然り。どうして女子に蔑ろにされてしまうのだろう。不憫だ。


 選手たちが練習をしている間、マネージャーがやる事と言えば雑用だ。

 洗濯をしたり、スポーツドリンクを用意したり、選手が打つシュートの本数を数えたり。

 大崎さんと2人で、弾みの悪いボールに空気を入れている時だった。

「……あのー。聞いてもいいですか? 嫌だったら答えなくて全然構いませんので!!」

 何かずっと気になっていたことがあった様子の大崎さんが、僕に聞き辛そうに伺いを立ててきた。

「どうぞ?」

「……あの、何でマネージャーとしての入部なんですか? バスケ、見る専なんですか?」

 申し訳なさそうに、僕の顔を見れずにボールを一点見つめの大崎さん。

「出来ないんだ。病気で。だから、見る専っていうとちょっと違うかもだけど、見るのは好きだよ」

「……病気……だったんですね。すみません。こんなことを聞いてしまって」

 質問をしたのを後悔したのか、大崎さんはしきりに頭を下げた。

「別に? 同じクラスだった人たちとか、一緒に体育出てた人らはみんな知ってるから。僕の病気のことは。本当はバスケ部に入るのも場違いな気がしてたんだけどさ。小山くんとか、吉野さんが背中押してくれてさ。2人には本当に感謝してる。2人に出会えて良かったって思ってる。だって、初日でもう楽しいもん。部活。大崎さんっていう可愛くて優しいマネージャーにも会えたしね」

 大崎さんに笑いかけると、大崎さんは照れた様に少し顔を赤くした。

「持ち上げても何も出ませんよ。……吉野さんって?」

「あぁ。同じクラスの女の子なんだけどね。根は良い人なんだと思うんだけどね。やることがなかなかエグいっていうか……。でも、言うことがたまに面白いっていうか。掴めない感じの人」

 大崎さんに吉野さんのことを聞かれて、吉野さんを思い浮かべた時、吉野さんが蟻を踏みつけている様と、フェイダウェイシュートをランナウェイシュートと間違えたことを立て続けに思い出してしまい、何とも収集のつかない返事をしてしまった。

「いますよね。不思議さん」

 大崎さんが困り笑いを浮かべた。

「んー。不思議なことには間違いないんだけど、吉野さんの場合、ファンタジーじゃないっていうか」

 むしろバイオレンス。

「どんな人なんですか。その人」

 大崎さんが、眉間に皺を寄せながら首を傾げた。

「僕にも分かんない。小山くんが吉野さんもバスケ部に誘ってたんだけどねー。断られちゃった」

「何で良く分かんない人を誘うんですかね。小山先輩」

 大崎さんには吉野さんが『変な人』と認識された様で、『入部して来なくて良かった』とばかりに胸を撫で下ろした。

 これでは吉野さんに申し訳ないので、『それは違うよ』と否定したいのだけど、そもそも吉野さんのことを良く知らない僕は、吉野さんが変な人ではない核心さえなかった。ので、どうすることも出来ず。

「大崎さんは? なんで男バスのマネーシャーやってるの? 女バスの選手になろうとは思わなかったの?」

 とりあえず、吉野さんの話題から離れることに。

「私、運動神経がカケラもないんですよ。でも、私もバスケを見るのが大好きで。で、マネージャーになろうと。女バスじゃなくて男バスを選んだのは、男子の方が足が速い分ボール運びも速いじゃないですか。私はゲーム展開が速い方が好きだから。……だけど、他の女子から見たら、男好きに見えるみたいです、私。バスケしてる男子って、やっぱカッコイイじゃないですか。狙いに行っている様に見えるらしいです。だから『アイドル』なんて呼んでくれるの、部員だけで、他の人からは割りと白い目で見られてるんですよ、私」

 話を変えても明るい話にはならず。大崎さんが悲しそうに笑った。

「大変だね」

『どんまい』なんて軽々しい言葉を言える空気じゃないし、慰められるほど、大崎さんと友情を育んでもいない為、何とか同情の言葉を選ぶ。

「別にいいんです。分かってくれる人がいればいいんです。北川先輩が分かってくれればいいんです。あ、北川先輩もみんなみたいに、私のこと『大ちゃん』って呼んでくださいね」

