牛の魔物1
モネの体は異変を察知していた。
(魔物が近くにいる……)
ツラヌキツバメではない。もっと禍々しい――。
「どうしたんだ。モネ?」
「なにかいます。ツラヌキツバメより、もっと大物のなにか……」
手のひらにじっとり汗が滲んでくる。
「二人ともどうしたんすか? もっとキノコとりま――」
とエルドリアスの声は途中で大きな咆哮にかき消された。耳がビリビリと震えるほどの咆哮だ。
モネとラウルは同時に顔を上げた。それにつられたようにエルドリアスが背後を振り返る。
エルドリアスの背後に現れたのは、見上げるほど大きな、牛頭人体の魔物だった。
「ミ……ノタウロス?」
モネも本の中でしか見たことがない、上級に分類される魔物だ。胴体は人間の形をしているというもののそれは見た目だけの話で、およそ人の感情など持ち合わせておらず、その怪力をもって人をなぶり殺しにする凶悪な魔物である。
「……っな、なんでこんなところにミノタウロスが!?」
エルドリアスの声が震えていた。ミノタウロスは本来迷宮の奥深くにいるはずの魔物だ。こんな森でふらついているような魔物ではない。
(だけど。今目の前にいることは事実)
理由はどうあれそれが全てだ。疑いの余地なくミノタウロスは今確かにここに存在している。
モネはくつくつと引きつった笑みをもらした。
(まさかこんなところで、こんな上物と戦えるなんて)
なんて運がいいんだろう。
モネはミノタウロスが斧を振り上げると同時に走り出した。
「エル君! 光を!」
エルドリアスは一拍遅れて返事をし、詠唱をはじめる。
ミノタウロスがモネめがけて斧を振り下ろすが、ラウルの青い防壁がその一撃を跳ね返す。
(さすがだな)
ミノタウロスの斧はその昔、神々への呪いを込めて作られたと言われており、魔法への耐性が高いと本で読んだことがある。だから魔法でできた防壁も突破されることが多いと聞くが、そんなミノタウロスの一撃ですら跳ね返せるなんてやはりラウルの防壁は強力ということだ。
とそんなことを考えながらモネはスっと弓を構えた。
エルドリアスの詠唱が終わる。矢が光に包まれる。よく弓をひきしぼって――。
「うおおおおおおおおー!」
モネたちの背後から、何者かの叫び声が聞こえてきた。振り返ると、男が一人こちらへ一直線に駆けてくるのが見える。
「おおい! それはミノタウロスだ! あぶねーから俺に任せとけー!!!」
男は叫びながらモネたちの間をすり抜けミノタウロスに突進していった。そのとき、プラチナブロンドの三つ編みがモネの眼前をかすめていく。
「あ……」
男は先ほど学園でからんできたあの青年だった。
三つ編みの青年はミノタウロスの間合いに入り込むと、ミノタウロスの腹に強烈な拳を打ち込んだ。
「グウッ」
ある程度効果はあったようだが、ミノタウロスの急所は頭部だ。腹をいくら殴ったところで決定打にはならない。ただそれを教えたところでこの身長差ではミノタウロスの頭部を殴るのは至難の業である。
「くっそがあっ! もういちげ――」
ドカッと鈍い音が響いた。三つ編みの青年が拳を繰り出すより早く、ミノタウロスの拳が三つ編みの青年を直撃したのだ。
もしモネが受けていたら即死だったろう。
だが、青年はその場に立っていた。ミノタウロスの拳を、腕のガードだけで受け止めて。
ただ青年は突っ立ったまま動かない。いや動けないのだ。ミノタウロスの拳を受け止めた衝撃ですぐには攻撃に転じられない。このままでは彼はなぶり殺しにされる。
「援護します」
考えるより先に体が動いていた。とにかくミノタウロスの注意を青年から離さなければ。モネは弓を構える。と同時にラウルも防壁を展開して青年を守る。
モネは光の矢をミノタウロスめがけて放った。矢はミノタウロスの眉間近くで強い光を放って炸裂する。ミノタウロスはまるで虫でも払うようにバタバタと手を動かして、明らかに不快な様子である。ミノタウロスは基本的に迷宮の中にいる魔物なので光に弱いのだ。
「うおっし!!!」
その間に復活したらしい三つ編みの青年がまた拳を打ち込もうとするが。
「グウゥゥ!」
ミノタウロスは辺りの木を薙ぎ倒しながら反転したかと思えば、そのまま逃げていってしまった。
残された三つ編みの青年は腕をさすりながらしばらくミノタウロスの背中を眺めていたが、いきなりクルッと後ろを振り返った。
