勉強会
老婆にされていた女性は名をロスカと言った。
ロスカは老婆であったとき同様、菓子作りがとても得意だった。
「ということで、デザート担当としてここで働らかせてもらうのはどうでしょう」
モネがお婆ちゃんズに相談したところ、話はすんなり進んでロスカは学生食堂のデザート担当として働くことになった。
「モネちゃんありがとう。これで路頭に迷わずにすんだわ」
「いえ、私は何も」
「そんなことないわ。魔物からだって救ってもらったし。何かお礼をさせてちょうだい」
ロスカはモネの手を取りじっと見つめてくる。
「お礼なんてもらえません……私はただクエストをこなしただけですし」
「でもあなたじゃなかったら、私は魔物と勘違いされて殺されていたかもしれないって聞いたわ。だからモネちゃんは私の命の恩人なのよ」
そんな大袈裟な、とモネは思ったがロスカの目は真剣だ。
「だけど困ったわね。お礼をしようにも私何も持っていないんだったわ……だから今すぐには難しいけど、いつか必ずお礼をするから」
ロスカはモネの手を両手で握りしめたまま、ずずいと顔を近づけてくる。モネはこくこくと頷くしかない。
ロスカはそれでやっと手を離してくれ、デザート作りの仕事へ戻っていった。
モネも野菜の皮剥きをはじめようとしたとき、カウンターに学生がやってきた。エルドリアスである。
「あのーすみません。ここでモネさんが働いてるって聞いたんすけど、いますか?」
「モネは私ですけど」
「はい。って、え?」
エルドリアスが混乱しているようなので、モネはメガネを外した。
「え…………ええええ?! うわお……ほんとにモネさんだ。なんでメガネなんかかけてんすか。目悪かったんすか?」
「まあちょっといろいろ事情があって……。それより何で私を探してたんですか?」
「ああ、そうそう。今度おれたち小試験があるじゃないっすか」
言いながらエルドリアスはカウンターにどさっと教科書を乗せた。
「おれ魔物の生態学が超〜苦手なんすよー。このままじゃ絶対再試験になるんす。で、モネさんて魔物に詳しいんでしょ? 覚えるコツとか教えてもらいたいんす」
モネはほとんど独学で魔物のことを学んできたので、他人がどうやって勉強しているのかも知らないし自分の勉強法が正しいのかも分からない。正直、人に教えるなんて荷が重いしやりたくなかった。だが、エルドリアスはまるで瀕死の小動物のように必死な目で見つめてくる。おそらく彼はすでに何度も小試験で赤点を取って何度も再試験を受けてきているのだろう。
結局、モネは食堂での手伝いが終わったのち、彼と一緒に勉強することにした。
夕食後、食堂から他の学生たちがいなくなったあと、モネとエルドリアスはテーブルに教科書とノートを広げて勉強を開始した。
モネはこれまで人に教えたことがなかったので、とりあえず自分のやり方をそのままエリドリアスに伝えてみることにする。
「ああ〜そういうふうに考えたらいいんすね。教科書読んだときは何言ってんのかサッパリ分かんなかったけど、モネさんの説明はなんかこうめっちゃ頭に入ってくるっす」
「種類とか生息地とかはその関係を理解しておくといいと思う。バラバラに記憶の箱にしまうんじゃなくて、紐でつないでしまっておく感覚で」
「つないで……? しまう? ……なんかよく分かんないけどすげえ。頭のいい人って感じがする」
「いやむしろ私は覚えるの苦手で、だから覚えやすいように工夫してるだけです」
独りで狩りに行くと頼れるのは自分の知識だけだ。知識不足は命に関わる。ので必要なときに必要な情報がすぐに出てくるように工夫した結果なのだった。
「じゃあじゃあ次、古ノルディア語も教えてほしいっす! おれ異国語もけっこう苦手なんすよ」
「ごめんなさい。異国語は私も苦手で」
「そうなんすか? 意外! 頭のいい人も苦手科目ってあるんすね」
「うーん私、異国に行く気がないから興味がわかないというか……」
とモネが言い訳していると、後ろから声が降ってきた。
「おやおや。それは残念だな。てっきりお嬢さんは世界を股にかけて魔物狩りをするものだと思っていたのに」
振り仰ぐと、ニヤニヤ意地の悪そうな笑みを浮かべたラウルがこちらを見下ろしていた。
「こんな時間にどうしたんですか」
「んー、二人の姿が見えたからちょっと覗きに」
めざとい男である。いや単に寂しがり屋なのかもしれない。
そんなモネとラウルのやりとりを聞いていたエルドリアスは、首を傾げて尋ねてきた。
「モネさんて世界をめぐるんすか?」
「いや、めぐらないです」
モネが即答すると、ラウルはわざとらしく嘆いてみせる。
「もったいないなぁ。外に出ればもっといろんな魔物を狩れるのになぁ」
「それはそうかもしれないですが。異国の人と話すなんて……」
ぶるぶる。モネは震えるように首を横に振った。
同じ国の人と話すのだってうまくできないのだ。異国に行って知らない人と話すなんて想像しただけで腹が痛くなる。
「ならせめて試験のところだけでも頑張らないとな。ほら教科書を見せてごらん。俺が教えてあげよう」
ラウルはエルドリアスから古ノルディア語の教科書を受け取るとスラスラ音読をはじめた。
「え! すご! ラウルさんの発音すご!」
「まあね。語学は得意なんだ。とくにノルディア語の発音には自信がある」
とラウルがふんぞり返るのを見てモネはぼそりとつぶやいた。
「さすが社交魔神……」
「なんだシャコウマジンて」
「いやなんでもないです」
モネが思わず目を逸らすと同時に、エルドリアスがはいっと手を挙げる。
「おれ、前から疑問だったんすけど、ノルディアってもう滅んだ国じゃないすか。なのになんで今さら古ノルディア語なんて学ばないといけないんすかね」
「確かにノルディアは十五年前に滅んでしまったけれど、かの国は魔法発祥の国だからね。いまだに魔法詠唱の多くにノルディア語が使われているんだよ。だから魔法を学ぶなら古ノルディア語は外せない言語なんだ」
「ああ、そういうことなんすね~。おれ全然知らないで詠唱してたっす」
「なら今後は理解して使うようにした方がいいね」
より高度な魔法を使うには、その魔術式を構成する言語構造を学んでおくことは重要だ。だから補助魔法を専門とするエルドリアスにとってノルディア語を学ぶことは大事なこと。ただモネは魔法なんてごくごく単純なものしか使えないので、ノルディア語を学んでもそれほど役にたつとは思えなかった。
というのが顔に出ていたのだろうか。ラウルがモネの肩にぽんと手を乗せる。
「アタッカーだって簡単なノルディア語くらいは知っておかないとだぞ」
仄暗い笑みをたたえたラウルに捕まってしまったモネは、その後、夜更けまでラウル直々の語学レッスンを堪能したのだった。
「明日また討伐に行く予定なのに。こんな夜遅くまで……」
まったくラウルは手加減というものを知らない男のようだ。
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