 大崎さんが笑顔を作って僕を見上げた。

 ……あぁ。この子、凄く良い子なんだけど、無意識に女子を敵にまわすタイプの子だ。男子を取り込むのが、とても上手い。

「『大ちゃん』はさすがに……。初日からちょっと馴れ馴れしすぎるでしょ。大崎さんは年下だけど、僕よりバスケ部暦が長いんだから、部活では先輩でしょ? あ、だから、何でも僕に言いつけていいからね。僕は病気持ちだから出来ないこともあるけど、大崎さんの手の届かない高い場所にある物とか取ったり出来るし、重い荷物とかも全然運べるし。吉野さんに言われたんだよね。『自分の出来ないことを他人に頼る分、自分の出来ることで返せばいい』って」

「……また吉野さん」

 吉野さんの名前を出しただけで顔を顰める大崎さん。

 吉野さん、何かごめん。吉野さん、大崎さんに相当気持ち悪い人って思われてるっぽい。と、心の中で吉野さんに謝っていると、

「じゃあ、先輩命令です。私を『大ちゃん』と呼ぶこと!!」

 大崎さんが『大ちゃん』をゴリ押してきた。

 何故か意固地な大崎さんに、何を言っても跳ね除けられそうで、

「……はーい」

 呼び方ごときで揉めるのも面倒なので、素直に返事をすると、

「よろしい」

 大崎さん……もとい、大ちゃんは満足そうに顔をホクホクさせた。

 大ちゃんに色んなことを教えてもらって、今日の部活は終了。部室で着替えをしていると、

「北川ー。部活、どう? やっていけそう?」

 すこぶる優しい小山くんが、着替えをする前に僕の傍に駆け寄り、今日の感想を求めた。

「うん。凄く楽しかった。ありがとう、小山くん」

 素直な気持ちを述べると、

「何のありがとうだよー」

 と小山くんが照れくさそうに笑った。

「バスケ部に誘ってくれて、心配してくれて、気に掛けてくれての諸々の『ありがとう』」

「やーめーろーよー!! 別にたいしたことしてねぇのにー」

 MAX大照れの小山くん。何この愛くるしい生き物。

「ていうか、北川。なんか大ちゃんとイイ感じに見えましたが?」

 照れていたかと思えば、急にニヤつきだした小山くん。何この面白い生き物。

「そぉ? まぁ、仲良くなれたかなぁとは思うけど」

 小山くん、恋バナ的な方向に持って行きたいんだろうな。とは思ったけれど、実際何もないわけで。というか、大ちゃんとは今日が初対面なわけで。イイ感じも何もないのである。

「ほーう。初日から『大ちゃん』呼びしておいて」

 小山くんは、どうしても恋愛話にしたいらしく、未だニヤニヤが止まらない。

「そう呼んでって言われたから」

「ふーん。大ちゃんがそう言ったんだぁ。めずらしいー。大ちゃん、モテ子さんだから、自分からそんなに積極的に行くタイプじゃないのに。大ちゃんの方が恋しちゃったかもねー。北川は? 大ちゃんのこと気にならないの?」

 遂に『大ちゃんは僕が好き』という態で話続ける小山くん。妄想力が迷惑なくらい豊か。

「ストップストップ。暴走しすぎだよ、小山くん。別に大ちゃんは僕のことなんか何とも思ってないよ。病気のことも話したし」

 小山くんを制止し、「小山くんも着替えなよ」と小山くんの背中を押してロッカーに向かわせようとするも、

「病気は関係ないだろ」

 小山くんは、『動きたくありません』とばかりに足に力を入れその場に留まると、嫌悪感丸出しの顔で睨む様に僕を見つめた。

 小山くんは、優しくて心が綺麗。

『病気は関係ない』は、小山くんの本心なんだと思う。だけど、

「あるよ。彼氏が病気持ちって面倒でしょ。彼女になる人に申し訳ない。迷惑かけたくない。だから僕は誰かを好きになることはない」

 僕には、小山くんの言っていることが綺麗事にしか聞こえない。

「面倒とか迷惑とか、そんなの北川が決めることじゃないだろ。彼女側が判断することでしょ。北川を好だっていう子はさ、きっと北川の全部が好きなんだよ。病気ごと全部好きなんだよ。そういう人を、自分の勝手な決めつけで突き放すなんて、絶対に間違ってると思う」