「おいおまえ! そうおまえだ! なかなかやるじゃねーか。助けようと思って来たのに逆に助けられたぜ!」
がははは、と青年は快活に笑う。
モネはそんな青年に小さな声で答えた。
「しかし……せっかくの獲物を逃がしてしまいました」
「何言ってんだ。追い払えただけで十分じゃねえか。ミノタウロスだぞ? なあ!」
と三つ編み青年がラウルに同意を求める。
「まあ普通ならそれで十分なんだが。うちの参謀はミノタウロスだろうが何だろうが倒さないと満足しない子でしてね」
「おいマジかよ。そんな細っこい体でミノタウロスを倒すってか……なかなか度胸があるじゃねえか。気に入った。お前名前は何てんだ?」
「……モネ・ルオントです」
「モネか! オレはソルムス・コーグだ。そっちは、ってお前ラウルか? ラウル・アルバーン?」
「そうだけど、どこかで会ったことあったかな?」
「オレたち同学年だっただろ? て言ってもオレ、二年ちょい留学してたから少しの間しかかぶってねーけどな」
「ああ、そういえば東方の国に留学したやつがいるって聞いたことあるな」
「おう、それがオレ様のことだ」
「ちょっと〜おれも話混ぜてくださいよ。寂しいっすよ」
「ん? ああ悪かったな。おまえはアレか、補助魔法担当か」
「そっす。ソルムスさんは体術使いっすか? めっちゃカッコよかったっす!」
「そうだろ。魔法もいいけどな。男はやっぱり拳だ。拳なら天才ラウルにも負けねえ」
「ふっ。俺が魔法だけの男だと思ってもらっては困るな」
「ほう? なら見せてみろよ」
言われたラウルは腕をまくる。
「ほうら見たまえ。この上腕二頭筋を」
「なっ、お前いい筋肉持ってるじゃねえか!」
「うわ、ホントっすね! ラウルさん筋肉まであるとかもう反則っす!」
何だか急に筋肉大会がはじまってしまった。モネは小さく「あの……」と声をかけるが誰も聞いてない。
「ふふふ。腹筋だってほら……」
おおー! と声があがる。モネは今度は小さく手を挙げて声をかけてみたが結果は同じだった。
(しかたない)
ヒュン。
楽しそうに騒ぐ男たちの眼前を、一本の矢が飛んでいった。三人はぴたりと静かになり、ぎこちなくモネの方を向く。
「そろそろ。ミノタウロスを追いたいんですが」
「「「……はい。すみませんでした」」」
かくしてキノコ狩りに引き続き、モネたちはミノタウロス狩りへ赴くことになったのだった。
***
「えっと。ソルムスさんも一緒に行くんですか?」
「あったりめーだろ。ミノタウロスを狩りに行くっつってるのにオレだけのこのこ帰れるかってんだ」
「おれ、もう一度ソルムスさんの左ストレート見たいっす!」
「おう! 何発でも見せてやるぜ」
エルドリアスとソルムスがきゃっきゃとはしゃいでいる横で、ラウルが言った。
「まあミノタウロスを倒すなら人手は多い方がいいだろうしな」
「そう……ですかね」
先ほどは成り行きで共にミノタウロスと戦うことになったが、ソルムスのような破天荒タイプと一緒に狩りなどうまくいくだろうか。
一抹の不安を覚えながら、モネはミノタウロスの足跡を追っていた。
「あれ? 足跡なくなったっすよ。あのミノタウロス、迷宮に向かってたんじゃないんすか?」
「あれだろ、移動魔法で迷宮に戻ったんじゃね」
「ミノタウロスが移動魔法を使うことはないよ」
てっきり迷宮に逃げ帰ったと思って足跡を追っていたのだが、ミノタウロスはどこへ消えたのだろうか。いやそもそもあのミノタウロスはなぜ迷宮の外へ出てきたのだろう。迷宮を棲み処とする魔物は、迷宮での環境に適した体のつくりになっているので、わざわざ外へ出てくることはない。なのにそれでも外へ出てきたということは。
「……あのミノタウロスには迷宮の外に何か目的があった」
「目的?」
「ええ。でなければわざわざ棲み処である迷宮から出てくることはないはずです」
「何すかミノタウロスの目的って? 餌探しに来たとか?」
「はっきりは分からないですが、さっきミノタウロスが歩いてきた方向から考えると……」
「まさか、学園に?」
モネはごくりと唾をのみこんだ。
「すぐに引き返しましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます