傷む彼女と、痛まない僕。

中め

残酷な彼女

 高校生になって2度目の春が来た。

 クラス替えがあり、1年の時に仲の良かった友だちとは見事に別々になった。

 また一から始まる友だち作りが少し面倒で、不安で、でもワクワクも感じながら始業式を終えた帰り道、道端で地団駄を踏む女の子を見つけた。

 同じ学校の制服。良く見ると、同じクラスにいた子。……吉野さんって名前だったかな。

 目を凝らして更に良く見てみると、吉野さんは地団駄を踏んでいるわけではなく、足踏みをしているわけでもなく、蟻の行列を悉く踏み潰していた。

「……なかなか残酷なことをするんだね」

 蟻があまりにも可哀想すぎて、吉野さんに声をかけ止めさせようと近づく。

「虫って痛点ないらしいよ。知ってた? どうせこの蟻たちなんかさ、女王蟻の為にあくせく働かされてるだけなんだよ。だったら、殺してあげた方が親切じゃん。痛みもなく死ねるんだし。これは私の善意。私は善意の殺し屋さん」

 吉野さんが、さっき殺した蟻の上に砂を被せた。おそらく、お墓のつもりなのだろう。

「親切じゃないでしょ。働き蟻が女王蟻のエサを運ぶのは習性で、嫌々やってるワケじゃないんだから。吉野さんの主観で勝手に殺すのはいかかがなものかと思う」

「習性だったら、喜んでやってるわけでもないでしょ」

 吉野さんは、悪びれる素振りもなく僕に言い返してきた。

「そうかもしれないけど、じゃあ女王蟻もアリの巣から掘り起こして殺してあげないと。働き蟻を善意とやらで踏み殺して、女王蟻は餓死させるの? 虫は、痛点はなくても飢えは感じるよ」

 吉野さんの良く分からない正義感に、僕も負けじと反論すると、

「いいよね、北川くんは。北川くんも痛点ないんでしょ? それって最強だよね。無敵じゃん」

 吉野さんは、僕の意見に答えることなく話を変えた。

『北川くんにも痛点ないんでしょ』----------そう、僕も痛みを感じない。なんなら、暑さも寒さも分からない。

 僕には、生まれた時から先天性の持病がある。治療法はまだ見つかっていない。

【無痛無汗症】

 今まで1度も痛みを感じたことがない。暑さも知らないから、汗もかいたことがない。

 僕がこの病気であることを、クラスの全員が知っている。

 暑さ寒さの感覚がない僕は、体温調節にいつも気を遣わなければならない。

 スポーツなどをして体温が急に上昇しても、汗をかいて体温調整が出来ない僕を、学校側は大事を取って体育の参加をさせないという決定をしたから。

 それを担任が今日、HRでクラスのみんなに報告したから。

 無痛無汗症にも色々程度があって、中には知的障害を併発している人もいる。

 僕にはそれがなかったから、自ら『無痛無汗症です』と言わない限り、僕が病気であることは見た目では分からない。

 だからこそ、僕が無痛無汗症だと知る人間は、吉野さんの様に僕を『最強だ』だの『無敵だ』だの言い出す。

 この病気の大変さを知らないから。

「北川くんってさ、死ぬの怖くないでしょ。いいなぁ。私、死にたいのに怖くて死ねないもん。死ぬ時まで痛くて辛い思いするなんて絶対嫌だもん」

 10代の若者は、何か嫌なことがあるとすぐに『死にたい』などと軽々しく口に出す。自分もそう。周りもそう。だから、吉野さんもきっとそう。なんだと、この時は思っていた。

「死ぬのは怖いよ。僕は死にたいわけじゃないから怖い。僕もたまに『死にたいなー』って思うこともあるけど、僕の病気ってさ、いつ死ぬか分かんないから『本当に死ぬ時がきたらどうしよう』って、いつも頭の端っこでビビってたりするよ」

『死にたい』などと口にする吉野さんは、きっと今、心が荒んでいるのだろうと、吉野さんの気持ちを荒げない様に、共感しながらも否定した。

「北川くんの病気って、直接生命に関わらないって、先生言ってたよね?」

「直接はね。でも、痛みを感じないから、自分が病気になっていたとしても、なかなか気付けないんだよ。例えば、盲腸になったとしても気付かずそのまま放置して死んじゃうかもしれない。治癒しやすい病が命取りになったりするんだよ」

『厄介な病気なんだよ』と吉野さんのいう最強説を覆す。

「だったら、最初から切っておけばいいじゃん。盲腸って別にいらない臓器なんでしょ? 癌の遺伝子があるからって、予め子宮とかおっぱいとか切る人だっているんだし」

 僕を心配してくれてのことなのか、僕の病気をそれでも軽く見ているのか、吉野さんは僕の例え話に反論した。 

「盲腸って、免疫機能を高める組織があるから、なくても大丈夫ってだけで、あった方がいいんだよ」

『盲腸はいらない臓器』なんて、吉野さんの若干古い情報にちょっと笑いそうになった。

「へぇー。そうなんだ。知らなかった。北川くんって、医学部志望?」

 僕の浅ーい知識に感心して、僕を医学部志望と読んだ吉野さんも、大概浅い。

「んー。やっぱ自分の病気をもっと深くまで知りたいから医学部を考えたこともあるんだけどね。でも、僕は温度が分からない。患者さんの体温を感じることも出来ないから、ちょっと自信がなくて。僕は薬学部志望なんだ。薬の知識を深めて、僕の病気だったり他の病気だったりの改善の糸口を探りたいっていうか。……受かるかどうか分かんないけどね。吉野さんは?」

 僕は2年になる時に、理系クラスを選択した。僕の高校の理系クラスは女子が少なく、珍しい存在。だから、吉野さんの進路にちょっと興味があった。

「……私には、希望も選択肢もない。私、今からバイトだから、もう行くね」

 吉野さんが僕の横を走って通り過ぎた。

 髪が風に靡いて、泣きそうな吉野さんの顔が見えた。

 そんな顔を見る前に『死にたい』なんてことを聞いてしまったから、気になっちゃうじゃん、吉野さん。

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