 小山くんの瞳には、一点の曇りもない。どこまでも澄んでいて。

 どうしたらこんなに誠実でいられるのだろうと思うほど、真っ直ぐな小山くん。

 小山くんの言葉は嬉しい。僕もそうであって欲しいと思う。だけど、

「……そうだね。僕、間違ってたね。でも、出会ったその日に恋愛するのは、やっぱ難しいよ」

 そもそも何事も起こっていないのである。

「あはは。ごめんごめん。何か1人で盛り上がって熱くなっちゃった。そうだよな。大ちゃんと北川の様子を見てたら、何か羨ましくなっちゃってさー。恋愛っていいなー。みたいな」

 険しい顔をしていた小山くんが、いつも通りの柔らかい表情に戻った。

「小山くんは、好きな人とかいないの?」

「……俺は……」

 何気なく振った話に、小山くんが顔を……というか、耳までも真っ赤にした。

 分かり易すぎる。素直すぎる。

「いるんだ。誰? 僕の知ってる子?」

 小山くんの反応が面白すぎて、グイグイ突っ込む。

「知らない子だよ!! 北川の全然知らない人!!」

 最早大慌ての小山くん。

 さては、僕の知っている子だな。小山くんと僕が知っている女の子は、大ちゃんと……。

「吉野さん?」

「ち……ちが!! 違うし!!」

『俺、着替えなきゃ』と、逃げる様に自分のロッカーに戻る小山くん。はい、ビンゴ。

 先に着替え終わっていた為、今度は僕の方から小山くんに近づく。

「吉野さんって、あんまり誰とも話さないのに、小山くんとだけは結構喋るよね。イイ感じだよねー、小山くんと吉野さん。吉野さん、進路迷ってるみたいだし、『一緒に進路指導室行こうよ』とか誘ってみれば?」

 そして、さっきのお返しとばかりに小山くんをイジる。

「だから違うって言ってるだろ!! 吉野が俺と喋ってくれるのは、俺が深入りしないから話し易いだけだと思うし。吉野、かまってちゃんのくせに詮索されると嫌な顔すんだよねー」

「吉野さんが、かまってちゃん?」

 僕には、吉野さんはどう見ても【かまってくれるなちゃん】に見えるけど。

「俺、影がある人間って、全員かまってちゃんだと思ってるし。内容は言いたくないくせに『私は凄く悩んでるの!! 苦しいの!!』って空気は出してくるじゃん。そういう人ってきっとさ、詮索はされたくはないけど、辛い気持ちだけは分かって欲しいんだと思うんだよね」

 小山くんは、ただただ純粋なわけではなかった。人のあざとい部分を見抜いた上での心の清さだった。

「なるほど。で、自分が吉野さんの辛い気持ちを分かってあげようと?」

「だから、別に俺は吉野のことが好きとかじゃないから!! ……でも、本当に進路どうするんだろ。吉野」

 吉野さんを心配して、着替える手が止まってしまう小山くんは、やっぱり吉野さんに恋をしているんだと思う。

「小山くんは進路どうするの?」

「俺は教育学部に行きたいと思ってる。小学校の先生になりたいんだ」

 目をキラキラに輝かせて宣言する小山くん。

 小山くんは、嘘が吐けない正直者なんだと思う。

「教育学部ってゴリゴリの文系だよね。何で理系クラスにいるの?」

「……え」

 言い訳が思いつかない小山くん。

 小山くんの好きな人は、吉野さんで確定。

「小山くんは、嘘は超絶下手くそだけど、世界一生徒に好かれる小学校の先生になると思うよ」

「北川のアホ!! ……でも、嬉しいわ。ありがとう」

 夢があって、恋もしていて、勉強も部活も頑張る小山くんは、眩しすぎて、羨ましかった。


 小山くんの好きな人が吉野さんだと分かった途端、小山くんの行動がいちいち面白く見えてしょうがない。

 僕の席は1番後ろだから、小山くんと吉野さんの様子は丸見えで、小山くんが吉野さんに話かけようと振り向く度に、小山くんの顔が見えて『あぁ。小山くん、恋してるんだよなー』と思うと、微笑ましくてこそばゆい。

 たまに小山くんとふいに目が合うと、小山くんはバツが悪そうにサッと視線を外したかと思えば、LINEで『こっち見ないでよ!!』という可愛いメッセージを送ってくる。何この萌える生き物。

 休み時間、頬杖をつきながら2人様子を眺めていると、僕の視線に気付いたのか、僕が気になってチラ見を繰り返す小山くんが気になったのか、吉野さんが僕の方を見た。

 そして立ち上がり、僕の方にやって来る吉野さん。

 吉野さん大好き小山くんも、吉野さんの後を追って来た。

「北川くん、部活はどう?」

 吉野さんは、自分が勧めた部活で僕が上手くやっていけているのかが心配だった様だ。

「楽しいよ。凄く。入って本当に良かった」

 立ったままの吉野さんを見上げて微笑むと、

「そっか。良かったね」

 吉野さんが柔らかい表情で笑い返した。

 こんな笑顔が出来る吉野さんは、いつも顔を顰めているけれど、蟻を踏み潰したりするけれど、本当はあったかい人なんじゃないかなと思う。

 小山くんは、きっと吉野さんのそういう所が好きなんだろうな思う。

「そりゃ、楽しいよなー、北川。バスケ部のアイドルマネージャーに好かれちゃってるし」

 小山くんが空いていた席の椅子を2つ持ってきて、「座りなよ」と1つを吉野さんに差し出した。

 吉野さんに「ありがとう」と言われ嬉しそうな小山くんは、無言ながら視線でからかう僕に、『お返し』とばかりに虚偽の恋バナをまたも仕掛けてきた。

「へー。そーなんだー」

 吉野さんがニヤっと笑って僕を見た。

「小山くんが勝手に言ってるだけ。全然そんなんじゃないのに」

 小山くんに白けた視線を送ると、小山くんは舌を出しておどけて見せた。小学生みたいだな、小山くん。そんな小山くんの為に、

「吉野さんは? 好きな人いないの?」 

 一肌脱ぐことに。斯く言う僕も、謎多き吉野さんの恋愛事情に興味があったりする。

 小山くんも前のめりになりながら、吉野さんの答えを待つ。

「いない」

 吉野さんの返事は、何とも簡潔だった。

 分かり易く胸を撫で下ろす小山くん。小山くんは本当に、吉野さんを好きだという気持ちを隠したいと思っているのだろうか。だって、バレバレすぎる。

「吉野さんって、どんな人がタイプなの?」

 更に掘り下げた質問を吉野さんにぶつけてみる。

 小山くんが『いいぞいいぞ』とばかりに僕の肩を擦った。だから、モロバレすぎるって、小山くん。

「私は、恋愛しないから。結婚も出産もしない」

 吉野さんは、小山くんの言った通り【かまってちゃん】だ。

『言いたくない』で流せばいいだけの問いかけに、わざとらしい謎を残す。気になって仕方がない。

「何で?」

 小山くんが、予想通りに顔を歪めた。

 僕に理解し難いことが、何の歪もない直線の様な性格の小山くんに、受け入れられるわけがなかった。

「小山、次体育だよ。着替えなくていいの?」

 だけど、かまってちゃんを拗らせているだろう吉野さんは、やっぱりそれ以上は言う気がないらしい。

 謎を残しておきながら、バッサリ話を断ち切る吉野さん。

「吉野もだろ」

「私は見学だから」

 吉野さんが「椅子は私が片しとくから、さっさとジャージに着替えなよ」と小山くんを急かした。

 吉野さん、また体育見学するの? 生理って、重い日そんなに続くの? 吉野さんに聞きたいけれど、女子ではない上に痛みも知らない僕に、そんなことを言えるわけがなかった。

 深入りされるのを嫌う吉野さんの性格を知っている小山くんが、しぶしぶ着替えをしに僕の席から離れると、吉野さんは座っていた椅子を元の席に戻し、「体育館行こっか」と僕を誘った。

 体育館に移動し、今日もステージに並んで座る。

 続々と生徒たちが集まって来て、体育の授業が始まった。その様子を2人で眺める。

「結婚願望がない女子が増えてるって本当なんだね」

 吉野さんのさっきの言葉が気になって、遠まわしに話を振ってみる。

「……小山ってさ、名前通りの性格だよね。親の期待通りに育ってるよね」

 が、すり変えられてしまった。

「正義と書いてマサヨシ。……確かに」

 小山くんは、『正義』以外の名前は当てはまらないくらい正義な人だ。

「自分が不正解な人間だっていう自覚はちゃんとあるんだけどさ、小山といると、それをダイレクトに感じるから、たまにしんどい」

 吉野さんが、男子と戯れている小山くんをチラっと見た。

「吉野さん、不正解なの?」

「北川くんは、結婚願望あるの?」

 吉野さんは、僕の質問には全然答えてくれなくて、気まぐれに話を戻した。

「……病気じゃなかったら、結婚したいって思ってたかもね。だけど、やっぱり相手のことを思うとこんな自分じゃ申し訳なくて。……って話を小山くんに話したら『迷惑かどうかは北川じゃなくて相手が決めること』って怒られた」

「さすが『正義』」

 吉野さんが困った顔をしながら笑った。

「……私もね、相手に申し訳なくて結婚出来ない。結婚したらさ、旦那さんはきっと『子供が欲しい』って思うでしょ? だけど私は産めない。可哀想で。……生きるってしんどいよ。苦しいよ。分かっているのに産むなんて出来ない。私は『この世は美しい。生命は素晴らしい』なんて思ってもいないことを我が子に言えない。そもそも、後世に繋げたい命がない。私、一人っ子で本当に良かったと思ってる。私でこの血筋は立ち消せる。……なんて、小山にはとても話せないよね」

 吉野さんが、笑いながらも溜息を吐いた。

 吉野さんが、小山くんには出来ない話を僕に話してくれた。

 何だか少し、小山くんに申し訳ないような。でも、ちょっと嬉しいような。

 だけど、吉野さんの悩みの種は未だ謎のまま。

「……何が、そんなに吉野さんを苦しめているの?」

「私、変にプライド高くてさ。言いたくない。恥を晒す勇気がない」

 吉野さんは、やっぱり核心部だけは誰にも話したくないようだ。

 吉野さんの言う『恥』とは何なのだろう。コンプレックス? でも、コンプレックスで『恋愛も結婚も出産もしない』なんて決意するだろうか? 『死にたい』なんて僕の病気を羨ましがったりするだろうか。

 どこか切羽詰った様子の吉野さんが心配だ。 

「大丈夫? あまりにも絶望的な言葉ばっかりだから」

 自称プライド高い女の吉野さんが『大丈夫じゃない』などと寄りかかって来ることはないだろうと思いながらも、声を掛ける。

「『絶望』なんて言葉を発してる人間ってさ、まだ絶望の淵にいないよね。本当に絶望していたら死んでるよ、きっと。思い通りになんか行かないって分かってるのに、それでもいやらしく変な期待して死ねないんだよ。結局、期待なんて裏切られるのにね。で、『何で自分ばっかり』って嘆く。その後また凝りもせずに何かに期待しては、打ち砕かれる。の繰り返し。それが、私」

『死にたいけど、怖くて死ねない』と言っていた吉野さんは、『生きたいけれど、生きるのが辛いから死にたくて、でも辛くなくなれば生きたい人』で、本当は死にたくないんだ。

 僕らは、恋愛や結婚に夢がないからしないんじゃないんだ。

 希望しかないから、しないんだ。

 希望に失望したくないんだ。

 吉野さんの気持ちが、少しだけ分かった気がした。

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